久野俊純

日本の江戸時代中期の武士。紀州藩田丸城代家老久野家5代当主。4代久野俊正の子

久野 俊純(くの としずみ、宝永2年(1705年) - 安永元年11月23日1772年12月17日))は、紀州藩田丸城代家老久野家5代当主。

父は久野俊正。母は穂出氏。正室は安藤陳武の娘。子は久野輝純。幼名は藪千代、千松。通称は織部。官位は従五位下・丹波守。号は華峯。

経歴 編集

宝永2年(1705年)、田丸城代久野俊正の子として生まれる。宝永8年(1711年)、藩主徳川吉宗御目見する。享保5年(1720年)、元服する。享保11年(1726年)、父の死去により家督相続し、田丸に入部する。享保13年(1728年)、江戸城で将軍吉宗に拝謁する。享保15年(1730年)、従五位下・丹波守に叙任する。安永元年(1772年)11月23日死去。

文人としても活躍し、文化10年(1813年)刊行の「南紀風雅集」に久野俊純作の漢詩が収められている。

参考文献 編集

  • 池山始三著「田丸郷土誌」

関連項目 編集