久我三休
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 天正15年6月6日1587年7月11日
改名 具堯、日勝、三休
別名 大納言入道
戒名 昌樹院
氏族 久我家
父母 久我晴通武田元光の娘
兄弟 通堅、空辰、等潤、三休岩倉具堯、宗尊、四女
大友義鎮の娘
一尾通春、二女
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久我 三休(こが さんきゅう)は、戦国時代から安土桃山時代の人物。公卿久我家の出身。

経歴編集

はじめ本圀寺に出家して日勝と号したが、後年大友義鎮に招かれて豊後国へ下向し、還俗して三休と称した。のち上方へ戻り、山城国一尾庄などに閑居した。天正15年(1587年)死去。大友義鎮の娘との間に生まれた通春は後に三休の隠棲地に因んで家名を一尾氏と改め、江戸幕府に出仕している。また通春の子通尚(伊織)は茶人として高名をなした。

参考文献編集