久慈 義昭(くじ よしあき、1945年(昭和20年)3月31日 - )は、日本政治家。元岩手県久慈市長

久慈 義昭
くじ よしあき
生年月日 (1945-03-31) 1945年3月31日(79歳)
出生地 日本の旗 日本 岩手県久慈市
出身校 獨協大学外国語学部ドイツ語学科
前職 岩手放送勤務
称号 ヴィータウタス大公将校十字勲章
親族 久慈義巳(父)

当選回数 6回
在任期間 1979年 - 2003年
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経歴 編集

岩手県九戸郡侍浜村(現・久慈市)出身[1]1970年獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒[1]。同年、岩手放送に就職する[1]。1979年、当時久慈市長であった父の久慈義巳が病死し、当時34歳であった長男の義昭が市長選に立候補、当選した。以後、6期にわたり久慈市長を務めたが、2003年の統一地方選で岩手県議5期の山内隆文に敗れた[2]

1991年1月、リトアニアに対するソ連の武力介入に対し、久慈市はゴルバチョフ大統領に抗議電報を送った[3]

その後、久慈市とクライペダ市の交流実績により、2003年2月にリトアニア共和国から久慈義昭市長(当時)にヴィータウタス大公将校十字勲章が授与された[4]

2015年春の叙勲で旭日中綬章受章。

脚注 編集

参考文献 編集