中華民国海軍
中華民国海軍(ちゅうかみんこくかいぐん、中華民國海軍、英語: Republic of China Navy)は中華民国(台湾)の海軍である。
中華民國海軍 Republic of China Navy | |
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![]() 海軍旗 | |
活動期間 | 1913年~ |
国籍 | ![]() |
軍種 | 海軍 |
兵力 | 38,000 人 |
上級部隊 | ![]() |
基地 | ![]() 台北市中山区北安路305号 |
標語 | 忠義 |
彩色 | 白色 |
行進曲 | 海軍軍歌 |
主な戦歴 | 北伐 日中戦争 国共内戦 |
指揮 | |
現司令官 | ![]() |
概要編集
中華民国海軍の主な任務は、台湾本土を始めとする領土とシーレーンを、中国人民解放軍海軍による攻撃、侵入および封鎖から防衛することである。
なお、海軍が海上警察業務を兼ねたり海上警察組織を傘下に置いたりする国々は多いが、台湾では海上警察業務は海軍ではなく、日本の海上保安庁にあたる海巡署が独立して担当している。
作戦活動は台湾海峡および周辺海域の哨戒があり、これは戦時の反撃や対抗作戦と同様に重要視されている。
保有する艦艇の接頭語は ROCS (Republic of China Ship) となる。以前は CNS (Chinese Navy Ship) が使用された。
歴史編集
1911 - 1949編集
国共内戦に敗れて台湾へ撤退するまで、中華民国は中国大陸を統治し、海軍は中国沿岸海域や船舶の航行が可能な大河で活動していた。中華民国成立後は経費不足、軍閥の割拠に加えて列強による武器禁輸政策によって、中華民国海軍の発展は停滞期に入る。北伐終了後“十年建設”期間において、海軍は比較的大規模な建艦計画を立てた。その頃、中華民国は第一次世界大戦で戦勝国となり、当時の海軍は戦利艦を獲得した。
中華民国建国後間も無く、引き続き海軍を発展させるために海軍署を創設。1920年の尼港事件では、アムール川を下った中国艦艇が、ニコラエフスクの日本軍兵営を砲撃する事件を起こしている[1]。1928年の北伐勝利後に中央政府は海軍署を海軍部に昇格、軍務、艦政、軍械、海政、軍学、経理等六部が含まれ、更に海軍の増強を開始した。初期の艦隊は艦船約44隻、総排水量3万tあまりだったが、支那事変(日中戦争)勃発直前には艦船58隻、5万tあまりまで増加していた。日中戦争勃発後は経費節減のため、中央政府は海軍部を海軍総司令部に降格。日本軍の攻撃による損害は甚だしく、沿岸部を喪失した海軍は僅かに残された砲艦で河川や湖に機雷を敷設し、日本軍が河川を利用して軍隊や補給物資が中国奥地まで運ぶのを阻止するだけだった。
1949 - 20世紀後半編集
日中戦争終結後、中華民国は日本より数十隻の艦船を接収した。さらにアメリカから揚陸艦20隻余り、護衛艦数隻とイギリス海軍から軽巡洋艦一隻の譲渡もしくは貸与を受けて海軍の再建を果たした。しかし国共内戦が勃発し、海軍の一部が長江から撤退すると、大量の海軍軍人が国民政府に反旗を翻して主力艦の「重慶」や日本から接収した砲艦などの船ごと中国共産党へ投降した(重慶号事件及び第二艦隊叛乱事件)。1950年の国民政府台湾撤退に前後して、海軍艦隊は不利な状況下で舟山群島、海南島、大陳島など中国大陸沿岸の島々から撤退を行った。
台湾海峡の中国大陸側にある金門島、馬祖島と、南シナ海の東沙諸島と太平島は中華民国の実効支配下で保持されたものの、中華民国海軍の主任務は台湾(澎湖諸島など周辺島嶼を含む)の防衛となった。
1952年、中華民国海軍は駆逐、巡防、掃雷、登陸、後勤等の艦隊に改変した。
21世紀編集
台湾は四方を海に囲まれており、海軍の重要性は日に日に増している。したがって引き続きアメリカの退役艦を取得や艦隊の増強、並びに兵器の更新を行っている。また、老朽化が著しい潜水艦については[2]、2017年に自主建造(国産化)する方針が打ち出され[3]、2020年11月に最初の艦が着工した。8隻建造を目指している[4]。さらに現有1隻だけの沱江級コルベットを2019年から順次、11隻量産する計画である。このように現在、海軍は国家の安全保障のために次世代の戦力増強を目指している。
組織編集
全般を統括する中華民国国防部海軍司令部の下、以下の主な部隊・機関がある。
- 内部組織
- 政治作戦部
- 督察室
- 人事軍務処(人事署及び軍務署が合併したもの。以下も皆以前は「署」としていた。)
- 軍事情報処(元・情報署)
- 戦備訓練処(元・作戰署)
- 後勤(兵站)処(元・後勤署)
- 計画処(元・計画署)
- 戦闘システム処
- 主計処
装備編集
艦艇編集
2015年4月時点。一部『Jane's Fighting Ships』参照。
過去に就役した艦艇については「中華民国海軍艦艇一覧」「台湾海軍艦艇一覧」を参照。
- 海龍級×2隻
- 海龍(SS-793 Hai-Lung) - 1987年
- 海虎(SS-794 Hai-Hu) - 1988年
- 旧・米テンチ級ガピー2改修型×2隻
- 旧・米キッド級×4隻
- 基隆(DDG-1801 Kee-Lung) - 2005年再就役
- 蘇澳(DDG-1802 Sua-O) - 2005年再就役
- 左営(DDG-1803 Tso-Ying) - 2006年再就役
- 馬公(DDG-1805 Ma-Kung) - 2006年再就役
- 成功級(米O・H・ペリー級改型)×8隻
- 成功(PFG-1101 Cheng-Kung) - 1993年
- 鄭和(PFG-1103 Cheng-Ho) - 1994年
- 繼光(PFG-1105 Chi-Kuang) - 1995年
- 岳飛(PFG-1106 Yueh-Fei) - 1996年
- 子儀(PFG-1107 Tzu-I) - 1997年
- 班超(PFG-1108 Pan-Chao) - 1997年
- 張騫(PFG-1109 Chang-Chien) - 1998年
- 田單(PFG-1110 Tien-Tan) - 2004年
- 旧・米オリバー・ハザード・ペリー級×4隻[7]
- 康定級(仏ラファイエット級改型)×6隻
- 康定(PFG-1202 Kang-Ding) - 1996年
- 西寧(PFG-1203 Si-Ning) - 1996年
- 昆明(PFG-1205 Kun-Ming) - 1997年
- 迪化(PFG-1206 Di-Hua) - 1997年
- 武昌(PFG-1207 Wu-Chang) - 1997年
- 承德(PFG-1208 Chen-Te) - 1998年
- 濟陽級(旧・米ノックス級)×6隻
- 濟陽(FFG-932 Chin-Yang) - 1993年再就役 - 2015年5月1日退役
- 鳳陽(FFG-933 Fong-Yang) - 1993年再就役
- 汾陽(FFG-934 Feng-Yang) - 1993年再就役
- 蘭陽(FFG-935 Lan-Yang) - 1995年再就役
- 海陽(FFG-936 Hae-Yang) - 1995年再就役 - 2015年5月1日退役
- 淮陽(FFG-937 Hwai-Yang) - 1995年再就役
- 寧陽(FFG-938 Ning-Yang) - 1999年再就役
- 宜陽(FFG-939 Yi-Yang) - 1999年再就役
- 沱江 (PGG-618 Tuo-Jiang) - 2015年3月31日就役
- 塔江 (PGG-619 Ta Chiang) -2020年12月15日 進水式
- FACG-61-66、68-75、77-93
- 錦江級×12隻
- 錦江(PGG-603 Jin-Chiang) - 1994年
- 淡江(PGG-605 Tan-Chiang) - 1999年
- 新江(PGG-606 Hsin-Chiang) - 1999年
- 鳳江(PGG-607 Feng-Chiang) - 1999年
- 曾江(PGG-608 Tseng-Chiang) - 1999年
- 高江(PGG-609 Kao-Chiang) - 1999年
- 金江(PGG-610 Jing-Chiang) - 2000年
- 湘江(PGG-611 Hsian-Chiang) - 2000年
- 資江(PGG-612 Tsi-Chiang) - 2000年
- 溌江(PGG-614 Po-Chiang) - 2000年
- 昌江(PGG-615 Chan-Chiang) - 2000年
- 珠江(PGG-617 Chu-Chiang) - 2000年
- ドック型揚陸艦(LSD)
- 旧・米アンカレジ級×1隻
- 旭海(LSD-193 Shiu-Hai) - 2000年再就役
- 戦車揚陸艦(LST)
- 旧・米ニューポート級×2隻
- 旧・米LST1 & 512級×6隻
- 中建(LST-205 Chung-Chien)、中訓(LST-208 Chung-Shun)、中啓(LST-218 Chung-Chi)、中明(LST-227 Chung-Ming)、中邦(LST-230 Chung-Pang)、中業III(LST-231 Chung-Yeh)
- 旧・米LST512級×1隻
- 高雄(LCC-1 Kao-Hsiung) - 1957年再就役[8]
- 汎用揚陸艇(LCU)
- 旧・米LCU-1610級×12隻
合成(497 Ho-Fong)、合功(498 Ho-Hu)、合群II(481 Ho-Shun)、合川II(489 Ho-Chuan)、合潮II(406 Ho-Chao)、合永III(495 Ho-Yung)、合茂II(492 Ho-Mou)、合壽II(493 Ho-Shou)、合春II(494 Ho-Chun)、合耀II(403 Ho-Yao)、合貞II(486)、合忠II(484 Ho-Chung)
このうち合川II(489 Ho-Chuan)、合茂II(492 Ho-Mou)、は機雷敷設艇に改造され、2014年7月16日海軍第192艦隊機雷作業大隊に配備された。[9]
- 車両兵員揚陸艇(LCVP)
- ARP1000 & 2000 & 3000型×100隻
- 攻撃輸送艦
- 雲峰級×3隻
- 雲峰(524 Yuen-Feng) - 1982年
- 武岡(525 Wu-Kang) - 1984年
- 新康(526 Hsin-Kang) - 1988年
- 機雷掃討艇
- 永豊級×4隻
- 永豊(1301 Yung-Feng)、永嘉(1302 Yung-Chia)、永定(1303 Yung-Ting)、永順(1305 Yung-Shun)
- 沿岸機雷掃討艇
- 旧・米オスプレイ級×2隻
- 永靖 (MHC-1310 Yung Jin)、永安 (MHC-1311 Yung An)
- 旧・米アグレッシブ級×4隻
- 永陽(1306 Yung-Yang) - 1994年再就役
- 永慈(1307 Yung-Tzu) - 1994年再就役
- 永固(1308 Yung-Ku) - 1994年再就役
- 永徳(1309 Yung-Teh) - 1994年再就役
- 沿岸掃海艇
- 旧・米MSC268級×4隻
- 永川(158 Yung-Chuan)、永福(162 Yung-Fu)、永仁(167 Yung-Ren)、永綏(168 Yung-Sui)
- 測量艦
- 達観(AGS-1601 Ta-Kuan) - 1995年
- 補給艦
- 武夷(AOE-530 Wu-Yi) - 1990年
- 磐石(AOE-532 Pan-shi) - 2015年
- 救難艦
- 旧・米ダイバー級救難艦×2隻
- 大湖(ARS-552 Ta-Hu) - 1977年再就役
- 大屯(ARS-556 Ta-Hu) - 1999年再就役
- 浮ドック
- 各型×6隻
- 海壇(AFDL1 Hay-Tan)、金門(AFDL2 Kim-Men)、南日(AFDL3 Han-jih)、服務5(ARD5 Fo-Wu 5)、服務6(ARD6 Fo-Wu 6)、服務7(ARD7 Fo-Wu 7)
- 旧・米チェロキー級×5隻
- 大萬(ATF551 Ta-Wan)、大漢(ATF553 Ta-Han)、大岡(ATF554 Ta-Kang)、大峰(ATF555 Ta-Fung)、大台(ATF563 Ta-Tai)
- 港内曳船
- 各型×11隻
- YTL16-17、27-30、32-36
- 大型港内曳船
- 各型×19隻
- YTB37-39、41-43、45-49、150-157
航空機編集
2020年6月時点。
- ドローン
銳鳶ドローン × 26機
- 回転翼機
章編集
旗編集
脚注編集
- ^ 外務省 『日本外交文書 大正9年』第一冊下巻p773
- ^ 就役から71年 海軍の米製潜水艦、報道陣に公開/台湾 フォーカス台湾(2017年1月19日)2017年3月28日閲覧
- ^ 台湾の蔡総統、潜水艦の独自建造計画を発表 AFP(2017年3月21日)2017年3月28日閲覧
- ^ “台湾が建造開始の潜水艦隊、中国の侵攻を数十年阻止できる可能性”. CNN (2021年1月16日). 2021年1月16日閲覧。
- ^ 「匿蹤迅速 機動打撃─海軍海蛟大隊海蛟一中隊」『青年日報』サイト(2019年2月4日閲覧)。
- ^ 海軍海鋒大隊中華民国海軍公式サイト(2019年2月4日閲覧)。
- ^ 米国、台湾にミサイルフリゲート4隻売却へ 中央社フォーカス台湾, 2014/12/06
- ^ 旗艦任務用。
- ^ 「機雷敷設艇に改造された 台湾版『米LCU-1610』級揚陸艇」、『世界の艦船』第814号、海人社、2015年5月、 134-135頁
- ^ 「台湾 無人偵察機部隊を初公開」『産経新聞』2019年1月26日(国際面)2019年2月4日閲覧。
参考文献編集
- Jane's Fighting Ships 2011-1-2012