中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日本ジャーナリストロシアソ連研究家。

人物・来歴 編集

大連市生まれ。長野県南佐久郡佐久穂町に育つ。長野県野沢北高等学校を経て、東京外国語大学ロシア語科国際関係課程卒業。時事通信社入社、本社経済部記者、シンガポールクアラルンプールモスクワ特派員、モスクワ支局長、外信部次長、整理部次長、外信部長、県立新潟女子短期大学国際教養学科教授、長岡短期大学教授長岡大学産業経営学部教授などを務めた。モスクワ勤務の期間は通算9年強。妻幸子(ゆきこ)との間に3人の子供がいる。長男は「なかざわひでゆき」の名前で、映画と音楽の評論執筆活動を行う(http://angeleyes.dee.cc/)かたわら、随時、TVチャンネル「WOWOWプライム」の木曜夕方の番組「ザ・プライムショー」に出演中。

現在は、日本対外文化協会理事。時事総合研究所客員研究員。東京ロシア語学院理事。ロシア・東欧学会会員。ユーラシア研究所運営委員。日本記者クラブ会員など。

2011年に上梓した「ロシア革命で活躍したユダヤ人たち─帝政転覆の主役を演じた背景を探る」は、「2017年11月7日のロシア革命100周年を念頭に企画・執筆し」(「はしがき」より)、ライフワークと位置づけた600ページを超す大作で、多くのメディアによって書評に取り上げられた[要出典]

その後は、「ソ連解体の真相を探る」をテーマに執筆や講演活動を行っている。1991年末のソ連解体に関しては、1999年に出版した「ベロヴェーシの森の陰謀」(潮出版社)でその分析を初めて試みたが、当時はまだ、陰謀の関係者[誰?]はそろって沈黙を決め込んだ。20年以上の年月が過ぎてようやく「解体の真相と遠因」を探る可能性が出てきた。「冷戦の勝者」米国はおろか日本でも、この20世紀最大の事件に関心を示す専門家は少ない(「悪の帝国」の消滅の原因など今さら詮索する必要はないとの考えが強い[要出典])ため、こうした状況に疑問を感じて、あえて、さらなる「真相解明」に努めている。ロシア(ソ連)側のみならず、カーター、レーガン、ブッシュ・シニア各政権のころの米国側資料も幅広く参考にしたユニークな研究として期待されている。[誰によって?] 「プーチンのロシア」の内政外交、北方領土問題にも、日常的に関心を寄せ、執筆、講演活動を続けている。

著書 編集

共著 編集

翻訳 編集

  • 『ゴルバチョフはこう語った』編訳. 潮出版社、1988.5.
  • スターリン』アレクス・ド・ジョンジュ 心交社、1989.3.
  • 『国際テロの研究 極秘の巨額資金に迫る』ジェームズ・アダムス 内藤恭介共訳. 心交社、1991.7.
  • 『瀕死の大国 ソ連経済闘争の研究』アンデーシュ・オスルンド 監訳. JICC出版局、1991.4.
  • 『エリツィンの手記 崩壊・対決の舞台裏』同朋舎出版、1994.5.
  • 『ゴルバチョフと運命をともにした2000日』アナトーリー・S.チェルニャーエフ 潮出版社、1994.4
  • 『ロシアの選択 市場経済導入の賭けに勝ったのは誰か』エゴール・T.ガイダル ジャパンタイムズ、1998.4.
  • 『ロシア闇の戦争 プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作を暴く』アレクサンドル・リトヴィネンコ、ユーリー・フェリシチンスキー 監訳. 光文社、2007.6.