中華帝国

中国の歴史上における帝国的な王朝

中華帝国(ちゅうかていこく)また中華王朝(ちゅうかおうちょう)とは、以下二つの意味を指す:

北宋の位置関係
南宋の位置関係

宋王朝の特殊性

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漢民族北宋遊牧民族西夏に対して多額の歳幣を支払っていて、事実上の属国になっていた。北宋はを利用して遼を倒したが、結局は金とも対立。北宋は戦闘で敗北し首都の開封や広大な領土を失い南部へ逃走、南宋となった。これは宋金戦争と言い、金の軍力は完全に南宋を超えて、自らの事を中国と宣伝した。漢民族が建てた宋は弱かったものの、以降のなどの中華王朝から「正統的な中国」と見られ、軍事力の強い契丹女真など異民族が建てた国は「中国の正統では無い」と認識されていた。元と清は自らも異民族の王朝であるが、漢民族の正統性を尊重した。

 
北魏〜陳

脚注

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  1. ^ [1]NHK高校講座世界史第6回 中華帝国の形成、監修:佐川英治
  2. ^ 世界大百科事典「東アジア」平凡社、コトバンク(朝日新聞社)
  3. ^ 檀上寛『天下と天朝の中国史』〈岩波新書〉2016年8月19日、P1〜5頁。