中津シネマ(なかつシネマ)は、かつて大分県中津市にあった映画館である。旧名称は「中津銀映」(なかつぎんえい)。

中津シネマ
Nakatsu Cinema
情報
正式名称 中津シネマ
旧名称 中津第一劇場
中津銀映
開館 1981年
閉館 2011年3月
設備 DOLBY STEREO
35mm映写機
用途 映画上映
所在地 871-0032
大分県中津市東本町1-1 ビッグパレスビル4階
最寄駅 中津駅
特記事項 開館年は2代目施設の開業年。
テンプレートを表示

沿革 編集

中津銀映の時代 編集

終戦後の1940年代後半、中津市仲町(後の同市島田町363-2)に「中津第一劇場」として設立される[1]。開館間もない1947年の時点では、中津市の映画館は当館を含めた5スクリーンが存在しており、大分市別府市よりも多かった[1]

その後1950年代後半に「中津銀映」と改称[2]。全国の映画館数がピークに達した1960年の時点では、中津市には銀映を含めた9館の映画館が存在したが[3][4]、同年以後になると一つまた一つと姿を消し、20年後の1980年(昭和55年)には中津銀映のみとなった[5]

複数スクリーンの時代 編集

1981年(昭和56年)、中津銀映は老朽化を機に同市島田町での営業を終え、JR中津駅前のビルに移転開館[6]。2スクリーン体制となって再オープンしたが、2000年平成12年)12月、大分市の大型商業施設「トキハわさだタウン」内にシネマコンプレックスのシネフレックス東宝11(現在のTOHOシネマズ大分わさだ)がオープンし、競争が激化したことから2002年(平成14年)4月21日に中津銀映は閉館[6]。同年7月20日に中津シネマ(なかつシネマ)[7]として改装オープンしたものの、東日本大震災が発生した2011年(平成23年)3月に閉館し、第一劇場時代から60年以上に及ぶ歴史を終えた。

以後中津市には映画館がなく、同市民としては別府市や大分市の他、隣県北九州市まで車や電車で映画鑑賞に行かなければならない状況だったが、令和改元後の2020年(令和2年)3月、イオンモール三光に8スクリーンのセントラルシネマ三光が開館し、9年ぶりに映画館が復活した[8][9]

施設概要 編集

スクリーン 座席数[10] 備考
1 176 銀映1時代は200席[6]
2 79 銀映2時代は90席[6]

脚注 編集

  1. ^ a b 『スタアの全国映画館名簿 昭和22年度版』スタア社、1947年。
  2. ^ 『映画年鑑 1958年版 別冊 映画便覧 1958』時事通信社、1958年。
  3. ^ 『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年
  4. ^ “大分)県北に念願のシネコン 8スクリーン、来年度中に”. 朝日新聞. (2019年1月25日). オリジナルの2019年1月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190125185928/https://www.asahi.com/articles/ASM1S4CYLM1STPJB00C.html 
  5. ^ 日本映画製作者連盟配給部会『映画館名簿 1980年』時事映画通信社、1979年
  6. ^ a b c d 「『中津銀映』閉館を惜しむ声に応え、来月にも改装オープン」『毎日新聞』2002年6月12日
  7. ^ 中津シネマについて”. 中津シネマ. 2019年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月14日閲覧。
  8. ^ “中津シネコン来年3月開館 イオンモール三光で起工式”. 西日本新聞. (2019年6月4日). オリジナルの2019年6月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190604175759/https://www.nishinippon.co.jp/item/n/515547/ 
  9. ^ “新型コロナ影響拡大 中津のセントラルシネマ三光、グランドオープン延期/大分”. 毎日新聞. (2020年3月8日). オリジナルの2020年3月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200314035431/https://mainichi.jp/articles/20200308/ddl/k44/040/117000c 
  10. ^  中津シネマ中津シネマのご案内 archive』(レポート)2000年9月https://web.archive.org/web/20080912084128/http://n-cinema.co.jp/modules/nakatsucinema/index.php?content_id=1