交野天神社
交野天神社(かたのあまつかみのやしろ/かたのてんじんじゃ)は、大阪府枚方市楠葉丘にある神社。旧社格は村社。
交野天神社 | |
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![]() 拝殿 | |
所在地 | 大阪府枚方市楠葉丘2-19-1 |
位置 | 北緯34度52分3.6秒 東経135度41分23.3秒 / 北緯34.867667度 東経135.689806度座標: 北緯34度52分3.6秒 東経135度41分23.3秒 / 北緯34.867667度 東経135.689806度 |
主祭神 |
光仁天皇 天兒屋根命 菅原道眞 |
創建 | 延暦6年(787年) |
例祭 | 10月16日 |
地図 |
歴史 編集
『続日本紀』及び『岩清水神宮 縁起』によると、桓武天皇が延暦6年(787年)、交野に父光仁天皇を祀るための郊祀壇を設けたとあり、ここがその地とされている。
境内 編集
本殿は1402年(応永9年)建立の一間社流造で檜皮葺。隣接して末社八幡神社本殿が並んで建つ。本殿は、鎌倉時代1238年と室町時代1401年 に修理された。全体の外観は雄大な手法で鎌倉時代の様式を残し、蟇股(かえるまた)等の 彫刻は、繊細で美しいものが多く、室町時代の初期の特色を備えている。 誉田和気命(ほむたわけのみこと)を祀る末社八幡神社本殿は、本殿と同じ頃の建立と推定され、本殿よりやや小振りでほぼ同じ造りをしている。構造や形状は交野天神社に等しく、向拝の蟇股や欄間の透彫に見るべきものがある。 本殿、末社八幡神社本殿ともに1917年(大正6年)に国の重要文化財に指定された[1]。
境内には原生林が生い茂っている。本殿の北東に貴船神社の末社がある。この場所は継体天皇の樟葉宮跡と伝えられている。神社の境内一帯は1984年に枚方市から「枚方八景」の一つ「樟葉宮跡の杜」に指定された[2]。 ただし、『五畿内志』、『河内名所図会』、『淀川両岸一覧』などには交野天神社を樟葉宮の跡地であるとする伝承・文書は記録されていないため、馬部隆弘は「明治7年に片埜神社が交野天神社から由緒を奪って堺県へ報告し、それに負けない由緒が交野天神社に必要になったため、明治20年に至ってから継体天皇との関係を主張し出した伝承である」と指摘している[3]。
2018年9月の台風21号では境内の樹木が多数倒壊する被害が出た[4]。
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継体天皇樟葉宮伝承地碑・貴船神社(枚方市指定文化財)
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大神社
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鳥居
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鳥居
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桓武天皇先帝御追尊之地碑
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境内入り口
文化財 編集
重要文化財(国指定) 編集
- 交野天神社本殿(附 棟札2枚)(建造物) - 室町時代中期、応永9年(1402年)の造営。1917年(大正6年)4月5日指定[5]。
- 交野天神社末社八幡神社本殿(建造物) - 室町時代中期の造営。1917年(大正6年)4月5日指定[6]。
大阪府指定文化財 編集
- 史跡
- 継体天皇樟葉宮跡伝承地 - 1971年(昭和46年)3月31日指定[7]。
枚方市指定文化財 編集
- 有形文化財
- 交野天神社末社貴船神社本殿(建造物) - 2004年(平成16年)4月1日指定[7]。
交通 編集
- 最寄駅:京阪本線樟葉駅より北東へ2km。
- 以前は樟葉駅発着のくずは丘コミュニティバス終点の市民の森バス停が徒歩5分の箇所にあったが、2018年3月限りで路線が廃止された[8]。
周辺 編集
神社も協力する形で付近の商店で構成する「樟葉宮表参道商店会」が存在し[9]、マスコットとして巫女姿の猫のゆるキャラ ご当地キャラ「みっけちゃん」が2011年10月16日(日)より活動している[10]。
脚注 編集
- ^ “大阪の神社仏閣 交野天神社”. fishaqua.gozaru.jp. 2020年7月11日閲覧。
- ^ [1]
- ^ 馬部隆弘『由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に』(勉誠出版、2019年)
- ^ 交野天神社の片づけ - みっけちゃん公式ブログ(2018年9月21日)
- ^ 交野天神社本殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 交野天神社末社八幡神社本殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ a b 大阪府内指定文化財一覧表 > 枚方市 (PDF) (大阪府ホームページ)。
- ^ 樟葉駅〜市民の森のバス路線が4月から廃止されるみたい。伴ってくずは丘のバス停もなくなる模様 - 枚方つーしん(2018年3月14日)
- ^ 樟葉宮表参道商店街 大阪府枚方市樟葉 - まいぷれ枚方
- ^ みっけとは? - みっけちゃん公式サイト
外部リンク 編集
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