二本立て興行(にほんだてこうぎょう、double featuredouble bill)は、映画興行の一形態で、一本分の料金で二つの映画を上映すること。それまでは長編映画一本に数本の短編を添えるのが一般的だった。

二本立て興行のポスター。『Wagons West』と『Blondie Takes a Vacation』(1952年)

オペラの二本立て興行 編集

オペラの歌劇場では、一幕または二幕の短編オペラを単独で上映するのは困難だったため、二本立てにして上演していた。著名な例では、1893年メトロポリタン・オペラで二本立てで上演されたマスカーニの『道化師』と『カヴァレリア・ルスティカーナ』である。この二作は二本立てで上演されることが多く、オペラ界では「Cav and Pag」と呼ばれている[1]

発祥と形式 編集

 
ペンシルベニア州にあるフランクリン・シアターの新聞広告。『アリゾナの襲撃』と『The Boogie Man Will Get You』の二本立て興行(1952年)

映画の二本立て興行は1930年代に始まった、それまでは、メインの長編映画に実演、短編アニメ、短編実写喜劇映画、短い珍品、ニュース映画が添えられていた。

1929年アメリカ合衆国トーキーが広まり、独立系の劇場はそれまでの上映形態を考え直さなければならなくなった。さらに、大恐慌がはじまって収益も落ち込んだ。

劇場経営者は、二本の映画を一本分の料金で上映することで観客を劇場に呼び戻し、さらにコストを削減できると考えた。この戦術は見事に当たり、スタンダードな上映形態となった。

1930年代の典型的な二本立て興行の構成は以下の通り。

小さな町の映画館は二本立て興行で、一本立て興行の大劇場に対抗し好成績をあげた。メジャーの撮影所もこれに注目し、空いたセットとスタッフを利用してB級映画を製作。また、リパブリック・ピクチャーズモノグラム・ピクチャーズ英語版といったB級映画専門の会社も生まれた。

衰退 編集

 
コネティカット州にあるドライブインシアター。『ピンク・パンサー2』と『ピンク・パンサー3』の二本立て興行(1977年)

二本立て興行はブロック・ブッキング英語版という配給システムを生んだ。これは、メジャー・スタジオがA級映画と一緒に指定するB級映画を上映するよう要求する抱き合わせ商法だった。1948年合衆国最高裁判所はこれを独占禁止法と裁定し(パラマウント裁判)、スタジオ・システムは終わりを告げた。

スタジオからの要求はなくなったが、小さな町の映画館、とくにドライブインシアターは集客のために二本立て興行が必要だった。1940年代終わりまでにはアメリカの映画館のうち、二本立て興行を専門とするものが29%、専門ではないもののやっているところが36%にのぼった。なお、パラマウント裁判以降、添え物作品の選定に多少の変化もあった[2]。具体的には、

  • メジャースタジオによる旧作のリバイバル
  • メジャースタジオから権利を買い取った旧作のリバイバル(リアラート・ピクチャーズやアスター・ピクチャーズというリバイバル専門の会社があった)
  • 小さなスタジオが製作した低予算映画

小さなスタジオの中には、ジェームズ・H・ニコルソン英語版サミュエル・Z・アーコフが設立したアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(AIP)がある。メジャーより低い取り分でB級映画を提供した[3]

1960年代になると、二本立て興行はドライブインシアターで上映されるだけになり、現代のような一本立て興行が支持されるようになった。ただし、ジェームズ・ボンドマット・ヘルム英語版といったスパイ映画やマカロニ・ウェスタンはメジャー映画の添え物として再上映されることもあった。

現在、二本立て興行は廃れてしまったが、懐かしさをもって愛されている。オーストラリアメルボルンには1936年のオープン以来二本立て興行を続けているアスター・シアターがある。

復活 編集

1990年代、二本の映画を一緒にしたVHSが「ダブル・フィーチャーズ(double features)」という名前で売られていた。

2007年、クエンティン・タランティーノロバート・ロドリゲスは映画『グラインドハウス』で二本立て興行をスクリーン上で再現した。

日本の映画監督、北村龍平堤幸彦は観客の投票により雌雄を決する「DUEL(Duel Project)」という新しい試みの二本立て興行を行った[4]

2009年10月2日、『トイ・ストーリー3』公開前に、前2作(『トイ・ストーリー』『トイ・ストーリー2』)が二本立て興行でリバイバル上映された。限られた劇場でディズニーデジタル3-Dでの上映だった[5]。同様に2010年6月29日、『エクリプス/トワイライト・サーガ』前に『トワイライト〜初恋〜』と『ニュームーン/トワイライト・サーガ』が限られた劇場で一夜限りの上映[6]

2011年、劇場版ポケットモンスターの14作目が二本同時に公開された(『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム』))。この二本は同じストーリーだが、いくつかの違いがある[7]

出典 編集

  1. ^ Phillips-Matz, Mary Jane (2006). Washington National Opera 1956–2006. Washington, D.C.: Washington National Opera. pp. 196. ISBN 0-9777037-0-3 
  2. ^ p.78 Schatz, Thomas History of the American Cinema: American Cinema in the 1940s. Boom and Bust Volume 6 University of California Press
  3. ^ p.124 Doherty, Thomas Teenagers and Teenpics Unwin-Hyman 1988
  4. ^ 「セガモバ」で映画「DUEL~対決「2LDK」VS「荒神」」試写会ご招待キャンペーン”. 電撃オンライン. KADOKAWA (2003年9月1日). 2020年5月27日閲覧。
  5. ^ Hartford Informer 'Toy Story' Re-Release Provides Trip Down Memory Lane[リンク切れ], October 22, 2009 [リンク切れ]
  6. ^ Twilight/New Moon Combo (one-night-only)”. Box Office Mojo. 20120-05-27閲覧。
  7. ^ ポケモン映画史上初! 2作品同時公開決定”. オリコン (2011年2月15日). 2020年5月27日閲覧。