久我通平
鎌倉時代前期の公卿
経歴編集
以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 元久2年(1205年)3月9日、従五位下に叙される。
- 承元2年(1208年)12月29日、侍従に任ぜられる。
- 承元4年(1210年)1月6日、従五位上に昇叙。また同年12月24日、正五位下に昇叙。
- 建暦2年(1212年)1月13日、遠江権介を兼ねる。
- 建保2年(1214年)10月28日、右少将に任ぜられ、同年12月13日には禁色を許される。
- 建保3年(1215年)12月15日、左中将に任ぜられ、同日従四位下に昇叙。
- 建保4年(1216年)1月13日、因幡権介を兼ねる。
- 建保6年(1218年)1月5日、正四位下に昇叙。同年11月26日、春宮権亮を兼ねる。
- 承久元年(1219年)11月13日、従三位に叙され中将は元の如し。
- 承久3年(1221年)1月13日、越後権守を兼ねる。
- 貞応元年(1222年)11月26日、正三位に昇叙。
- 貞応2年(1223年)6月、高野山で出家。
- 嘉禄2年(1226年)、薨去。