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中華民国立法委員選挙

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沿革編集

中国大陸時代(1928年-1949年)編集

立法院そのものは、1928年に設立された。しかし、当時は訓政期(中国国民党が指導的立場に立って国家を運営する時期)とされたため、立法委員は全員国民政府から任命された。

1946年に中華民国憲法が制定されたことで「憲政期」に移行し、1948年に中国の歴史上初の国家レベルの選挙が実施された。その総数は憲法64条に基づく配分(300万人につき5人、それを超える場合、100万人ごとに1名)で決定され以下の内訳で773名であった。

  1. 各省、各直轄市選出者:622名
  2. 蒙古各盟旗選出者:22名
  3. 西蔵選出者:15名
  4. 各民族在辺境地区選出者:6名
  5. 国外華僑選出者:19名
  6. 職業団体選出者:89名
 
投票する蒋介石

選挙の結果、欠員13名、総数760名で第一期の立法委員が選出された。ところが、国共内戦の結果、領土の大部分が中国共産党の手に落ち、大陸部選出議員の次回以降の選挙が事実上不可能となった。当時蒋介石に従って台湾に脱出した立法委員は380余名であった。

戒厳令期(1949年-1991年)編集

中華民国政府は、「淪陥区(中華人民共和国の実効支配領域のこと)では選挙が出来ない」ことを理由に大陸部選出議員の任期を無期限延長した。これらの立法委員は「万年議員」と呼ばれ、実際の中華民国の統治区域である台湾住民の民意が反映されないため、大きな問題となっていた。

1969年以降、表向きの理由として「台湾省」の人口増加を上げて一部改選が施行されるにいたった。1969年に行われたのは非改選議員の欠員補充選挙であり、増加定員総数は11名であった。また、国民大会代表も15人が欠員補充された。

1972年の蒋介石総統五選が決定した国民大会で「増加定員選挙」が採択された。その骨子は「自由地区(中華民国の実効支配地域)」と海外華僑の議席を大幅に増やし、前者を普通選挙により、後者を総統の指名により定期改選(任期3年)し、非改選議員・欠員補充議員は改選しない、というものであった。この第一回増加定員選挙でさらに51名の議席が増えた[1]。同時に国民大会代表も53人が増加した(任期6年)。

1975年には1名がさらに増加した52名分の立法委員増加定員選挙が行われた[2]

1978年の立法委員・国民大会代表増加定員選挙は米中国交樹立を受けて総統緊急処分令により選挙が中止された。

1980年の立法委員・国民大会代表増加定員選挙が行われた。立法委員で議席は97名[3]、国民大会代表で議席は76名に増加した。

1983年の立法委員増加定員選挙では、議席は98名になり、普通選挙枠で1名が増員された。

1986年の立法委員・国民大会代表増加定員選挙では立法委員100名[4]・国民大会代表84名が改選された。

1989年の立法委員増加定員選挙では改選立法委員は130名[5]となった。

民主化後の立法委員選挙(1991年-)編集

1991年に「万年議員」が全員退職し、国民大会は1991年に、立法委員は翌年の1992年から全面改選が行われた。その総数は160名であった。なお、1998年の立法委員選挙は台湾省議会の廃止をうけ、その議員数を足した224名となった。2001年・2005年の選挙では定数は225名となり、2008年に小選挙区比例代表並立制が導入、任期が4年に延長されると同時に113名に半減した。

概要編集

現在の立法委員の定数は113議席で任期は4年である。小選挙区選出が73議席で、比例代表・海外代表選出が34議席、また台湾原住民枠として6議席が別途設けられている。選挙制度は小選挙区比例代表並立制が採用されている。なお、比例代表で議席配分されるためには有効得票の5%以上を獲得することが条件となっている(阻止条項)。また、各政党の比例名簿中、女性候補は5割を下回ってはならないことも規定されている(クォーター制)。

脚注編集

  1. ^ 普通選挙枠27、海外華僑15、残りは職業団体枠8、先住民枠1。
  2. ^ 普通選挙枠28、他同じ。
  3. ^ 普通選挙枠52、海外華僑枠27、職業団体枠16、先住民枠2
  4. ^ 普通選挙枠55、海外華僑枠27、職業団体枠16、先住民枠2
  5. ^ 普通選挙枠79名、海外華僑枠29名、職業団体枠18、先住民枠4
  • 人数は当該選挙における中国語版の記事に拠った。

関連項目編集