亀戸天神社

東京都江東区亀戸にある神社

亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)は、東京都江東区亀戸にある神社天満宮)である。菅原道真を祀り、学問の神として親しまれている。特に1・2月の受験シーズンの土曜・日曜には、道真の加護を求めて絵馬を奉納する受験生で境内が溢れる。通称は亀戸天神亀戸天満宮または東宰府天満宮

亀戸天神社
亀戸天神社境内と拝殿
所在地 東京都江東区亀戸3丁目6番1号[1]
位置 北緯35度42分10秒 東経139度49分15秒 / 北緯35.70278度 東経139.82083度 / 35.70278; 139.82083 (亀戸天神社)座標: 北緯35度42分10秒 東経139度49分15秒 / 北緯35.70278度 東経139.82083度 / 35.70278; 139.82083 (亀戸天神社)
主祭神 天満大神[1]
天菩日命[1]
社格 府社
創建 寛文元年(1661年)[注釈 1]
例祭 8月25日[1]
地図
亀戸天神社の位置(東京都区部内)
亀戸天神社
亀戸天神社
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祭神編集

歴史編集

正保年間(1644年 - 1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして1661年寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。

当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして1662年(寛文2年)、地形を初め社殿楼門回廊・心字池・太鼓橋などが太宰府天満宮に倣い造営された。本殿の扁額は、御本社である筑紫国太宰府天満宮宮司であった西高辻信貞による揮毫

古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、1873年明治6年)に府社となり亀戸神社、1936年昭和11年)に現在の亀戸天神社となった。

亀戸神社の藤と葛餅」 亀戸天満宮は、寛文2年(1662)、大宰府の神官大鳥居信祐が、菅原道真の像を小祠に祀り、翌年、大宰府に模した社殿を造営したのがその起こり。明治6年(1873)、亀戸神社と、昭和11年(1936)、亀戸天神社と改めた。学問の神様として信仰を集め、藤と梅の名所で知られ、『名所江戸百景』(安藤広重画 1856 - 58年版 大判錦絵118枚揃)にも描かれた古刹である。亀戸の名物、葛餅は屋台売りの他に、文化2年(1805)に天神社参道にて創業した船橋屋が人気を集め、その葛餅は亀戸餅とも呼ばれた。葛餅と藤の絵あり。「名代 久壽餅」と記された紙片の一部が書き写されている。『世渡風俗圖會』では、屋台売りの「亀戸名物葛餅」が描かれている。 — 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「亀戸神社の藤と葛餅」より抜粋[2]

2010年から2011年にかけて放送された『ゆく年くる年』(NHK総合)ではキーステーション(メイン中継地)に選ばれている。

主な祭事編集

うそ替え神事編集

例年1月24日 - 25日。縁起物である木彫りの鷽ウソ)が授与される。「去年の悪(あ)しきはうそ()となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによる。

木彫りの鷽は、高さ5 - 22cmくらい、白木の円柱に上部3分の1位が荒削りされ、頭部と腹部となり、背後は削り掛けの手法で尾羽が切り込まれる。彩色は頭が黒、胸は朱、背の羽は緑と黒である。

梅まつり編集

亀戸天神の境内には、菅公が好んだ梅が300本以上植えられている。さらに境内の本殿前には、道真公が5歳で詠まれた「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」という歌碑と銅像がある。

なお、梅祭りは例年2月第2日曜日から3月第2日曜日まで行われる。

藤まつり編集

4月25日から5月5日まで。境内の藤が一斉に開花し、神社中が一面藤色に染まる。太鼓橋の上から見渡すことで、一面の藤棚を上から見下ろすことができることも特徴。江戸時代から亀戸の藤と呼ばれた藤の名所であり、亀戸以外からも観光客が訪れる。同時に学業講祭も行われ、学業祈願の祈願者も多く訪れる。

 
藤まつり(2009年4月29日撮影)

菊まつり編集

例年10月下旬から11月下旬まで。

菅公は、梅と共に菊の花をみ数々の和歌を詠んだ。16歳の時に詠んだ「残菊詩[3]」から、亀戸天神社では菅公を偲んで宮中で行われていた和歌・連歌などを詠む「残菊の宴」を催していた。近年では本殿の正面を取り囲むように菊を展示して菅公を慰めるとともに、参拝客も鑑賞できるようになっている[4]

 
菊まつり(2020年11月15日撮影)

摂末社編集

御嶽神社編集

道真の教学上の師である延暦寺第十三代座主、法性坊尊意僧正を祀る。「卯の神」として知られ、正月初卯、二の卯、三の卯には、卯槌や卯の神札が授与される。

正月の初卯詣は江戸時代から大変賑っていたことが『東都歳事記』に記されている。卯杖と卯槌は1831年天保2年)の卯年から売られるようになったが、当時の卯杖と卯槌の形状は『日本民俗図志』に描かれている[5]明治になっても初卯詣は人気があり、芸者と旦那がこぞって初卯詣をしていたことが1875年(明治8年)1月7日の『東京日日新聞』の記事となった。初卯詣には陸路のほかに亀戸天神社の西側を流れる横十間川の水路を使った[6]

花園社編集

道真の妻である島田宣来子および14人の子供を祀る。寛文年間に筑前花園より勧請を受けたものである。安産、子宝、立身出世の守護神として信仰されている。

弁天社編集

1665年(寛文5年)7月に太宰府天満宮心字池畔の志賀社を勧請したもの。その後、亀戸天神の心字池を上野不忍池に見立て、この社を「弁天堂」と呼んだことから、七福神の1つである弁才天として信仰されるようになった。

紅梅殿編集

1662年(寛文2年)に太宰府天満宮の神木である飛梅の実生を勧請したもの。現在の社は、1988年昭和63年)に再建されたものである。

神牛殿編集

   
神牛殿
神牛座像

菅原道真845年承和12年)6月25日の乙丑年に生まれ、903年延喜3年)に亡くなったが、葬送中、遺体を乗せた車を引く黒牛が動かなくなり、その場所を墓所と定めた。その後、その場所に社殿を建立し、御霊を祀ったことが太宰府天満宮の起源であり、その年も乙丑年であった。また、道真が京都から大宰府へ下向中、白牛によって難から逃れることができたという故事が伝えられている。道真と牛との縁は深い。神牛(しんぎゅう)座像は1961年昭和36年)、鎮座三百年祭時に社殿の復興とともに奉納された[7][8]

神牛に触ることにより病気を治し、知恵を得るといわれている。牛は天神の神使(みつかわしめ)として信仰されている[8]

境内編集

社務所
太鼓橋[9] - 男橋、女橋
  
男橋女橋
男橋は、大鳥居を過ぎると最初にある橋。太宰府天満宮を模して造られた。池と橋を人の一生に見立てた「三世一念の理」に基づき、この橋は過去を表す[10]
女橋は、本殿の手前にある橋。この橋は希望の未来を表す[11]
本社の太鼓橋は歌川広重によって描かれ、『名所江戸百景』シリーズの「亀戸天神境内」として発行された。
亀井戸跡
おいぬさま
池のカメ
 
池のカメ
池にいるカメの種類は主にクサガメニホンイシガメミシシッピアカミミガメの3種である。また少数だがハナガメミナミイシガメスッポンウンキュウキバラガメなど各種のカメが観察されるが、そのうち多くがミシシッピアカミミガメで、次いでクサガメ、ニホンイシガメその他のカメはほんのわずかである。本社は学問の神である菅原道真を祀っているため、毎年、受験生が合格祈願に訪ずれる。その中には合格のお礼として本社を再び訪れ、池にカメを放流していく人が多い。本社としてはそういうきまりがある訳ではなく、亀戸という地名や池があることなどからこの行いが自然に広まった。その結果、現在のようにカメが多数棲息するようになった。ミシシッピアカミミガメが多い理由として、安価で入手しやすいため、持ってくるカメとしてこのカメが選ばれていると考えられる。ミシシッピアカミミガメは繁殖力が強く、また新たに放す人が跡を絶たないため増える傾向にある。ミシシッピアカミミガメの国内における帰化・個体数増加、またそれに伴う在来種、特にニホンイシガメの個体数減少は全国的な問題でもあり、その一端を縮図のごとく観察できる。テレビ局のスタッフが本社の神主に「カメたち、かわいいですね」と話しかけると、「うーん、私はそうは思わないんですけどねえ」という反応であった[12]

年中行事編集

  • 1月
    • 元旦:歳日祭
    • 1日 - 7日:新年祈願祭
    • 上旬:初卯祭
    • 24日 - 25日:うそ替え神事
  • 2月
    • 3日:節分追儺祭
    • 25日:菜種御供
    • 25日:紅梅殿例祭
  • 3月
    • 25日:神忌祭
  • 4月
    • 29日:藤花祭
  • 5月
    • 5日:開基別当祭
    • 5日:出世鯉放流
    • 第2日曜:花園社例祭
    • 25日:更衣祭
  • 6月
    • 25日:夏越祓
  • 7月
    • 25日:筆塚祭
  • 8月
    • 24日:弁天社例祭
    • 24日:御鳳輦渡御祭※
    • 25日:例大祭
    • 25日:献灯明
    • 26日:氏子御輿宮入り※
  • 9月
    • 25日:敬老延寿祭
  • 10月
    • 25日:更衣祭
  • 11月
    • 15日:七五三祝祭
    • 15日:出世鯉放流
    • 25日:新嘗祭
  • 12月
    • 25日:納め天神祭
    • 25日:古神札焼納式
    • 31日:大祓
    • 31日:除夜祭

※4年に1度

氏子地域編集

江東区亀戸に位置しているが、氏子地域の大半は墨田区、しかも総武線以南の町丁である。亀戸地域の鎮守ではなく、亀戸鎮守は別途香取神社が同じ亀戸三丁目に存在する。

  • 両国二~三丁目(もと本所小泉町、本所相生町一・二丁目の区域のみ)
  • 両国四丁目
  • 一~四丁目
  • 江東橋一~五丁目
  • 立川一~四丁目
  • 菊川一~三丁目
  • 錦糸四丁目
  • 太平四丁目
  • 亀戸一丁目(一部)
  • 亀戸三丁目(宮元会のみ)

ギャラリー編集

周辺情報編集

  • 船橋屋
    くず餅で著名な老舗の和菓子店。梅まつり開花速報。
  • 亀戸天神通り商店街
    上記の船橋屋も属する、蔵前橋通りに面する商店街。亀戸天神社も蔵前橋通り沿いにある。
  • 東京カットグラス工業協同組合
    伝統工芸江戸切子の組合。蔵前橋通りからすぐの所に販売店・ショールームを開設。

拝観料・拝観時間編集

  • 開門時間は24時間で、拝観料は無料。
  • 藤まつりのライトアップは夕方から夜9時まで。

アクセス編集

関連楽曲編集

関連書籍編集

  • 持田香織『ミドリノヘイワ』マガジンハウス、2003年3月。ISBN 4838714408 - 亀戸出身の持田香織著。子供の頃親しんだ亀戸天神を題材にした詩がある。

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 東京都神社庁によれば寛文2年[1]

出典編集

  1. ^ a b c d e 東京都神社庁.
  2. ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「亀戸神社の藤と葛餅」国立国会図書館蔵書、2018年2月10日閲覧
  3. ^ 残菊は、旧暦の重陽の節句以降の菊を意味すると伝えられる。
  4. ^ 四季ギャラリー|亀戸天神社|公式ホームページ”. kameidotenjin.or.jp. 2020年11月16日閲覧。
  5. ^ ウサギの日本文化史』(p134, p135)より。図は同書134ページに転載されている。
  6. ^ ウサギの日本文化史』(p289)より。
  7. ^ 亀戸天神社・神牛説明立て札より。
  8. ^ a b 亀戸天神社「(7)神牛」『境内あちこち発見隊』。2009年12月27日(日)閲覧。
  9. ^ 半円形に反った橋 --『広辞苑』より。
  10. ^ 亀戸天神社「(1)太鼓橋 男橋」『境内あちこち発見隊』。2009年12月27日(日)閲覧。より。
  11. ^ 亀戸天神社「(2)太鼓橋 女橋」『境内あちこち発見隊』。2009年12月27日(日)閲覧。より。
  12. ^ 佐々木洋『ぼくらはみんな生きている - 都市動物観察記』講談社、2004年、62-70頁。ISBN 978-4062120388より。
  13. ^ アクセス”. 亀戸天神社. 2011年5月2日閲覧。

参考文献編集

関連文献編集

関連項目編集

外部リンク編集

東京十社(准勅祭社)
社名 主祭神 鎮座地(東京都) 近代 別表
根津神社
(根津権現)
須佐之男命
大山咋命
誉田別命
大国主命
菅原道真公
文京区根津 府社
芝大神宮
(芝神明宮、飯倉神明宮)
天照皇大御神
豊受大御神
港区芝大門 府社
神田明神
(神田神社)
大己貴命
少彦名命
平将門神
千代田区外神田 府社 別表
日枝神社
(山王権現、麹町山王)
大山咋神 千代田区永田町 官幣大社 別表
亀戸天神社
(東宰府、亀戸天満宮)
天満大神
天菩日命
江東区亀戸 府社
白山神社 菊理姫命
伊弉諾命
伊弉冉命
文京区白山 郷社
品川神社 天比理乃咩命
素盞嗚尊
宇賀之売命
品川区北品川 郷社
富岡八幡宮
(深川八幡)
品陀和気命 江東区富岡 府社
王子神社
(王子権現)
伊弉諾命
伊弉冉命
天照大御神
速玉之男命
事解之男命
北区王子本町 郷社
氷川神社
(赤坂氷川神社)
素盞鳴尊
奇稲田姫命
大己貴命
港区赤坂 府社