亀山城 (備前国)
亀山城(かめやまじょう)は、岡山県岡山市東区沼にあった日本の城(平山城)。別名沼城。岡山市指定史跡[1]。
亀山城 (岡山県) | |
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全景 | |
別名 | 沼城 |
城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 中山勝政 |
築城年 | 天文年間 |
主な城主 | 中山氏、宇喜多氏 |
廃城年 | 慶長6年(1602年) |
遺構 | 曲輪、土塁の痕跡、石列 |
指定文化財 | 市指定史跡[1] |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯34度42分24秒 東経134度2分11秒 / 北緯34.70667度 東経134.03639度座標: 北緯34度42分24秒 東経134度2分11秒 / 北緯34.70667度 東経134.03639度 |
地図 |
概要
編集現在の岡山市東区沼の浮田小学校の東隣に位置し、天文年間に浦上宗景配下の中山勝政が築城した。永禄2年(1559年)、宗景の命により宇喜多直家は義父の信正を謀殺して城主となり、岡山城に移るまでの約15年間は当城を拠点とし、領土を増やした[2]。
1582年、本能寺の変後の中国大返しで、羽柴秀吉軍は備中高松城からこの城まで移動、しばしの休息後、姫路城を目指したと伝わる[3]。慶長6年(1602年)、岡山に移封された小早川秀秋によって廃されている。
本丸跡にはソテツが植えられている。当城で生まれた宇喜多秀家(直家の子)は関ヶ原の戦いに敗れた結果、八丈島に流罪となった。子孫が赦免されたのは明治維新後であったが、その時八丈島でソテツの花が咲いた(赦免花)という言い伝えから、植えられた物である。また宇喜多秀家誕生の地という記念碑が建てられている。
現状
編集1980年代まで主郭の北と西に残存していた土塁は[4]公園化の際に破壊され、現在は痕跡を留める程度になっている。または西ノ丸西側に残存していた土塁も[4]、現在は消失している。市指定史跡でありながら、その他の遺構も郭の耕作地化などでほとんどが既に失われている。また古い絵図には東側に出丸が描かれているが、その後の耕作地化で消滅したと考えられる[4]。
ギャラリー
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宇喜多秀家誕生の記念碑
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耕作地となっている旧二の丸の現状
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本丸の現状
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西の丸の現状
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西の丸を臨む
建築
編集脚注
編集参考文献
編集- 平井聖ほか 1980『日本城郭大系』13 広島・岡山編 p.346
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(33.岡山県)』、角川書店、1989年