中秋節

旧暦8月15日に行われる、東アジアの伝統的な行事のひとつ

中秋節(ちゅうしゅうせつ、拼音: Zhōngqiū jié)とは、東アジアの伝統的な行事のひとつで、旧暦農暦)の8月15日に行われる。グレゴリオ暦では9月または10月にあたる。とくに中華圏では春節清明節端午節とならぶ重要な行事であり、中華人民共和国中華民国台湾)のいずれも法定祝日になっている(香港マカオでは中秋節の翌日が祝日)。

中秋節
Mid-Autumn Festival1.JPG
香港・ヴィクトリア公園の花燈(2005年)
Moon Cakes.jpg
中国語
繁体字 中秋節
簡体字 中秋节
文字通りの意味 Mid-Autumn Festival
八月節
繁体字 八月節
文字通りの意味 Festival of the Eighth Month
朝鮮語
ハングル 추석
漢字 秋夕
ベトナム語
ベトナム語 Tết Trung Thu
チュノム 節中秋
フランス語
フランス語 Fête de la mi-automne
ロシア語
ロシア語 Праздник середины осени
ローマ字 '
スペイン語
スペイン語 Fiesta del Medio Otoño

中国編集

十五夜の月を鑑賞する慣習は古代中国に由来する。代には8月15日の月をうたった詩は多いものの、まだ中秋節という特定の節日があった形跡はなく、代にいたって中秋節が8月15日に固定された[1]。宋代随一の詩人、蘇軾(そしょく)は中秋の月を宝玉の皿にたとえた。「暮雲収め尽くして清寒(せいかん)溢(あふ)れ 銀漢(ぎんかん)声無く玉盤(ぎょくばん)を転ず」。南宋の『東京夢華録』や『夢粱録』には8月15日の中秋節に人々が月を鑑賞したり宴会を開いたりすることを記す[2][3]

なお、円仁入唐求法巡礼行記』に、八月十五日の節について「新羅にのみある節である」と記していることから[4]、中秋節が朝鮮から中国に伝わったという説がある(韓国起源説を参照)。

中華人民共和国では長らく中秋節は祝日ではなかったが、2008年から清明節端午節とともに祝日に加えられた[5]。当日、月餅を食べる慣習があるが、近年は月餅はひと月以上前から知人に配るようになったため、中秋当日までに月餅は食べ飽きてしまい、中秋当日には売れ残りを恐れて安売りされるという現象も起きている。

香港編集

香港の公衆休日は旧暦8月16日(中秋節の翌日)となっているが、幾つかの学校や会社は8月15日の午後から休みとする。人々は月餅を買う他、サトイモスターフルーツヒシを買ってお祝いをする。近年の香港では様々な新式月餅が起こり、特に冰皮月餅(アイス月餅)が流行している。夜には公園で市民がろうそくを灯し、灯籠を掛け、煲蠟(大量の液化したロウに水をかけ、水蒸気と火炎が盛り上がるさまを楽しむ)で遊ぶ者さえいる。しかし安全のため香港政府1990年代初頭より、厳しく取り締まっている。香港の主要な公園には、大小の灯籠を飾り、気分を盛り上げる。

銅鑼湾大坑では、火龍の舞を3日続けて行う。これは客家の習慣で、旧暦8月14日から16日の3日間続けて行い、災いを消し貧乏から逃れることを願う。また、年長者に長寿麵を、年少者に豬仔餅を送る習慣がある地区がある。

台湾編集

台湾では中秋節は重要な民俗行事であり、台湾の休日となる。月見しながら月餅やブンタン(文旦)を食べる習慣がある。地方文化としては、高雄市美濃区のにある客家(ハッカ)民族の集落では丸カモ(アヒル)を絞めて食べる習慣や、宜蘭では小麦粉を練って中に黒糖を塗って焼いた「菜餅」を食べる習慣がある。また、台湾南部ではおもち火鍋を食べる風習もある[6]。旧暦8月15日も「土地公」と「太陰星君」の誕生日で、当日に土地公と太陰星君は祀られる。土地公(福徳正神)は土地の守り神とされ、台湾の人々に広く親しまれている神様であると同時に、財神の役割も兼務し、土地公に五穀豊穣や商売繁盛や、家内安全までも願ってお祈りする。特に土地公にお餅をお供えする。もちもち、べたべたで、土地公が召し上がる時、長くて白い鬚に粘り着き、お金と幸運も序でに祈願者の身に粘着してきてもらう。台湾の農民は水田や畑のあぜ道で「土地公枴」という竹ざおを挿す。竹ざおをちょっと少し切り分け、クリップのようにウチカビと線香を挟んで、杖として、土地公に捧げる。

古くは太陽に対して、太陰と呼ばれる月を支配する神様は、太陰星君とうい女神である。一般的に不老不死の薬を盗んでぐっと飲み、月に昇る仙女、「嫦娥」とごちゃ混ぜになってしまったが、実際に関係がない。「月下老人」のような、太陰星君も縁結びの神様なのに、男女問わず良縁が求められることではない。昔ながら、男性は月に願って祀ることは許せていないから、月に向かって願い事を言うのは、女性専用儀式である。

1980年代中期から、中秋節の夜に屋外でバーベキューするという楽しみ方も増えている。その起源は諸説あるが、CMの影響や、お月見の最中に腹が減るからだと言われている。この習慣は、この年代の経済発展と生活の西洋化が、伝統的な風習まで影響を及ぼしたことを証明している。

嘉義で、中秋節の夕方の後、ブンタンを持ち、室内に居て、外に向かい、入り口の敷居で包丁でブンタンの頭の部分を切りながら、「ブンタンの頭を切り、盗賊の頭を切り」と唱え、泥棒が来ないように祈る。

博餅:台湾語はPo̍ah-piáⁿ「跋餅」である。跋はギャンブルという意味だ。鄭成功は満清王朝と厦門で戦っているところ、中秋節が来ると、部下や軍隊は家族と団らんできず、もっとホームシックになるので、博餅というゲームを発想して、皆楽しく遊んでいて、ホームシックを忘れたそうである。丼椀にサイコロを投げ、出た目の組み合わせによって、月餅は景品としてゲットする。主に離島の金門県で行い、台湾本土の一部地域もまだこの風習を守っている。

水汴頭澹仔火迎暗景:雲林県の崙背郷、二崙郷にいる詔安弁の客家語を話す客家民族は、中秋節の夜にたいまつ(トーチ)を持ち、町内を巡りの風習である。昔は防犯のため、パトロールしていたが、今はもうパレードになるイベントだった。

焼塔:日本のお火焚き祭りに似ている。離島の馬祖(連江県)で行う。軍事管理時期に、民間から夜の光を出すことは禁止され、一度絶えてしまったが、近年南竿郷の鉄板村で復活させた。レンガと瓦で組み合わせ、積み重ね、1~3メートル屋根が無い、井戸の形の塔が作り、上の口に可燃物を投げ入れ、燃えていた。古いことが去り、新しいことが迎えられるように願う。昔、捨てられた棺の板や便所の板など、竈(かまど)の燃料として燃えたら、不吉なので、中秋節の夜に集め、焼塔で燃やす。現代は、願い事や嫌なことを書いた短冊を塔に入れ、火を付け、燃やしていた。諸願成就や悪星退散や無病息災など願う。焚き上げられ、炎が立ち上る様子は圧巻である。炎が大きければ大きいほど、運勢が良いと言われる。

ベトナム編集

 
伝統的な五芒星の灯籠を持ち中秋節を祝うベトナムの子供たち

ベトナムでは、(ベトナム語Tết Trung Thu節中秋*?)または(ベトナム語Tết Trông trăng*?)と呼ぶ。これはクオイ(Cuội)の伝説が起源となっている。彼の妻はうっかり聖なるガジュマルの木に尿をして、木を冒涜してしまう。そしてその木の枝に座った時、木は成長を始め、とうとうクオイの妻を載せたまま月まで伸びてしまった。毎年中秋節の間、子供たちは灯籠を灯して行列を作り、クオイの妻に地上へ帰る道を教えている[7]。ベトナムの月餅は、無論丸いものもあるが、四角いものが多い。ベトナム由来のクオイの妻の物語の他に、嫦娥登竜門の伝説も広く語られる。

他の重要な行事は、中秋節の前や最中に行われる獅子舞である。獅子舞は、アマチュアの子どもチームと訓練されたプロの両方によって踊られる。獅子舞のグループは通りで踊り、家を訪れては踊ってもいいか尋ねる。もし許可があれば、獅子が家の中に入って踊り、家のために幸運を祈る。家主は感謝を込めて、ご祝儀の金銭を渡す。

中国と同じく、中秋節には月餅を食べる習慣がある。

ベトナムでは他の地域と違い、中秋節は子供の為の祭りと見なされている[8]。古来ベトナムでは子供は純粋で無邪気なため、聖なる自然の世界と近いとされていた。子供達の近くに居ることは精霊や神とつながる道とされた[9]。当日の晩、獅子舞の獅子を子供に買い与え、子どもは友達とそれで遊ぶ。また子供たちは、の灯籠を持って遊びに出かけるが、これは登竜門の故事にちなんでいる。

日本編集

中国から仲秋の十五夜に月見の祭事が伝わると、平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなくなどに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)でを詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。

現代では、月が見える場所などに、(すすき)を飾って月見団子里芋枝豆などを盛り、御酒を供えて月を眺める(お月見料理)。この時期収穫されたばかりの里芋を供えることから、十五夜の月を特に芋名月(いもめいげつ)と呼ぶ地方もある[10]。一方、沖縄ではふちゃぎ(吹上餅)を作って供えている。また仏教寺院では、豊作を祈る満月法会を催すところもある。

この他にも戦前から昭和中期にかけて(ところによって今日でも)、子供達が近隣の各家に供えてある月見団子や栗・柿・枝豆・芋・菓子類をその家人に見つからないように盗って回り、その年の収穫を皆で祈る(祝う)「お月見泥棒」という風習もあった(家人は子供たちの行いを見つけても見ない素振りをした)[10]

地方によっては中秋に綱引き相撲を行う[11]

沖縄県宮古島では、人頭税が課せられていた時代から、旧暦8月15日の十五夜に、その年の租税の完納を祝うとともに、翌年の五穀豊穣を願う豊年祭が各地で行われている[12]宮古島市上野村野原では、午前中に御嶽で礼拝し、夜には観月会をした後に青年男性の棒踊と婦人の輪踊りが行われるマストリャーという行事が行われ、国の選定無形民俗文化財に選定されている[13][14][15]

朝鮮編集

韓国では、旧暦8月15日に行う秋夕(チュソク、朝鮮語: 추석)という、中秋節の行事があり、日本のお盆と同様に墓参りなどを行う。朝鮮民主主義人民共和国でも祝日になる。

脚注編集

  1. ^ 王蘭蘭「中秋節起源与形成新論」『寧夏社会科学』第173巻、2012年、 134-139頁。
  2. ^ 『東京夢華録』巻8・中秋
  3. ^ 呉自牧『夢粱録』巻4・中秋
  4. ^ 円仁『入唐求法巡礼行記』巻2。「(開成四年(839年)八月)十五日、寺家設餺飩餅食等、作八月十五日之節。斯節諸国未有、唯新羅国独有此節。老僧等語云:新羅国、昔与渤海相戦之時、以是日得勝矣。仍作節楽而喜儛、永代相続不息。設百種飲食、歌儛管絃、以昼続夜、三箇日便休。」
  5. ^ 「清明端午中秋 各放假1天」 『人民日报海外版』 、2007年12月17日http://paper.people.com.cn/rmrbhwb/html/2007-12/17/content_34030983.htm 
  6. ^ 台北市立圖書館-熱門主題:與月為伴 愉閲中秋 Archived 2013年9月21日, at the Wayback Machine.
  7. ^ familyculture.com tettrungthu
  8. ^ Lee, Jonathan H.X.; editors, Kathleen M. Nadeau, (2010). Encyclopedia of Asian American folklore and folklife. Santa Barbara, Calif.: ABC-CLIO. p. 1180. ISBN 0313350663 
  9. ^ Cohen, Barbara (1995年10月1日). “Mid-Autumn Children's Festival”. 2013年1月21日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年11月10日閲覧。
  10. ^ a b 「年中行事事典」p65 1958年5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
  11. ^ 「十五夜」日本大百科全書小学館https://kotobank.jp/word/%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%A4%9C-76962 コトバンク
  12. ^ 「十五夜」各地で豊年祭 宮古新報、2017年10月5日
  13. ^ 野原のマストリヤー - 文化遺産オンライン(文化庁
  14. ^ 野原のマストリャー (のばるのますとりゃー)、最新版 沖縄コンパクト事典、2003年3月、琉球新報社
  15. ^ 上野野原伝統のマストリャー 十五夜で豊年願い踊る 宮古新報、2017年10月6日