中澤佑二

日本の元サッカー選手 (1978-)

中澤 佑二(なかざわ ゆうじ、1978年2月25日 - )は、埼玉県吉川市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションディフェンダーセンターバック)。元日本代表。血液型はAB型[1]

中澤 佑二
日本代表での中澤佑二(2008年6月22日)
名前
愛称 ボンバーヘッド、ボンバー、ユウジ
カタカナ ナカザワ ユウジ
ラテン文字 NAKAZAWA Yuji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-02-25) 1978年2月25日(46歳)
出身地 埼玉県吉川市
身長 187cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF(CB)
利き足 右足
ユース
1996-1997 ブラジルの旗 アメリカFC
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2001 日本の旗 東京ヴェルディ 83 (5)
2002-2018 日本の旗 横浜F・マリノス 510 (31)
通算 593 (36)
代表歴2
1999-2000  日本 U-23 12 (0)
1999-2010 日本の旗 日本 110 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年12月1日現在。
2. 2010年9月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

恵まれた体格と勝負強さを持ち味とし、日本代表でも長年中心選手として活躍しており、出場数は歴代4位の110試合を記録している。また、2010 FIFAワールドカップの開幕前までキャプテンを務めていた(開幕時より長谷部誠に変更)。Jリーグでは、2012年9月29日の大宮戦から、フィールドプレーヤーとしてはトップの199試合に連続出場[2]。さらに2013年7月6日の大分戦から2018年8月15日の名古屋戦まで178試合連続フル出場という記録を持つ[3]

来歴 編集

プロ入り前 編集

サッカーを始めたのは小学校6年生とプロ選手の中では遅めだった[4]埼玉県立三郷工業技術高等学校はサッカーの名門校ではなかったために、卒業後Jリーグに売り込む価値を上げるべくブラジルへサッカー留学を計画する。ブラジルのサッカークラブ・アメリカFCに加入し、次第に練習試合などにも起用されるようになった。チームメイトにはジウベルト・シウバなどがいた。一年後にビザ更新の為日本に帰国したところクラブから必要書類が届かずブラジルでのプレーを断念した。

Jリーグの各クラブへ売り込みをかけたがどのクラブからも誘いは来ず、母校のサッカー部で在校生に混じって練習を続ける。1998年にヴェルディ川崎のユースチームとの練習試合で得点を挙げる活躍を見せ、これをきっかけに練習生契約での加入が決まる。練習生契約では給料は支払われず、必要費用をクラブに支払って練習に参加する。認められればプロと一緒に練習が出来るが、クラブからは交通費など金銭補助は一切無く自腹での練習参加の身となり、地元の埼玉県吉川市からヴェルディの練習場がある東京都稲城市まで(交通費は往復で約1800円)片道2時間かけて練習に参加していた。この時の待遇と経験は本人にとっても屈辱だったようで、プロの練習を横目に単調な反復の基礎体力練習に明け暮れ、練習に付き合ってくれたトレーナーと共に嘆息していた[5]

東京ヴェルディ 編集

1999年からプロ契約がきまった。同年のシーズン、3月13日、第2節のセレッソ大阪戦で初先発初出場を果たし、レギュラーポジションを獲得、同年の4月10日、第6節の名古屋グランパスエイト戦でプロ初ゴールとなる決勝点を決めるなど[6]、Jリーグ新人王に輝き、シドニー五輪をめざすトルシエ率いるU-23サッカー日本代表に招集され本大会にも出場した。

横浜F・マリノス 編集

2002年に横浜F・マリノスに移籍し、チーム初の2連覇(2003年2004年)と3ステージ連続優勝(2003年1st、2ndステージ完全制覇、2004年1stステージ)。2004年度にはJリーグMVPを受賞した。2006年のオールスターゲームでは、当時の日本代表GK川口能活から直接フリーキックを決め、DFとして初めてMVPを受賞した[7]。本人のインタビューによれば、直接フリーキックでのゴールは初めてとのこと[8]。 2013年から3年連続リーグ戦全試合出場、2015年10月ヴィッセル神戸戦にてJ1通算500試合出場を達成した[9]

2017年5月27日、J1リーグ第13節の清水エスパルス戦に出場し、J1通算550試合出場の記録を達成した[10]。6月25日、第16節のヴィッセル神戸戦で、フィールドプレーヤーでは阿部勇樹に並ぶ139試合連続、さらに17節の大宮アルディージャ戦でFP歴代1位となる140試合連続フル出場を果たした。

以前から「40歳になったら現役を退く」ことを度々表明していたが、2017年12月11日、チームとの契約更改終了後に、その方針通り翌2018年限りで引退する意向を改めて明らかにした[11]

2018年4月8日、第6節の川崎フロンターレ戦でシーズン初ゴールにしてシーズン唯一のゴールを決めた[12](現役最後のゴールとなった)。8月19日、第23節の鹿島アントラーズ戦で6年ぶりのベンチ外となり、フィールドプレイヤーでは最多となる2013年7月6日の大分トリニータ戦から続く連続フル出場記録を178試合でストップした。ベンチ外の理由は、アンジェ・ポステコグルー監督が中澤の疲労を考慮したため[13]。その後、試合に出場する事は無かったが、12月1日に行われた最終節のセレッソ大阪戦に約3ヶ月半ぶりに途中から試合に出場し、この試合キャプテンだった扇原貴宏からキャプテンマークを受け取りピッチに立った[14]

2019年1月8日、引退を発表[15]。横浜FMからは、契約延長のオファーを受けていたが、左膝の怪我の影響もありメディアで度々公言していた通り40歳での引退となった[16]

同年10月24日に開催されたJリーグ理事会において同年開催のJリーグアウォーズJリーグ功労選手賞の授与が決定した[17]

日本代表 編集

A代表を兼務するフィリップ・トルシエの下、U-23代表に選出され存在感を示すと、1999年9月8日に行なわれたイランとの親善試合でフル代表デビューを果たす。翌2000年に行なわれたAFCアジアカップ2000予選シンガポール戦で代表初得点を含む2得点。その後はシドニーオリンピックではレギュラーとして活躍し、AFCアジアカップ2000でも3試合に出場して優勝に貢献するなど、代表の常連となる。しかし2001年に入って怪我でコンフェデ杯を欠場すると、回復後もスランプに陥り、同ポジションの松田直樹の控えに甘んじる事が増える。それでも2002 FIFAワールドカップ本大会のメンバー入りは有力と思われていたが、メンバー発表前最後の試合であるアウェイのノルウェー戦にフル出場(同年唯一のAキャップ)するも0-3で敗れると、秋田豊のサプライズ選出に押し出され落選。

その後しばらくの間招集されることはなかったが、2003年にマリノスを年間優勝に導く活躍から代表へと復帰を果たす。復帰してからしばらくは控えであったものの、ジーコ監督が本格的に3バックを導入した頃からレギュラーとして出場することが増え、AFCアジアカップ2004ではグループステージのタイ戦で決勝点を含む2得点、バーレーンとの準決勝では敗戦の危機を救う同点ゴールを決めるなど、玉田圭司と並んでチームトップタイの3得点を記録する活躍で優勝の原動力となり、大会ベストイレブンに選出された。その後もレギュラーとして出場を続け、2006 FIFAワールドカップ本大会ではグループステージ全3試合にフル出場し、ブラジル戦では累積警告で出場停止になった宮本恒靖の変わりに主将を務めたが、決勝トーナメント進出はならなかった。

ワールドカップ終了後に日本代表から引退することを発表し、2006年内は代表戦に出場しなかったものの、2007年2月千葉県内で行われる日本代表候補合宿のオシムジャパン体制でメンバーに初選出され、代表復帰を果たした。その後は不動のレギュラーとして君臨し、2010 FIFAワールドカップでは田中マルクス闘莉王とともにセンターバックのコンビを組んでグループステージ3試合とノックアウトステージ1試合に先発出場し、日本代表の2大会ぶりとなる16強入りに貢献。大会終了後に公表されたFIFAの技術研究グループが作成した報告書では、空中戦の強さと視野の広さがあると評されている[18]彩の国功労賞を受賞。

日本代表では守備だけでなくセットプレーにおける得点源としても活躍し、通算得点数17は日本代表におけるDF登録の選手では史上最多記録である。

代表通算110試合で僅か警告5回、退場0回と、激しいプレーながらラフなプレーはほとんど無く[19]、カードを提示されることは非常に少なかった。

プレースタイル・評価 編集

身長187cmの恵まれた体格、相手選手との体のぶつけあいにも負けない強さ、ヘディングでのボールの取り合いの上手さを備えるディフェンダー[20]。浦和でプレーしたマルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケことエメルソンは、日本で最も苦戦を強いられた優れたDFとして名前を挙げた[19]

デンマークで発行されているワールドカップ専門雑誌『VM2010』において、1対1での守備力の高さや得点力を理由に、田中マルクス闘莉王と共に脅威的存在であると報道されている[21]

AFCアジアカップ2004では、主要な守備スタッツ7部門中5部門で日本代表1位を記録(サッカー解析システム「opta(オプタ)」より)[22]。同大会MVPには選ばれなかったが、メディアなどからは中澤をMVPに推す声もあった[22]

2020年4月、イギリスメディアの選ぶ21世紀の日本代表ベスト11に選ばれた[23]

所属クラブ 編集

ユース経歴
プロ経歴

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 V川崎 22 J1 28 1 2 0 3 1 33 2
2000 29 4 3 0 2 0 34 4
2001 東京V 26 0 2 0 0 0 28 0
2002 横浜FM 38 27 1 0 0 2 0 29 1
2003 22 29 4 7 2 2 0 38 6
2004 27 1 0 0 1 0 28 1
2005 27 3 3 0 1 0 31 3
2006 23 1 2 0 3 0 28 1
2007 32 2 7 0 1 0 40 2
2008 33 4 3 0 3 1 39 5
2009 32 3 3 0 1 0 36 3
2010 22 0 2 1 0 0 24 1
2011 33 1 5 0 5 0 43 1
2012 33 3 3 0 5 0 41 3
2013 34 1 8 0 3 1 45 2
2014 34 2 2 1 0 0 36 3
2015 34 0 3 0 3 0 40 0
2016 34 3 6 0 5 0 43 3
2017 34 1 0 0 2 0 36 1
2018 22 1 2 0 1 0 25 1
通算 ブラジル
日本 J1 593 36 63 4 43 3 699 43
総通算

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2004 横浜FM 22 2 0
2005 4 0
2014 5 0
通算 AFC 11 0

個人タイトル 編集

代表歴 編集

出場大会 編集

試合数 編集

  • 国際Aマッチ 110試合 17得点(1999年 -2010年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1999 1 0
2000 6 2
2001 2 0
2002 1 0
2003 4 0
2004 15 5
2005 12 1
2006 12 1
2007 13 2
2008 16 4
2009 14 2
2010 14 0
通算 110 17

ゴール 編集

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2000年2月13日   マカオ   シンガポール ○ 3-0 AFCアジアカップ2007 (予選)
2.
3. 2004年6月9日   日本埼玉   インド ○ 7-0 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
4.
5. 2004年7月24日   中国重慶   タイ ○ 4-1 AFCアジアカップ2004
6.
7. 2004年8月3日   中国済南   バーレーン ○ 4-3
8. 2005年8月7日   韓国大邱   韓国 ○ 1-0 東アジアサッカー選手権2005
9. 2006年2月10日   アメリカ合衆国サンフランシスコ   アメリカ合衆国 ● 2-3 国際親善試合
10. 2007年6月1日   日本袋井   モンテネグロ ○ 2-0 キリンカップサッカー2007
11. 2007年7月25日   ベトナムハノイ   サウジアラビア ● 2-3 AFCアジアカップ2007
12. 2008年1月30日   日本、埼玉   ボスニア・ヘルツェゴビナ ○ 3-0 キリンチャレンジカップ2008
13. 2008年2月6日   日本横浜   タイ ○ 4-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
14. 2008年6月2日   日本東京   オマーン ○ 3-0
15. 2008年6月14日   タイバンコク   タイ ○ 3-0
16. 2009年2月4日   日本、東京   フィンランド ○ 5-1 キリンチャレンジカップ2009
17. 2009年10月8日   日本静岡   香港 ○ 6-0 AFCアジアカップ2011 (予選)

エピソード 編集

  • 中澤の代名詞とも言える「ボンバーヘッド」は、元々は若手時代の髪型であるアフロヘアーに由来するが[24]、空中戦での強さ(特にヘディング)を示す意味もある[25]。なお30代になってからは毛根を気にしてアフロをやめた[26]。2009年からは自身のユニフォームの背中部分に入れる名前も「BOMBER」にしている[27]
  • 週刊ヤングマガジンに『中澤佑二物語』(塀内夏子原作)という漫画が不定期連載され、2009年に講談社より単行本化された。中澤のブラジル時代からのエピソードが描かれている。単行本化に際し受けたインタビューでは「本屋で見つけたら目立つように並べ替えたいくらいです」と語り、喜びを表した[28]
  • 2010年6月11日に放送されたアニメ「クレヨンしんちゃん」にサッカー仙人役で出演し、声優デビューを果たした[29]
  • 雑誌Athlete Safariが主催する『Athlete Dresser Award』で第1回、第2回と2年連続で、お洒落なアスリートとして表彰されている[30]
  • 2017年4月には、ITベンチャーのCLIMB Factory(クライムファクトリー)のスーパーバイザーに就任。同社が運営するスポーツ選手の健康管理用クラウドサービスの開発に参画し、自身のサッカースクールでの実証実験などを行うとしている[31]
  • 同学年でもある安室奈美恵の大ファン。ライブにも何度も足を運んだこともあり、まだ安室が『ポンキッキーズ』に出演していた1990年代からのファンで、ファン歴は20年を超える[32]。2017年9月に安室が翌年限りの引退を発表した際には、非常にショックを受けた様子を自身のブログに投稿した[33]。また、中澤は連続試合出場を特徴とした選手でもあるが、安室が精力的にライブ活動を行う姿勢を手本としていると語っている。

関連情報 編集

出演CM 編集

吹き替え 編集

テレビ番組 編集

  • ヒルナンデス!日本テレビ、2023年7月5日 - ) - 7月・8月水曜シーズンレギュラー
  • サッカーの園~究極のワンプレー~ (NHK BS1) 準レギュラー
  • 中澤裕二のラ・ラ・ラ ラクロス(tvk、2021年 - )

その他 編集

  • JAグループ「みんなのよい食プロジェクト 毎朝「飲む」ベジ活」(2020年)

著書 編集

  • 自分を動かす言葉ベストセラーズ、2013年。ISBN 9784584123928https://web.archive.org/web/20130304121749/http://www.kk-bestsellers.com/cgi-bin/detail.cgi?isbn=978-4-584-12392-8 
  • 下手くそダイヤモンド社、2014年。ISBN 9784478026816http://www.diamond.co.jp/book/9784478026816.html 

関連書籍 編集

注釈 編集

参考文献 編集

  1. ^ プロフィール 中澤佑二OFFICIAL WEB SITE
  2. ^ 中澤佑二氏 長女はラクロスで米留学中 サッカーを勧めなかった理由は「親譲りで…」”. スポーツニッポン (2021年7月28日). 2023年7月6日閲覧。
  3. ^ co.,Ltd, FromOne. “鉄人・中澤佑二、J1連続フル出場記録が178試合でストップ…鹿島戦はメンバー外 | サッカーキング” (日本語). サッカーキング. https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20180819/815427.html?cx_top=newarrival 2018年8月19日閲覧。 
  4. ^ プロフェッショナル 仕事の流儀 第113回 2009年3月17日放送。
  5. ^ 媒体などでこの頃を振り返る時もかなりトーンダウンで語っているが、自らの体験を踏まえ、実績がなくて無名であってもプロの門を叩く者らにエールを送っている。
  6. ^ 中澤 佑二-J.data
  7. ^ MVPは中澤(横浜FM)の手に!年に一度のJリーグの祭典にサポーターが酔いしれたJ's GOAL、2006年7月16日発行。
  8. ^ MVP賞を受賞した中澤佑二選手(EAST/横浜FM)の試合終了後のコメント、J's GOAL、2006年7月16日発行。
  9. ^ 横浜FMのDF中澤佑二、在籍15年目へ…小林祐三も契約更新 サッカーキング 2016年1月18日
  10. ^ 横浜F・マリノスDF中澤佑二、史上2人目のJ1通算550試合を達成! Goal.com日本語版 2017.5.27付記事
  11. ^ 【横浜M】中澤「サッカー選手としての集大成。全て出し切る」公言通り来季がラスト - スポーツ報知・2017年12月11日
  12. ^ 2018 J1リーグ 第6節-J.data
  13. ^ 横浜中澤連続出場ストップ 疲労考慮鹿島戦ベンチ外 日刊スポーツ 2018年8月19日
  14. ^ 中澤佑二、3ヶ月半ぶり復帰で「マリノスでプレーする喜び感じた」。去就は明言せず フットボールチャンネル 2018年12月1日
  15. ^ 中澤佑二選手 現役引退のお知らせ 横浜F・マリノス 2019年1月8日
  16. ^ 40歳中澤 現役引退へ 横浜から契約延長オファーも左膝などの状態上がらず決断 スポニチ 2019年1月8日
  17. ^ 功労選手賞 受賞選手決定のお知らせ』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2019年10月24日https://www.jleague.jp/release/post-61275/2019年10月24日閲覧 
  18. ^ ドリブル技術の高さ 空中戦の強さ FIFAが評価した日本代表3人 - スポニチ 2010年9月3日(2010年9月5日時点のアーカイブ
  19. ^ a b 悪童エメルソンが日本に謝罪&感謝。「中澤に俊輔、小野は超一流だ」-Number
  20. ^ 田嶋幸三『これだけは知っておきたい(30) サッカーの大常識』株式会社ポプラ社、2006年、130ページ、ISBN 4-591-09115-5
  21. ^ “得点源”中澤&闘莉王をデンマークが警戒 スポーツニッポン 2010.5.23付記事
  22. ^ a b 陰のMVP!中澤!! 守備7部門中5部門でトップ”. nikkansports.com. 2004年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月12日閲覧。
  23. ^ 英メディアが「21世紀の日本代表ベスト11」を選出! “海外未経験”でセレクトされた2選手は?”. SOCCER DIGEST Web (2020年4月29日). 2022年1月24日閲覧。
  24. ^ インタビュードキュメント 勝負の瞬間 第4回 - BS朝日
  25. ^ AWARD SUPPORTERS 中澤佑二(横浜F・マリノス) - TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD
  26. ^ 中澤佑二、ボンバーヘッド封印理由は「毛根の寿命」 - ORICON NEWS・2010年11月26日
  27. ^ 中澤佑二の「BOMBER」以外に変わったユニネームの選手がJ1にいるか調べてみた - Qoly・2015年4月30日
  28. ^ 週刊ヤングマガジン 2009年6月15日号
  29. ^ http://www.tv-asahi.co.jp/shinchan/contents/news/100601_a/
  30. ^ 田臥勇太や中澤佑二、宮﨑大輔らが「アスリートドレッサーアワード」を受賞
  31. ^ 横浜F・マリノスの中澤佑二、ICT企業のスーパーバイザーに就任 - exciteニュース・2017年4月7日
  32. ^ 横浜中澤、安室奈美恵引退ショック…嘘だと言って~ - 日刊スポーツ・2017年9月22日
  33. ^ 安室奈美恵が引退発表…大ファンの中澤佑二、ショック隠せず「嘘だと言って」 - SOCCER KING・2017年9月22日
  34. ^ 『スペース・プレイヤーズ』日本語吹き替え、元日本代表&芸人&レジェンド声優!”. シネマトゥデイ. 2021年7月28日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集

先代
川口能活
日本代表 キャプテン
2008年 - 2010年
次代
長谷部誠