二大政党制

政党制の一つで、二つの主要な政党が最近の主な選挙で大きな得票や議席数を保っている状態や、それを前提とした政治体制

二大政党制(にだいせいとうせい、:two‐party system)とは、政党制の一つで、二つの主要な政党が最近の主な選挙で大きな得票や議席数を保っている状態や、それを前提とした政治体制である。

概説編集

二大政党制は通常、国家制度や政党制度としては複数政党制だが、二大政党が大半の集票・議席・影響力・政権担当実績などを保持している点で、多党制と対比される。しかし、どこからを二大政党制または多党制と呼ぶか、もしくは何をもって二大政党制に当てはまるとするかについては学者や時期や観点によっても異なり、明確な定義は存在しない。2大勢力が拮抗していることを条件とする考え[1]や、選挙での一時的な勝敗は度外視して10年以上などの長期間で2つの主要政党による政権交代が行われていることを条件とする考え[2]などがある。

二大政党制では政権交代が比較的容易だとされる。二大政党のいずれかによる単独政権になることが多く、多党制で多く見られる連立政権は、政党同士で長期的な連立協定や選挙協力を組んで一体化している場合(下記のオーストラリアなど)を除けば頻度は低く、二大政党がともに過半数を確保できなかった場合などに限られる。何らかの理由で二大政党を共に含んだ連立が組まれた場合は大連立挙国一致内閣などと呼ばれる。なお多党制も政党間のイデオロギーの差異によって穏健な多党制分極的多党制とに分けられる。

ジョヴァンニ・サルトーリの指摘では、二大政党制はイギリスや、イギリスから独立したアメリカ合衆国カナダオーストラリアニュージーランドなどのアングロサクソン諸国で多く見られる。

二大政党制の背景には、主要な二大政党以外からは大量当選が困難な選挙制度である小選挙区制や、国民のイデオロギーや支持層が「保守革新」など2種類または2方向に大別できること、更に両政党が比較的穏健かつ民主的であり現実的な政権交代を相互に許容できること、などが挙げられる。

二大政党制の利点には、二大政党による政策論争が国民にわかりやすく、二大政党への参加や支持が容易で、現実的な政権交代が容易なため国民に実質的な選択の余地があり、長期政権に発生しがちな腐敗防止や、政権獲得時に国民の支持を背景にした大胆な政策転換を行いやすいこと、などが挙げられる。また、中間層の有権者の支持を得る為に二つの政党の政策が似たものとなる傾向があり、少数派の意見をくみ取る政党がなくなるという問題があるが、ジョヴァンニ・サルトーリの主張ではイデオロギーの差異が小さいことは良い政治であり、この点を利点とする立場もある。

二大政党制の欠点には、二大政党の思想や政策が離れている場合にはイデオロギー的あるいは感情的な対立になりやすく、政権交代の発生時には大幅な政策変更により政治の不安定化を招く場合があること、逆に二大政党の思想や政策が接近している場合には国民に選択の余地が狭く多様な意見や思想を反映しにくいこと、同じ政党・政策・支持勢力などが長期間存続しがちなため政党内の新陳代謝や政策転換が進みにくいこと、特に二大政党間で談合汚職などが常態化した場合には致命的な政治不信を引き起こしやすいこと、あるいは二大政党制へ誘導するための小選挙区制では大量の死票が発生すること、などが挙げられる。アーレンド・レイプハルトの合意形成型民主主義の考え方に立てば、二大政党制を基盤とする多数決型民主主義においては多党制を基盤とする合意形成型民主主義より、少数意見の代表性が相対的に低いとされる[3]

代表例編集

二大政党制と呼ばれる国と時期には以下があるが、その定義や範囲は学者によっても異なる。

ジョヴァンニ・サルトーリの指摘するアングロサクソン諸国編集

その他編集

日本での二大政党制編集

  日本における二大政党制として挙げられるものには、1930年前後の数年間にわたる立憲政友会立憲民政党の並立、そして2004年から2012年にかけての自由民主党と民主党の並立などがある。

また、1955年から1993年にかけての自由民主党日本社会党の並立は二大政党制ではなく「一党優位政党制」「1と1/2政党制」と扱われる[4][5][6]が、最大党と第二党が安定して大きな勢力を保っていたという点は共通するため、参考として本節に記載する。

政友会と民政党編集

憲政の常道編集

大日本帝国憲法下では、1925年大正14年)に普通選挙法が制定されたのち、二大政党である立憲政友会憲政会(のち立憲民政党とが、憲政の常道に基づいて交互に政権を担当した時期があった。

両者の特徴として、政友会は保守的で地主や大財閥の利益に密接であり[7]、現代の自由民主党に近いものであった[8]。一方で民政党は「議会中心主義」を掲げ[9]革新的で都市部の中産階級から支持されており[10]旧民主党(のちの立憲民主党など)に近いものであった[8]

憲政の常道の終焉編集

しかし、普通選挙実施に伴い政党は多額の選挙資金確保のため財界と結び付きを深め、結果数々の汚職事件を引き起こすこととなる。また、1929年(昭和4年)の世界恐慌により企業の倒産、失業者の増加、農村の疲弊など社会不安が増し、政党政治そのものが信用を失っていった。そして、1932年(昭和7年)に発生した五・一五事件により犬養毅首相が暗殺されたことで、8年間続いた憲政の常道は幕を下ろすこととなった[11]

1938年昭和13年)以後から、日中戦争の長期化や第二次世界大戦の勃発に伴う政治・経済危機、また国民の不満の増大に対して、各内閣は事態を打開する力を持たなかった。

その後、1940年(昭和15年)におこった新体制運動によって両者は解散し、大政翼賛会が成立して東條英機による挙国一致内閣独裁体制を推進することとなった[12]

自民党と社会党編集

55年体制編集

第二次世界大戦の後、日本国憲法下においては、1955年(昭和30年)から1993年(平成5年)までにわたって、保守派の自由民主党(自民党)が第一党の政権与党革新派の日本社会党(社会党)が第二党の最大野党として、両党が衆議院議員・参議院議員の大半を占めた。これを55年体制と呼ぶ[13]。しかし、社会党中心の政権は成立しないまま、徐々に野党の多党化が進んだ。社会党は、支持率・議席数ともに自民党の半分程度であり[4]、この大小関係から、「二大政党制」ではなく「一党優位政党制」「1と1/2政党制」と評された[4][6]

この期間では自民党は政権与党であり続けたが、同党の結成以来の党是であった憲法改正に必要な「両院議席の3分の2以上」を獲得することは一度もできなかった[13]衆議院総選挙の直後に過半数を割り込むことは幾度かあったものの、無所属議員の追加公認や小政党の新自由クラブとの連立によって過半数を保持してしのいだ。

社会党は衆参両院の第2党かつ野党第1党であり続けたが、政権交代に必要な衆議院の過半数を獲得することは一度もできなかった[13]。さらに社公民路線での他党との共闘を含めても、衆議院での過半数を制することはできなかった。唯一、1989年の参議院総選挙では土井ブームによって躍進し、最多の議席数を得たとともに自民党を過半数割れに追い込んだものの、参議院総選挙は半数のみが改選される制度のため、比較第1党[注釈 1]は自民党のままであった。

55年体制の終焉編集

平成初期、1993年(平成5年)の衆議院総選挙において、自民党が分裂して過半数を割り込み、さらに社会党も議席を減らした。

そこで、自民党から分離独立した新生党新党さきがけが、社会党および公明党日本新党民社党社会民主連合民主改革連合といった小政党らと手を組んで多数派となり、合計8つもの政党から構成される非自民党・非共産党の連立政権細川内閣)が誕生した。

これにより自民党は1955年に結党して以来初めて野党に転落し、また社会党は初めて与党(の一部)になった。ここに55年体制は崩壊した[13]

しかし8党連立政権はわずか10ヶ月で崩壊し、翌1994年には自民党と社会党と新党さきがけの3党による自社さ連立政権首相は社会党の村山富市、のちに自民党の橋本龍太郎)が発足した[14]

自民党は長年の政敵であった社会党と手を結ぶことで政権に復帰した格好であり、大連立ともよべる状況であった。自社さ連立政権は1998年まで続いた[15]

なお、1994年から1997年にかけては、かつての8党連立政権のうち野党に転落した新生党公明党の一部・民社党日本新党自由改革連合などが結集して新進党が成立し、社会党に代わる第二党となっていたが、政権交代には至らないまま解党した。

自民党と民主党編集

平成の二大政党制編集

1996年(平成8年)の衆議院総選挙から、政権交代可能な二大政党制を目指して小選挙区比例代表並立制が導入された。

この制度の下、自民党と公明党による自公連立政権が1999年から成立したほか、自民党に次ぐ第二党かつ最大野党として新進党の流れをくむ民主党が1998年に発足した。

民主党は自由党を吸収するなどして党勢を拡大し、与党の自公政権に相対した。以後2003年ごろから2012年にかけては保守政党としての自民党[16][17]と、リベラル派を中心に非自民勢力が幅広く集まった民主党[18]」による二大政党制の様相を呈した[19]

2003年の衆議院総選挙では、与党・自民党が237議席(公示前より10議席減。過半数を割る)にとどまったのに対し、野党・民主党が177議席(40議席増)を獲得し、さらに比例代表での獲得議席は民主党が自民党を上回った[20]。続く2004年の参議院総選挙では、民主党は総獲得議席でも自民党を上回った[21]。翌2005年の衆議院総選挙(郵政選挙)では小泉旋風によっていったん自民党が大勝し、民主党が縮小した。しかし、続く2007年の参議院選挙では民主党が再び躍進し、ついに参議院で民主党の議席が自民党を上回った。衆議院では自民党と公明党が過半数を維持して政権与党であるが、参議院では民主党を中心とする野党が過半数となったことで、与野党の勢力が拮抗する「ねじれ国会に至った[22]

そして2009年の衆議院総選挙によって民主党は圧勝した。第二次大戦後で初めて、選挙で野党衆議院での単独過半数を得たことに伴う政権交代が起こり、民主党・国民新党社会民主党による鳩山政権が発足した[23][24]。自民党は大敗して15年ぶりに野党へ転落した。民主党は以後2012年末までの3年強にわたり政権を担当した。

しかし、翌2010年の参議院選挙では民主党の人気に陰りがみられ、自民党を中心とする野党勢力が、与党の民主党・国民新党を上回った。今度は2007年とは逆に、衆議院では与党の民主党が過半数だが参議院では野党の自民党らが過半数という形の「ねじれ国会」が出現した[25]

さらに、2012年の衆議院総選挙では自民党が大勝して過半数を奪還した。再び政権が交代し、自民党が与党に復帰した。民主党は惨敗して野党へ転じ、選挙前の議席の4分の1程度にまで縮小した[26]

平成の二大政党制の終焉編集

民主党はその後停滞し、2016年に維新の党と合流して民進党に改称するも、2017年に衆議院での民進党は立憲民主党希望の党に分裂した。続いて2018年には希望の党の大半と、参議院に残っていた民進党を母体に、国民民主党が結成された[27]。そして2020年には立憲民主党へ国民民主党の大半が合流し、新・立憲民主党が結成された[28]

2021年(令和3年)11月における衆議院の議席数は、全体465のうち最多の自民党が263と絶対安定多数を単独で保持して与党となっている。第二党は民主党の流れをくむ立憲民主党で、同党は最大野党でもあるが、議席数は96と全議席の5分の1程度、自民党の半数以下にとどまる。日本維新の会は41議席を保持し自民、立民に次ぐ第三党の地位を占める。第四党の公明党は32議席で、自民党と連立して与党の座にある。他には国民民主党日本共産党がそれぞれ10議席前後である[29]

これらの現状について、二大政党制とは扱わないとする考えも多い。ただし、上記のように世界を代表する二大政党制国家であるイギリスではブレア政権時に労働党保守党両党の議席数差が2倍を超えていたことや、カナダでは特定政党の大敗による二大政党制の崩壊と復帰を繰り返していたことのように、一党優位政党制から二大政党制へと回帰する事例もある。自民党は2012年の衆議院総選挙以降、小選挙区で10%以上の大差で勝利することが徐々に減少し、5%差以内の接戦にもつれこむことが増えており[30]2021年の衆議院総選挙では1万票未満の僅差で当選した選挙区が51にも上る[31]。このため、世論の風向き次第では自民党の縮小や野党の伸張が起こりうる状況でもある[30]。2021年衆議院総選挙に対する分析でも、二大政党制になる気配がなく日本の政治風土には合っていないとするもの[32]、与野党の対決という二大政党制のアプローチが続いており、それが日本の政治風土に合わないとするもの[33]、与党ブロックと野党ブロックによる政策合意と候補者調整が行われたことで、むしろ1996年以降で初めて小選挙区比例代表並立制が想定する与党対野党の構図になったとするもの[34]など、見解は分かれている。

注釈編集

  1. ^ 比較第一党とは、過半数には達しないものの最大勢力を保持する党のことである。

出典編集

  1. ^ 川上和久 『2大政党制は何をもたらすか 日本大変革への道』(第1版版) ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年。ISBN 4797336749 
  2. ^ 加藤秀治郎 『日本の選挙 何を変えれば政治が変わるのか』(第1版版) 中央公論新社〈中公新書〉、2003年。ISBN 4121016874 
  3. ^ また、派閥ではなく第三党を作ろうとした場合には、かえって自らの考えに近い二大政党に不利になってしまうという現象も存在する(2000年アメリカ合衆国大統領選挙ラルフ・ネーダーなど)。
  4. ^ a b c 三宅 一郎 (1994-12-22). “一党優位政党制の展開と外交基本路線にかんする意識パターン-有権者の政党支持と対外態度の時系列分析-”. 年報政治学 45: 173-193. doi:10.7218. https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/45/0/45_0_173/_pdf/-char/ja. 
  5. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「一党優位政党制」の解説”. コトバンク. CARTA HOLDINGS. 2021年9月14日閲覧。
  6. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「11/2政党制」の解説”. コトバンク. CARTA HOLDINGS. 2021年9月14日閲覧。
  7. ^ 百科事典マイペディア「政友会」の解説”. コトバンク. 2021年8月24日閲覧。
  8. ^ a b 與那覇 潤 (2013年3月4日). “昭和史から問う「二大政党制は終わったのか」 いまこそ甦らせたい戦前、普通選挙時代の夢と教訓”. 東洋経済オンライン. https://toyokeizai.net/articles/-/13057 2021年8月24日閲覧。 
  9. ^ 立憲民政党”. アジア歴史ラーニング -デジタル資料で学ぶ日本とアジア-. 国立公文書館. 2021年8月24日閲覧。
  10. ^ 世界大百科事典 第2版「民政党」の解説” (日本語). コトバンク. 2021年8月24日閲覧。
  11. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ) 「五・一五事件」
  12. ^ 百科事典マイペディア「新体制運動」の解説”. コトバンク. 2021年8月24日閲覧。
  13. ^ a b c d 【独立後の日本】55年体制がどういう体制かよくわかりません”. 進研ゼミ 高校講座. ベネッセ. 2021年8月24日閲覧。
  14. ^ 自さ社連立 村山内閣発足”. 日本放送協会. 2021年8月24日閲覧。
  15. ^ 知恵蔵「連立政権時代」の解説 (星浩 朝日新聞記者 / 2007年)”. コトバンク. 2021年8月24日閲覧。
  16. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『自由民主党』 - コトバンク
  17. ^ “平成22年(2010年)綱領” (プレスリリース), 自由民主党, (2010年1月24日), https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/#sec05 2021年1月5日閲覧。 
  18. ^ 政治・経済教育研究会 編 『政治・経済用語集 第2版』 山川出版社、2019年、79頁。ISBN 978-4-634-05113-3
  19. ^ “定義なき保守バブル 有権者の解釈多様”. 西日本新聞. (2017年10月16日). オリジナルの2019年5月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190521185847/https://www.nishinippon.co.jp/item/n/366091/ 2019年8月28日閲覧. "自民党と民主党の対立構図は「保守対リベラル」と表現された。" 
  20. ^ “与党が「絶対安定多数」 民主40増 2大政党制へ”. 読売新聞. (2003年11月10日). https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/shugiin2003.pdf 2021年11月9日閲覧。 
  21. ^ “2004参院選トップ”. 朝日新聞. (2004年7月16日). http://www.asahi.com/2004senkyo/ 2021年11月9日閲覧。 
  22. ^ 2007参院選”. 朝日新聞社 (2007年8月7日). 2021年11月9日閲覧。
  23. ^ 民主308議席を獲得、鳩山政権誕生へ(2009年8月31日朝日新聞)
  24. ^ 第45回 平成21年8月30日(麻生首相)民主大勝308議席 政権交代し連立政権発足” (日本語). 衆議院・参議院 選挙の歴史 | NHK選挙WEB. 日本放送協会. 2021年8月25日閲覧。
  25. ^ 第22回 平成22年7月11日(菅首相)自民改選第1党 民主敗北し「ねじれ国会」に” (日本語). 衆議院・参議院 選挙の歴史 | NHK選挙WEB. 日本放送協会. 2021年8月25日閲覧。
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  27. ^ 党首討論、活性化の道は 「1強多弱」野党の時間細切れ 首相「歴史的使命終わった」(2018年7月11日朝日新聞)
  28. ^ 新「立憲民主」が結党大会 枝野代表「国民に選択肢示す」(2020年9月15日産経新聞)
  29. ^ 会派名及び会派別所属議員数”. 衆議院 (2021年8月11日). 2021年8月24日閲覧。
  30. ^ a b “次点との差わずか391票…衆院選小選挙区、自民当選者2割が辛勝”. (2021年11月4日). https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20211103-OYT1T50230/ 2021年11月5日閲覧。 
  31. ^ “[針路 21衆院選後]<上>「薄氷の勝利」1強の戦いはこれから”. 読売新聞. (2021年11月2日). https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20211101-OYT1T50327/ 2021年11月5日閲覧。 
  32. ^ 室橋祐貴 (2021年11月25日). “国民の分断を招く「二大政党制」の幻想を日本はいつまで見続けるのか?”. Yahoo!ニュース. 2021年11月28日閲覧。
  33. ^ 松元浩 (2021年11月5日). “選挙相場で露呈した二大政党制の“弊害”、市場に優しい「政権交代」の姿”. DIAMOND ONLINE. 2021年11月28日閲覧。
  34. ^ 田中信一郎 (2021年11月25日). “立憲の新代表に求められるのは路線転換ではなく、民主主義の再生だ”. 論座. 2021年11月28日閲覧。

関連項目編集

  • 複占(汎用的に「二人占め」)