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亘理 胤元(わたり たねもと)は、江戸時代末期の武士陸奥国仙台藩一門第四席涌谷伊達家13代(亘理氏31代)当主で、元は伊達 胤元(だて たねもと)を名乗った。

 
伊達胤元 / 亘理胤元
時代 江戸時代末期 - 明治時代
生誕 安政4年(1857年
死没 明治15年(1882年8月1日
改名 鉉太郎(幼名)→伊達胤元→亘理胤元
別名 安芸、元太郎
墓所 宮城県遠田郡涌谷町見龍寺
主君 伊達慶邦
陸奥仙台藩
氏族 涌谷伊達氏
父母 父:伊達邦隆、母:石川宗光娘・文子
兄弟 胤元、千保(但木直次室)、
厚(山本氏室)、喜保(竹内寿貞室)、栄(八巻知道室)、郁(但木乙橘室)
亘理胤正
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生涯編集

安政4年(1857年)、伊達邦隆の子として誕生した。慶応3年(1868年)3月、邦隆の急死により12歳で家督を相続し、涌谷邑主となる。慶応4年(1868年)の戊辰戦争には、叔父・亘理隆教が陣代として涌谷伊達家の兵を率いて出陣した。戊辰戦争の敗戦により仙台本藩が4分の1に知行を減封され、胤元も代々治めた涌谷領を没収される。明治維新後は、伊達から本姓の亘理に改めた。

明治2年(1869年)、新政府に北海道開拓を申請、空知郡の支配を許される。旧臣と共に北海道移住を志すも、在地で帰農を希望する者も多く挫折した。

明治15年(1882年)8月1日、死去した。享年26。子の亘理胤正は、アメリカに留学して農業を学び、大正4年(1915年)には衆議院議員となる。

出典編集

  • 『仙台人名大辞書』

関連項目編集

先代:
伊達邦隆
涌谷伊達家
第13代:1868年 - 1868年
次代: