中華民国海軍(ちゅうかみんこくかいぐん、中華民國海軍、英語: Republic of China Navy)は、中華民国台湾)の海軍である。1911年の辛亥革命を受けての成立時点では清国海軍の後継組織だったが、国共内戦に敗れた中華民国は1949年〜1950年に中国大陸の支配権を一部の沿岸島嶼を除き喪失した。以降は、台湾国民政府及びその後継政権の海軍として存在しており、「台湾海軍」と呼称されることもある[1]

中華民國海軍
Republic of China Navy
Flag of the Republic of China.svg
海軍旗
活動期間1913年
国籍中華民国の旗 中華民国
軍種海軍
兵力38,000 人
上級部隊ROC Ministry of National Defense Flag.svg 中華民国国防部
基地 中華民国台湾
台北市中山区北安路305号
標語忠義
彩色白色
行進曲海軍軍歌
主な戦歴北伐
日中戦争
国共内戦
指揮
現司令官ROCN Admiral's Flag.svg 劉志斌

現状編集

21世紀初頭の中華民国海軍の主な任務は、台湾本土や実効支配下にある離島からなる領土とシーレーンを、中国人民解放軍海軍による攻撃、侵入および封鎖から防衛することである。

なお、海軍が海上警察業務を兼ねたり海上警察組織を傘下に置いたりする国々は多いが、台湾では海上警察業務は海軍ではなく、日本の海上保安庁にあたる海巡署が独立して担当している。

作戦活動は台湾海峡および周辺海域の哨戒があり、これは戦時の反撃や対抗作戦と同様に重要視されている。中国による台湾を孤立させるための国際社会への圧力や外洋軍事進出に対応して、軍艦の自主開発・建造や台湾東部海域での作戦能力向上を図っている[1]。保有する艦艇の接頭語は ROCS (Republic of China Ship) となる。以前は CNS (Chinese Navy Ship) が使用された。

他国の海兵隊に相当する中華民国海軍陸戦隊を有する。

歴史編集

1911年 -(中国海軍)編集

 
1914年の中華民国軍艦の識別図

国共内戦に敗れて台湾へ撤退するまで、中華民国は中国大陸を統治し、海軍は中国沿岸海域や船舶の航行が可能な大河で活動していた。

中華民国建国後間も無く、清国海軍の装備と人員を引き継いだ中華民国政府は引き続き海軍を発展させるために海軍署を創設。1913年の第二革命では北洋政府の指揮下で革命勢力と交戦し、鎮圧に貢献した。 だが1917年の護法運動(第三革命)において海軍総長の程璧光が麾下の第一艦隊を率いて孫文率いる広東政府に合流したため中華民国海軍は北洋政府の北洋海軍と広東の護法艦隊の二つに分裂した。 さらに経費不足、軍閥の割拠に加えて列強による武器禁輸政策によって、中華民国海軍の発展は停滞期に入る。その頃、中華民国は第一次世界大戦戦勝国となり、海軍はドイツ帝国の河用砲艦戦利艦として獲得した。

シベリア出兵中の1920年に起きた尼港事件では、アムール川を下った中国艦隊が、ニコラエフスクの日本軍兵営を砲撃する事件を起こしている[2]。この艦隊は1929年の中ソ紛争で壊滅した。

1928年北伐勝利後に中央政府は海軍署を海軍部に昇格させた。軍務、艦政、軍械、海政、軍学、経理の六部が含まれ、更に“十年建設”期間において、海軍は比較的大規模な建艦計画を立てた。初期の艦隊は艦船約44隻、総排水量3万tあまりだったが、支那事変日中戦争)勃発直前には艦船58隻、5万tあまりまで増加していた。だが、日中戦争勃発後は経費節減のため、中央政府は海軍部を海軍総司令部に降格。日本軍の攻撃による損害は甚だしく、大型艦艇と沿岸部の領土のほぼ全てを喪失した海軍は僅かに残された砲艦で河川や湖に機雷を敷設し、日本軍が河川を利用して軍隊や補給物資が中国奥地まで運ぶのを阻止するだけだった。

1940年には汪兆銘南京対日融和的な政権を樹立し、重慶とは別の「中華民国海軍(和平建国軍海軍)」を設立した。しかしこの海軍は小規模なもので、また汪が自らの軍隊が戦争に加わるのを避け続けたため、目立った事績のないまま当人の死と日本の敗戦で消滅。民国海軍は蒋介石の下に統合された。

主な構成編集

国民党政権下では中華民国海軍は主に四つの海軍で成り立っていた。 日中戦争直前の状況は以下の通り[3]

中央海軍(馬尾系)

  • 第一艦隊
  • 第二艦隊
    • 砲艦 - 13隻:楚有、楚泰、楚同、楚謙、楚觀、江元、江貞、永綏、民生、民權、咸寧、德勝、威勝
    • 河川砲艦 - 2隻:江鯤、江犀
    • 水雷艇 - 4隻:湖鵬、湖鷹、湖鶚、湖隼
  • 練習艦隊
  • 巡防艦隊
  • 測量隊

東北海軍青島系)

広東海軍黄埔系)

軍政部電雷学校(電雷系)軍事委員会直属

  • 電雷学校快艇大隊
    • イギリス製CMB魚雷快艇 - 8艘
    • ドイツ製製Sボート魚雷艇 - 3艘

自国製軍艦は逸仙や砲艦などごく僅かで殆どはイギリス製やドイツ製、日本製が混在していた。

有名な軍艦編集

  • 永豊(中山)護法運動の混乱の中で孫文を匿い、蒋介石による共産党弾圧(中山艦事件)の舞台になり、日中戦争で戦没。20世紀末に浮揚・保存された。
  • 寧海、平海:日本の技術協力で設計・建造された。しかし就役直後に日中関係が悪化し、2隻とも日本軍に撃沈され、浮揚後は日本海軍で使用され戦没した。
  • 逸仙:初の純国産の軍艦。日本軍による接収と戦後の返還を経て国民政府の遷台後も使用される。
  • 永績:清国海軍、中華民国海軍、和平建国軍海軍中国人民解放軍海軍と所属を転々して半世紀以上使用された砲艦

1945年 -(国共内戦の当事者)編集

1945年、日中戦争の勝利により、中華民国は日本より賠償として数十隻の艦船を接収した。さらにアメリカ合衆国イギリスからも艦艇の譲渡もしくは貸与を受けて海軍の再建を果たした。陣容は以下の通り[4]。。

  • 軽巡洋艦 - 1隻:重慶 ※旧・英『オーロラ
  • 駆逐艦 - 8隻:靈甫 ※旧・英『メンディップ』、丹陽 ※旧・日『雪風』、信陽 ※旧・日『初梅』、華陽 ※旧・日『』、瀋陽 ※旧・日『波風』、汾陽 ※旧・日『宵月』、衡陽 ※旧・日『』、恵陽 ※旧・日『
  • 護衛駆逐艦 - 6隻:旧・米エヴァーツ級及びキャノン級
  • 海防艦 - 17隻:旧・日『対馬』、『屋代』など
  • LST揚陸艦 - 3隻
  • LSM揚陸艦 - 10隻
  • LCU揚陸艇 - 8隻
  • その他砲艦・巡防艦多数:旧・米『ウェーク』、旧・イタリア『レパント』、旧・日『宇治』、『逸仙』、『永績』など

しかし国共内戦が再発し、戦況が共産側に有利になると、大量の海軍軍人が国民政府に反旗を翻して主力艦の「重慶」や日本から接収した砲艦などの船ごと中国共産党へ投降した(重慶号事件及び第二艦隊叛乱事件)。その後、粛軍を行って態勢をなんとか立て直した(中華民国海軍白色恐怖事件中国語版)。 1950年国民政府台湾撤退に前後して、海軍艦隊は不利な状況下で舟山群島海南島大陳島など中国大陸沿岸の島々から撤退を行った。また艦隊は、北京の故宮の文物の台北疎開にも従事した。

台湾海峡の中国大陸側にある金門島馬祖島大陳列島と、南シナ海東沙諸島太平島は中華民国の実効支配下で保持されたものの、中華民国海軍の現実的な主任務は台湾(澎湖諸島など周辺島嶼を含む)の防衛となった。だがトルーマン政権のアメリカとの外交関係は冷え込んでおり、台湾もいずれ陥落する恐れがあった。

有名な軍艦編集

  • 重慶:旧イギリス海軍巡洋艦オーロラ。中華民国海軍の旗艦だったが1949年1月25日に反乱を起こし共産党軍に投降。

1950 -(事実上の台湾海軍)編集

1950年に朝鮮戦争が始まると、アメリカは極東政策を転換。一時は見捨てる(アチソンライン)かに見えた台湾の中華民国政府アジア反共勢力の一員として支援する方向に切り替えた。アメリカは中華民国に第二次世界大戦時の軍艦を大量に供与。また第7艦隊を支援に充てて、中華人民共和国へ強い圧力をかけ続けた。

海軍を含む軍隊が大陸沿岸のわずかに残った島嶼を死守している間、蒋介石は大陸反攻の意思を捨てていなかった。閉関政策により中国大陸への海上封鎖を宣言。共産党支配下の港へ寄港しようとする第三国船籍の船舶を拿捕した他、大陸沿岸への襲撃作戦を実施した(東山島戦役など)。 蒋介石は中華民国海軍もいずれはアメリカの支援の下で(第二次世界大戦のノルマンディーや朝鮮戦争の仁川のような)中国本土上陸作戦を行うものと捉えていた。しかしソビエト連邦と中共が核兵器を保有すると、大陸反攻はキューバ危機のように連鎖的に世界を核戦争に突入させるリスクのある行為となり、アメリカはそのような状況を望まなくなった。米中全面衝突を望まないのは実のところ毛沢東も一緒だった。こうして(中ソ対立で毛沢東が海軍拡張を後回しにしなければならなくなったことも手伝って)、1960年代後半に入ると、1965年に発生した偶発的な東引海戦東山海戦海戦を除くと台湾海峡には暗黙の休戦状態が成立した。

1971年、中華民国は中国の国連代表権を失った。米中国交樹立に伴う対米断交もあって中華民国の地位は非常に不安定になった。中華民国は、蒋介石の跡を継いだ新総統蒋経国の下で、軍事戦略を攻勢主義から「攻守一体」に転換。1988年、李登輝に代替わりするまでの間に、大陸反攻の方針は段階的に放棄されていった。

この間、中華民国海軍は大型艦艇の国産ができず、防衛装備の供給をほぼアメリカに依存していた。しかし歴代のアメリカ政権は二つの中国政府との関係を常に気にする立場にあったので、提供される装備は常にその時点での米海軍の型落ち(ベンソン級フレッチャー級ノックス級キッド級ニューポート級)やダウングレード品(シコルスキー S-70ヘリコプター、シーチャパラルミサイル)だった。潜水艦の新規供与は拒否され続け、テンチ級が21世紀に入るまで運用されていた。中華民国海軍はフレッチャー級やギアリング級など第二次大戦型の駆逐艦も改装に改装を重ねて運用していた(武進改装)が、中華人民共和国が1980年代に改革開放で長い経済低迷から脱すると、中華民国も軍備旧式化の改善の必要性を認識。冷戦が終わり、第三次台湾海峡危機が起きると過度な対米依存のリスクも顕わになって、イスラエルガブリエル対艦ミサイルフランスラ・ファイエット級フリゲート康定級フリゲート)など、アメリカ以外の国の装備が海軍にも加わるようになった。

有名な軍艦編集

  • 太平…終戦直後に中華民国海軍に引き渡され、太平島進駐に参加。1949年の古寧頭戦役で活躍するも1954年の第一次台湾海峡危機で戦没。
  • 丹陽…かつての日本海軍駆逐艦雪風」。1948年から1966年まで、中華民国海軍の総旗艦を務めた。1970年解体。一部部品のみが現存する。
  • 咸陽…かつての日本国海上自衛隊護衛艦はたかぜ」。
  • 康定級フリゲート…フランスのラ・ファイエット級フリゲートの中華民国向け輸出型。購入を巡ってフランスを巻き込んだ一大政治スキャンダル(台湾フリゲート事件)が発生した。
  • 基隆級駆逐艦…旧米キッド級駆逐艦。中華民国はイージス艦を求めたが、一段階能力に劣る本級が供与された。

21世紀編集

2000年に成立した陳水扁政権は軍事戦略を「有効嚇阻・防衛固守」と定義付け、「制空・制海・地面防衛」「縦深打撃・早期警戒・情報優先」「境外決戦」の三つの柱を据えた。従って21世紀の中華民国海軍は大陸反攻ではなく、人民解放軍による台湾封鎖への対処と着上陸侵攻の撃破を主任務としている。

台湾は四方を海に囲まれており、海軍の重要性は日に日に増している。したがって引き続きアメリカの退役艦の取得や艦隊の増強、並びに兵器の更新を行っている。また、老朽化が著しい潜水艦については[5]、2017年に自主建造(国産化)する方針が打ち出され[6]、2020年11月に最初の艦が着工した。8隻建造を目指している[7]台湾国産防御潜水艦)。さらに現有1隻だけの沱江級コルベットを2019年から順次、11隻量産する計画である。このように現在、海軍は国家の安全保障のために次世代の戦力増強を目指している。

組織編集

 
中華民国国防部海軍司令部

全般を統括する中華民国国防部海軍司令部の下、以下の主な部隊・機関がある。

参考資料:中華民國國防部海軍司令部網頁97年『國防白皮書』、太字は海軍司令部が統括する組織。

装備編集

艦艇編集

2021年4月時点。一部『Jane's Fighting Ships』参照。

過去に就役した艦艇については「中華民国海軍艦艇一覧」「台湾海軍艦艇一覧」を参照。

通常動力型潜水艦
海龍(SS-793 Hai-Lung) - 1987年12月28日就役
海虎(SS-794 Hai-Hu) - 1988年7月4日就役
海獅(SS-791 Hai-Shih) - 1973年4月15日再就役
海豹(SS-792 Hai-Bao) - 1973年10月18日再就役
駆逐艦
基隆(DDG-1801 Kee-Lung) - 2005年12月17日再就役
蘇澳(DDG-1802 Sua-O) - 2005年12月17日再就役
左営(DDG-1803 Tso-Ying) - 2006年11月2日再就役
馬公(DDG-1805 Ma-Kung) - 2006年11月2日再就役
フリゲート
成功(PFG-1101 Cheng-Kung) - 1993年5月7日就役
鄭和(PFG-1103 Cheng-Ho) - 1994年3月28日就役
繼光(PFG-1105 Chi-Kuang) - 1995年3月4日就役
岳飛(PFG-1106 Yueh-Fei) - 1996年2月26日就役
子儀(PFG-1107 Tzu-I) - 1997年1月9日就役
班超(PFG-1108 Pan-Chao) - 1997年12月16日就役
張騫(PFG-1109 Chang-Chien) - 1998年12月1日就役
田單(PFG-1110 Tien-Tan) - 2004年3月11日就役
銘傳(PFG-1112 Ming Chuan) - 2018年11月8日再就役
逢甲(PFG-1115 Feng Chia) - 2018年11月8日再就役
康定(PFG-1202 Kang-Ding) - 1996年5月24日就役
西寧(PFG-1203 Si-Ning) - 1996年10月12日就役
昆明(PFG-1205 Kun-Ming) - 1997年2月26日就役
迪化(PFG-1206 Di-Hua) - 1997年8月14日就役
武昌(PFG-1207 Wu-Chang) - 1997年12月16日就役
承德(PFG-1208 Chen-Te) - 1998年3月19日就役
濟陽(FFG-932 Chin-Yang) - 1993年年10月6日再就役 - 2015年5月1日退役
鳳陽(FFG-933 Fong-Yang) - 1993年10月6日再就役
汾陽(FFG-934 Feng-Yang) - 1993年10月6日再就役
蘭陽(FFG-935 Lan-Yang) - 1995年8月4日再就役
海陽(FFG-936 Hae-Yang) - 1995年8月4日再就役 - 2015年5月1日退役
淮陽(FFG-937 Hwai-Yang) - 1995年8月4日再就役
寧陽(FFG-938 Ning-Yang) - 1999年10月18日再就役
宜陽(FFG-939 Yi-Yang) - 1999年10月18日再就役
コルベット
沱江(PGG-618 Tuo-Jiang)- 2014年3月14日進水式、2015年3月31日就役
塔江(PGG-619 Ta-Chiang)- 2020年12月15日進水式、2021年9月9日就役[1]
ミサイル艇
FACG-61-66、68-75、77-93
哨戒艇
錦江(PGG-603 Jin-Chiang) - 1994年12月1日就役 - 2021年2月1日退役
淡江(PGG-605 Tan-Chiang) - 1999年9月23日就役
新江(PGG-606 Hsin-Chiang) - 1999年9月23日就役
鳳江(PGG-607 Feng-Chiang) - 1999年10月29日就役
曾江(PGG-608 Tseng-Chiang) - 1999年10月29日就役
高江(PGG-609 Kao-Chiang) - 1999年10月30日就役
金江(PGG-610 Jing-Chiang) - 2000年2月15日就役
湘江(PGG-611 Hsian-Chiang) - 2000年2月15日就役
資江(PGG-612 Tsi-Chiang) - 2000年3月10日就役
溌江(PGG-614 Po-Chiang) - 2000年7月21日就役
昌江(PGG-615 Chan-Chiang) - 2000年7月21日就役
珠江(PGG-617 Chu-Chiang) - 2000年7月21日就役
ドック型揚陸艦(LSD)
旭海(LSD-193 Shiu-Hai) - 2000年6月再就役
玉山(LPD-1401 Yushan)-2021年4月13日進水式
戦車揚陸艦(LST)
中和(LST-232 Chung-Ho) - 2000年5月8日再就役
中平(LST-233 Chung-Ping) - 2000年5月8日年再就役
中建(LST-205 Chung-Chien) - 1946年06月12日再就役
中啓(LST-218 Chung-Chi) - 1955年06月30日再就役
中明(LST-227 Chung-Ming) - 1958年10月21日再就役
中業III(LST-231 Chung-Yeh) - 1961年09月21日再就役
  • 旧・米LST512級×1隻
高雄(LCC-1 Kao-Hsiung) - 1957年5月再就役 - 2017年に変更試験艦
汎用揚陸艇(LCU
  • 旧・米LCU-1610級×12隻
合成(LCU-497 Ho-Cheng)
合功(LCU-498 Ho-Hu)
合群II(LCU-481 Ho-Shun)
合川II(LCU-489 Ho-Chuan)
合潮II(LCU-406 Ho-Chao)
合永III(LCU-495 Ho-Yung)
合茂II(LCU-492 Ho-Mou)
合壽II(LCU-493 Ho-Shou)
合春II(LCU-494 Ho-Chun)
合耀II(LCU-403 Ho-Yao)
合貞II(LCU-486 Ho-Cheng)
合忠II(LCU-484 Ho-Chung)


このうち合川II(489 Ho-Chuan)、合茂II(492 Ho-Mou)、は機雷敷設艇に改造され、2014年7月16日に海軍第192艦隊機雷作業大隊に配備された。[11]

機雷敷設艦(FMLB)
  • FMLB-1
  • FMLB-2
  • FMLB-3
  • FMLB-5
車両兵員揚陸艇(LCVP)
  • ARP1000 & 2000 & 3000型×100隻
攻撃輸送艦
雲峰(524 Yuen-Feng) - 1982年9月10日就役 - 2012年4月1日退役
武岡(525 Wu-Kang) - 1984年10月9日就役 - 2010年2月1日退役
新康(526 Hsin-Kang) - 1985年12月26日就役 - 2012年4月1日退役
機雷掃討艇
永豊(MHC-1301 Yung-Feng)1991年7月12日就役
永嘉(MHC-1302 Yung-Chia)1991年7月12日就役
永定(MHC-1303 Yung-Ting)1991年7月12日就役
永順(MHC-1305 Yung-Shun)1991年7月12日就役
沿岸機雷掃討艇
永靖 (MHC-1310 Yung Jin) - 2012年8月10日再就役
永安 (MHC-1311 Yung An) - 2012年8月10日再就役
掃海艇
永陽(MSO-1306 Yung-Yang) - 1994年再就役
永慈(MSO-1307 Yung-Tzu) - 1994年再就役 - 2020年9月1日退役
永固(MSO-1308 Yung-Ku) - 1994年再就役 - 2013年6月28日退役
永徳(MSO-1309 Yung-Teh) - 1994年再就役 - 2021年3月16日退役
沿岸掃海艇
  • 旧・米MSC268級×4隻
永川(MSC-158 Yung-Chuan) - 2010年12月29日退役
永福(MSC-162 Yung-Fu) - 2010年12月29日退役
永仁(MSC-167 Yung-Ren) - 2010年12月29日退役
永綏(MSC-168 Yung-Sui) - 2010年12月29日退役
測量艦
  • 達観(AGS-1601 Ta-Kuan) - 1995年9月26日就役
補給艦
  • 武夷(AOE-530 Wu-Yi) - 1990年6月23日就役
  • 磐石(AOE-532 Pan-shi) - 2015年3月31日就役
救難艦
  • 旧・米ダイバー級救難艦×2隻
  • 大湖(ARS-552 Ta-Hu) - 1977年2月21日再就役
  • 大屯(ARS-556 Ta-Hu) - 1999年3月1日再就役
浮ドック
  • 各型×6隻
海壇(AFDL-1 Hay-Tan)- 1999年7月1日退役
金門(AFDL-2 Kim-Men)
南日(AFDL-3 Han-jih)
服務5(ARD-5 Fo-Wu 5)2013年11月1日退役
服務6(ARD-6 Fo-Wu 6)
服務7(ARD-7 Fo-Wu 7)
曳船
大萬(ATF-551 Ta-Wan)- 1975年1月12日再就役
大岡(ATF-554 Ta-Kang)- 1991年再就役
大峰(ATF-555 Ta-Fung)- 1991年6月再就役
大台(ATF-563 Ta-Tai)- 1980年12月15日再就役
港内曳船
  • 各型×11隻
YTL16-17、27-30、32-36
大型港内曳船
  • 各型×19隻
YTB37-39、41-43、45-49、150-157

航空機編集

2020年6月時点。

回転翼機

このほか、中山科学研究院が開発した無人航空機鋭鳶」27機による海上戦術偵察大隊を屏東県に配置している[12]

編集

編集

脚注編集

  1. ^ a b c 台湾「空母キラー」就役 自主建造の新型軍艦 対中抑止狙う日本経済新聞』朝刊2021年9月10日(国際面)同日閲覧
  2. ^ 外務省『日本外交文書 大正9年』第一冊下巻 p.773
  3. ^ 中國方面海軍作戦(1)237頁
  4. ^ #撃沈戦記(朝日ソノラマ)415項
  5. ^ 「就役から71年 海軍の米製潜水艦、報道陣に公開/台湾」フォーカス台湾(2017年1月19日)2017年3月28日閲覧
  6. ^ 「台湾の蔡総統、潜水艦の独自建造計画を発表」AFP(2017年3月21日)2017年3月28日閲覧
  7. ^ 台湾が建造開始の潜水艦隊、中国の侵攻を数十年阻止できる可能性”. CNN (2021年1月16日). 2021年1月16日閲覧。
  8. ^ 「匿蹤迅速 機動打撃─海軍海蛟大隊海蛟一中隊」『青年日報』サイト(2019年2月4日閲覧)。
  9. ^ 海軍海鋒大隊 中華民国海軍公式サイト(2019年2月4日閲覧)。
  10. ^ 米国、台湾にミサイルフリゲート4隻売却へ 中央社フォーカス台湾, 2014/12/06
  11. ^ 「機雷敷設艇に改造された 台湾版『米LCU-1610』級揚陸艇」『世界の艦船』第814号(海人社、2015年5月)134-135頁
  12. ^ 「台湾 無人偵察機部隊を初公開」産経新聞』2019年1月26日(国際面)2019年2月4日閲覧

参考文献編集

  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 中國方面海軍作戦(1) 昭和十三年三月まで戦史叢書第72巻、朝雲新聞社、1974年3月。 
  • 永井喜之、木俣滋郎 『撃沈戦記』朝日ソノラマ、1988年。ISBN 4-257-17208-8 
  • Jane's Fighting Ships 2011-1-2012
  • 海人社『世界の艦船』各号

関連項目編集

外部リンク編集