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丹後大仏(花祭り当日の様子)
丹後大仏と桜
地図

丹後大仏(たんごだいぶつ)は、京都府与謝郡伊根町本坂にある大仏である。またの名を「筒川大仏」。現在の大仏(石造)は二代目で、初代は青銅製だった。

目次

特徴編集

  • 大きさは大仏のみで6尺5寸(約2メートル)、台座を含めると約4メートル。
  • 石造の阿弥陀如来坐像である。境内には、ほかに、招魂碑や一対の狛犬、十数基の石灯篭などが現存している。
  • 毎年4月8日、殉職者の慰霊のため花祭りが行われる。

開眼の由来編集

 
筒川(丹後大仏から約1キロメートル下流にて)

流行性感冒スペインかぜ)で亡くなった、筒川製糸工場従業員ら42名の慰霊のため。

筒川製糸工場とは、丹後ちりめんを主要産業とする京都府丹後地方の内陸部、筒川の上流域に位置する農山村地域に1901年明治34年)に創立された丹後繭糸蚕種生産販売組合を母体とした製糸工場で、山深い農村部の経済的発展に著しく貢献した[1]。のちに、新綾部製糸株式会社筒川工場と改名。1934年昭和9年)頃まで操業した。

多くの死者が出て大仏建立に至った当時は、女工ら約130名を雇用していた。

所在地編集

歴史編集

初代編集

青銅製の大仏で、鎌倉大仏を模して造られた。高さ8尺5寸(2.5メートル)、座幅6尺5寸(1.96メートル)で、周囲にはいずれも青銅製の、高さ1丈(3メートル)の灯籠が一対、竜口付直径3尺(90センチ)の大火鉢が一つ、高さ4尺(1.2メートル)の台付の狗犬一対が配置され、その他にも多くの石灯籠も並び据えられた[2]。費用は4,950円を要した[3]

  • 1917年大正7年):筒川工場の慰安旅行で訪れた東京で感染した流行性感冒のため、帰郷後、従業員13人を含む42人が死亡[2]
  • 1919年(大正8年)4月8日:与謝郡伊根町本坂に、工場長品川萬右衛門自ら大仏を建造し、開眼入魂の式を行う。以後、毎年4月には盛大な花祭り供養が行われた。
  • 1943年昭和18年):金属類の供出令によって、灯籠・大火鉢・狗犬等、大仏以外のすべての青銅製の建立物が供出された。
  • 1944年昭和19年)3月:大仏本体が供出され、失われた。解体され、戦争で使う銃弾となったと思われる。

二代目編集

  • 1945年(昭和20年):4月8日に開眼入魂が行われた。仏像が供出された後に境内が荒廃することを避けるため、同じ場所に建立された。品川偉太郎・品川俊・新田弁蔵・太田藤吉・小西武雄・新田八治郎の6名が主唱者となって大仏奉讃会を結成し、石仏建立を村民に呼びかけ、実現した[2]

交通アクセス編集

脚注・参考文献編集

  1. ^ 『丹哥府志』
  2. ^ a b c 『伊根町誌』
  3. ^ 『与謝郡誌』

外部リンク編集