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大森営業所
大森営業所所属車両 (現在の車両)

京浜急行バス大森営業所(けいひんきゅうこうバスおおもりえいぎょうしょ)は、京浜急行バスの路線のうち、大井町駅大森駅を発着するバス路線を主に所管している営業所である。

営業所のある東京都大田区平和島に車庫と工場を持つほか、大森操車所(JR大森駅前)と森ヶ崎操車所(東京都大田区大森南4丁目)を持ち、営業所記号はMである。この営業所には、貸切輸送の免許を取得していることから貸切登録および特定登録された車両が配属されており、その場合の営業所記号はそれぞれSM、TMとなる。また、循環路線が多いのも特徴である。

目次

沿革編集

営業所の開設は1970年昭和45年)6月16日である(5月27日とする資料もある)が、この記事では、現在の所管路線の源流として昭和初期に存在した梅森自動車株式会社の時代まで遡って詳述する。

梅森自動車と森ヶ崎編集

東京府大森町(現・大田区)の森ヶ崎は明治時代より湯治場として栄えており、1901年(明治34年)の京浜電気鉄道線(現・京急本線)開業に合わせ、山谷駅(現・大森町駅)と森ヶ崎の間で人力車の路線が開通した。この路線は、地元の商人平林吉蔵の個人経営としてスタートした。

1917年(大正6年)頃、森ヶ崎と京浜電鉄線梅屋敷駅の間、現在の大田区北糀谷から東蒲田にかけて道路が整備された。平林は梅屋敷駅からの人力車の運行も開始した。

1924年(大正13年)7月、酒匂呑吉が地元の有志と計って都南自動車商会を設立し、森ヶ崎への乗合自動車の運行を開始した。これに対抗する形で平林も同年11月、個人経営だった陸上運送事業を法人化して森ヶ崎人力自動車を設立。人力車と乗合自動車を併用して運行にあたった。その後、両社間の競争が激しくなったため両社を統合して新たな事業者に移行する可能性が模索される。この時、京浜国道上の東京 - 横浜間にバス路線の新設をもくろんでいた京浜電鉄が調整に割って入る。

1928年昭和3年)11月24日、都南自動車、森ヶ崎人力自動車の両社は解散して新たに梅森自動車が設立された。梅森は1933年(昭和8年)6月1日、梅屋敷駅線を省電京浜線蒲田駅まで延長して、路線を蒲田駅 - 森ヶ崎とした。

1935年(昭和10年)、梅森は正式に京浜電鉄の傘下に入る。この間、1937年(昭和12年)には京浜電鉄大森線が廃止され、バス転換となった。

1939年(昭和14年)、梅森は先に京浜傘下となっていた蒲田乗合自動車と合併し、梅森蒲田自動車となった。梅森蒲田の時代は長くはなく、親会社の京浜電鉄の後を追うかのごとく1942年(昭和17年)12月東京急行電鉄大東急)に吸収合併して解散。路線は東急渋谷営業局管下で実質、雑色営業所に引き継がれることになった。

羽田所管時代編集

京浜急行電鉄1948年(昭和23年)の大東急からの独立にあたって、湘南線(現・京急本線)杉田以南の三浦半島と、東京都大田区の国鉄東海道本線よりも東の区域のバス路線を東京急行電鉄から引き継いだ。

このとき、大森地区の路線は旧梅森自動車の流れを汲む森ヶ崎線、旧大森乗合の流れを汲んで一時は東横電鉄の路線となっていた鬼足袋線、それに旧京浜電鉄が電車補完として開業した京浜国道線(品川駅 - 生麦)の3路線が存在し、東京急行高輪営業所から京浜急行品川営業所に引き渡された。森ヶ崎線のうち、大森駅 - 森ヶ崎間は既に運転が再開されており、同年11月1日には蒲田駅 - 森ヶ崎間の運行も再開されている(後述)。

品川営業所は後に東京営業所と改称、実質的な拠点を大田区に移す。

1959年(昭和34年)、東京営業所大鳥居支所が独立して羽田営業所となると、大森地区の路線は羽田の担当となった。この頃には、国道線の区間便ともいえる大井町線が開業。大森 - 羽田空港線の延長として東急との相互乗り入れによる田園調布線も開業した。

しかし、1960年代後半になると羽田営業所が所要車両数増加に追い付かなくなったことに加え運行管理の合理化もあり、分割して新たな営業所を設けることになった。

平和島の新営業所へ編集

営業所新設にあたっては、将来の車両数増加に耐えられる広大な土地が必要とされたが、京浜急行は当時埋め立てが竣工したばかりの大田区平和島に土地を取得することになった。これは、路線の拠点となる国鉄大森駅と、同じ京急グループの京急開発が所有する平和島競艇場の両方に近く、競艇場へのアクセス輸送を担当した車がそのまま出入庫できるという利便性の高さによるものだった。

開設当初は羽田から鬼足袋線、森ヶ崎線、東糀谷6丁目線など17系統を移管されたが、1973年(昭和48年)3月16日には六郷営業所の廃止に伴い、同営業所の所管していた一部路線を新たに所管することとなった。しかし、羽田は当時東急バスに加えて川崎鶴見臨港バスとの共管もあったのに対し、大森営業所の路線で他社との共管は大井競馬場線の大井町駅発着便のみだった。

昭和50年代編集

昭和50年代に入ると、東京湾の埋め立て進行による大田区の面積拡張に合わせて、京浜急行バスは大森駅と埋立地を結ぶ路線を次々と新設し、そのすべてが当営業所の担当となる。

1978年(昭和53年)、船の科学館で行われた宇宙科学博覧会へのアクセス確保を理由に船の科学館線を新設。これにより、大森営業所はそれまでの大田区、品川区に加えて新たに江東区に路線を持つことになり現在まで存続している。

ほぼ同時期に京浜島の工業団地造成が始まったのをきっかけに、京浜島循環線を新設。当時は京浜急行平和島駅を経由せず、レジャーランド平和島を経由して国鉄大森駅への直結輸送を行った。平和島駅からの京浜島路線となる平和54が新設されたのは、それから4年後の1982年(昭和57年)のことである(後述)。

1983年(昭和58年)、大井ふ頭北西部の品川区八潮5丁目に建設が進められていた「八潮パークタウン」の入居が始まり、京浜急行が大森駅から、都営バス大井町駅品川駅からバスの運行を開始した。

これと前後して、京浜急行では到着地での客扱い時間短縮を目的に中扉を2枚引き戸とした「スーパーワイドドア」車をメーカーに打診し、富士重工業がその生産に応じた。1983年(昭和58年)上期の新車で、フルモデルチェンジしたばかりだったR15Eボディにスーパーワイドドアを搭載した新車が当営業所に納車されてきた。当時の大森営業所は日産ディーゼル三菱自動車(現・三菱ふそうトラック・バス)が指定メーカーで、日産エンジンを積んだ富士重ボディの新車は整備の面でも正に覿面だった。

昭和60年代編集

1987年(昭和62年)上期の新車で、いすゞ自動車製新造車の投入が行われる。大森はいすゞが長年本社を置いてきた場所にもかかわらず、その前を通る京急バスはいすゞ車を使用しないという状況が続いてきたが、前年の羽田営業所へのいすゞ車投入に続き、お膝下の大森にも配備されたことで両社の関係が一気に良好となった。同年下期の新車からは、いすゞ製スーパーワイドドア車の新造投入も行われるようになる。

1988年(昭和63年)4月、城南島循環線の運行を開始。翌1989年平成元年)の大田市場開場にあわせて、大田市場線も運行を開始した。城南島線、大田市場線とも都営バスが既に運行していたエリアに食い込む形での参入だった。

平成以降編集

1991年(平成3年)10月19日、しながわ水族館線を開設。大井競馬場線に次ぐ東急バスとの共管路線で、レトロ調ボディをまとった専用車が投入された。

1994年(平成6年)10月1日、京浜急行の他の営業所や川崎鶴見臨港バスなどと共にバス共通カードの導入を行う。

1996年(平成8年)3月30日、りんかい線の開業による船の科学館線の経路変更で、大森営業所は港区にも路線を持つことになった。

1999年(平成11年)4月1日、羽田営業所の都内一般路線が子会社化され「京急バス」(現・羽田京急バス)が誕生する。2000年10月には第一京浜経由大森東五丁目線(蒲田駅 - 大森東五丁目)と川崎駅 - 森ヶ崎線が当営業所から京急バスに移管となり、神奈川県川崎市への乗り入れが消滅。大森営業所は神奈川県の一般路線から撤退して東京都内のみを管轄することになった。

2007年(平成19年)3月18日、サービス開始と同時にPASMO導入を開始した。一般路線ではバス特も適用される。

現行路線編集

鬼足袋線編集

JR大森駅と蒲田駅の間を、JR東海道線京急本線で挟まれた地区に沿ってまっすぐ結ぶ路線である。路線名である鬼足袋は、大森第八中学校の辺りに鬼足袋という地下足袋工場があったことに由来する(1935年に閉鎖)。東邦大学医療センター大森病院へのアクセスを確保する病院輸送、東邦大学医学部と大森学園高等学校への通学輸送をメインに終日利用者が多く、日中は10分間隔で運行される。

この路線は、1931年(昭和6年)12月28日に大森乗合自動車が大森駅 - 梅屋敷通り間の免許を取得し、翌1932年(昭和7年)4月25日に開業させたのが始まりである。国鉄と京浜電車に挟まれた市街地を走り、帝国女子医学専門学校付属病院(現・東邦大学医療センター大森病院)への来院客にも支えられて当初より営業成績は良く、開業当初は8人乗りフォード2両での運行だったものが、1933年(昭和8年)には新たに8両を増備している。

しかしながら、開業前の1932年初頭に大森乗合は目黒蒲田電鉄(現在の東京急行電鉄の前身)、というよりは同社社長五島慶太の買収に遭う。1933年6月1日、大森乗合は目蒲電鉄の系列会社である目蒲乗合に吸収合併され、池上営業所大森支所の所管となった。また同年9月には路線を蒲田花園(蒲田御園(=国鉄蒲田駅)の誤植の可能性あり)まで延長しているが、1941年頃の終点は大森五丁目だったようである。なお目蒲乗合は、1937年(昭和12年)に目蒲電鉄本体にすべての路線を譲渡して解散。目蒲電鉄バス、東横電鉄、東京急行とつながる東急バスの基礎となった。

戦後、大東急解体時には営業が休止されていた。この際、東急と京浜急行の間で調整があり、鬼足袋線の路線免許は京急に引き継がれた。これは営業エリアの境を国鉄東海道線としたためである。その後、1951年(昭和26年)4月1日に営業を再開した。

1992年(平成4年)3月16日には深夜バスの運行を開始し、現在に至る。

森ヶ崎線編集

  • 森26: 大森駅東口 - 大森海岸駅 - 平和島駅 - 大森警察 - 北糀谷 - 森ヶ崎
  • 森56: 大森駅東口 - 八幡通り - 沢田通り - 大森西特別出張所 - 平和島駅 - 大森警察 - 北糀谷 - 森ヶ崎

JR大森駅と森ヶ崎を結ぶ路線である。戦前は森ヶ崎鉱泉への観光客で賑わったが、大東亜戦争をきっかけに軍需工場が次々と進出して温泉宿は転廃業に追い込まれ、戦後の1949年(昭和24年)、終点の森ヶ崎に東京労災病院が開院したことで性格が一変。現在は東京労災病院へのアクセスとなる病院輸送、京浜急行の駅から離れる大田区大森南大森中北糀谷地区と最寄のJR・京急本線の駅を結ぶ地域輸送を中心に、大森駅と平和島駅の間では都立美原高校(旧・大森東高校)の通学輸送も担う、地元に欠かせない生活路線となっている。

路線の基礎は1924年(大正13年)に都南自動車商会が立ち上げたものである。この区間では既に人力車の運行があり、人力車を運営していた平林商会は事業防衛のため乗合自動車にも参入して森ヶ崎人力自動車となり、梅森自動車、梅森蒲田自動車、そして大東急バスへとつながっていく(前述)。

終戦直後の1947年(昭和22年)、東京急行高輪営業所の手で大森駅 - 森ヶ崎間がいち早く再開される。

1977年(昭和52年)4月1日、平和島駅前を左折して環七通りに出る大森駅 - 大森福祉事務所(現:大森西特別出張所) - 森ヶ崎間、森56系統の運行が開始された。なお、森56系統は平日のみの運行である。

大森東五丁目線編集

  • 森27: 大森駅東口 - 八幡通り - 平和島駅 - 大森警察 - 大森東五丁目

JR大森駅と大森東五丁目を結ぶ路線。大森駅から国道131号方面へ向かう路線の中では最も距離が短い。

元は大田区大森8丁目(現・大森東3丁目)にあった東京ガス大森工場および日本特殊鋼本社工場(現・大同特殊鋼)への通勤輸送を目的に、京浜急行電鉄東京営業所時代の1957年(昭和32年)に開設されたもの。1987年(昭和62年)の東京ガス工場閉鎖後は大田区大森東3~5丁目の地域輸送に事実上特化しつつ、森ヶ崎線と共に都立美原高校の通学輸送も担う生活路線として存続する。

一時は大井競馬場まで延長運転していた名残で、現在でも大森駅前と平和島入口の間のルートが他の路線と異なり大森海岸駅を通らない。また、大森駅と八幡通りの間も鬼足袋線と異なるルートを走る。終日に渡って共通のダイヤが組まれており、朝時間帯は1時間に3 - 4本、日中は1時間に2本、夜時間帯は1時間に2 - 3本である。

大井町線編集

JR大井町駅からJR大森駅を経由してレジャーランド平和島に至る路線である。大井町発の便は、途中の鈴ヶ森付近で第一京浜国道から桜新道方面へ右折するが、この交叉点は路線バス以外右折禁止である。路線は、1960年(昭和35年)5月16日に大井町駅 - 大森駅で運行を開始し、同年9月21日に平和島まで延長されているが、大半が大井町駅 - 大森駅間の運行である。この路線は一時期小型ノンステップバスが運行されていた時期があるが、小型ノンステップバスは逗子営業所に転出している。

大森駅 - 八潮線編集

  • 森22: 大森駅東口 - 大森海岸駅 - 中央公園 - 八潮パークタウン循環

JR大森駅と品川区八潮にある八潮パークタウンを結ぶ路線である。1983年(昭和58年)3月25日、団地の入居開始に合わせて運行を開始し、同時に八潮南小学校始発、および八潮南止まりの出入庫便も設定された。なお都営バスも同日付で品川駅と大井町駅の両方と八潮を結ぶ品91系統を開通させている。

大井町駅 - 八潮線編集

  • 井12: 大井町駅東口 - 青物横丁駅 - 立会川 - 八潮パークタウン循環

JR大井町駅と品川区八潮にある八潮パークタウンを結ぶ路線である。1985年(昭和60年)4月1日に運行を開始し、大森駅 - 八潮線と同様に八潮南小学校始発、および八潮南止まりの出入庫便も設定されている。京急線立会川駅への利便性向上のために新設された路線のため、大井町駅に出るには同区間を走る都営バス井92系統に比べてやや時間がかかる。

船の科学館線編集

  • 井30: 大井町駅西口→青物横丁駅→(大井首都高速湾岸線臨海副都心)→フジテレビ→台場駅→フジテレビ南口→東京テレポート駅→テレコムセンター駅東京国際クルーズターミナル駅台場駅→フジテレビ南口→東京テレポート駅→(臨海副都心)首都高速湾岸線(大井)→青物横丁駅→大井町駅西口
  • 井32: 大井町駅西口→青物横丁駅→フジテレビ→台場駅→フジテレビ南口→東京テレポート駅→青物横丁駅→大井町駅西口
  • 井33: 大井町駅西口→青物横丁駅→フジテレビ→台場駅前→フジテレビ南口→東京テレポート駅→テレコムセンター駅前
  • 森30: 大森駅東口→大森海岸駅→フジテレビ→台場駅→フジテレビ南口→東京テレポート駅→テレコムセンター駅→東京国際クルーズターミナル駅→台場駅→フジテレビ南口→東京テレポート駅→大森海岸駅→大森駅東口
  • 森40: 大森駅東口→平和島駅→フジテレビ→台場駅→フジテレビ南口→東京テレポート駅→テレコムセンター駅→東京国際クルーズターミナル駅→台場駅→フジテレビ南口→東京テレポート駅→平和島駅→大森駅東口(1日1本のみ)

大井町駅及び大森駅から首都高速湾岸線東京港トンネルを経由し、お台場等の臨海副都心地区を結ぶ、京急バスや東京都23区を走る一般バス路線では珍しく高速道路を走行するバス路線であり、京急バス各社では唯一港区・江東区を通る一般路線である。

1978年(昭和53年)7月16日から翌1979年1月15日にかけて行われた宇宙科学博覧会輸送のため、大井町駅 - 船の科学館・大森駅 - 大森海岸駅 - 船の科学館・大森駅 - 平和島駅 - 船の科学館を臨時運行されたのが始まりで、同博覧会終了により一般定期路線化された。定期路線化当時、周辺は船の科学館と首都高速道路以外何もない場所だったが徐々に整備され、その都度経路を変更し、1996年りんかい線開業時に現在のルートになっている。特にお台場地区の経路は複雑であり、東京港トンネルを出たバスはまずフジテレビ前、台場駅を経由してから東京テレポート駅・テレコムセンター駅や船の科学館最寄りの東京国際クルーズターミナル駅に立ち寄る。その後、台場駅・東京テレポート駅経由でトンネルを経て大井町・大森に戻るという運行形態である。大半は大井町駅発着だが、大森駅発着は少数のみ運転される。

井33系統は2019年3月1日から運行を開始した。燃料電池駆動車『SORA』が専用運用される系統である。

なお、この路線に充当される車は首都高速道路を走行する関係上、ETCを搭載している車両のみとなっている。かつては座席にシートベルトも装備していたが、車の代替により、時速60kmを越えて走行しないことを条件にシートベルト非装備車が充当されるようになった(当該車の車体に速度制限を表示)。かつてはワンロマ車を充当することが多かった。

2016年7月現在、首都高速湾岸線東京港トンネルを走行する唯一の一般バス路線であるが、同年3月の国道357号東京港トンネル(一般部)のお台場中央交差点→大井ランプ間の片道開通により、東京テレポート駅→大井町・大森方向が一般道路経由に改められ、首都高湾岸線は片道のみの通行となっている。(なお、反対方向の大井ランプ→お台場中央交差点の開通が成った後の動向については2016年7月時点では発表はない)

大井町・大森を出た便が復路は異なる系統で戻る運用があるが、その場合東京テレポート駅→テレコムセンター駅間で反対向きの便の系統番号(井30・森30・森40の何れか)に行先表示を変更するので、同じ便に乗っていても乗車時と降車時で表示されている系統番号が異なる場合がある。

京浜島・昭和島循環線編集

  • 森24: 大森駅東口 →大森海岸駅→平和島駅→流通センター前→京浜島海上公園→流通センター前→平和島駅→大森海岸駅→大森駅東口(京浜島循環)
  • 森36: 大森駅東口→大森海岸駅→平和島駅→流通センター前→京浜島海上公園→昭和島駅→流通センター前→平和島駅→大森海岸駅→大森駅東口(京浜島・昭和島循環)
  • 森41: 大森車庫→レジャーランド平和島→平和島駅→流通センター前→京浜島海上公園→昭和島駅→大森車庫(京浜島・昭和島循環)
  • 森45:大森駅東口→大森海岸駅→倉庫センター→流通センター前→京浜島海上公園→昭和島駅→大森車庫→大森海岸駅→大森駅東口(京浜島・昭和島循環)
年譜
  • 1978年(昭和53年)9月25日 - 大森駅 - 平和島 - 京浜島循環(初代・森34系統)の運行を開始。
  • 1982年(昭和57年)4月16日 - レジャーランド平和島 - 京浜島循環の運行を開始。
  • 1983年(昭和58年)6月22日 - 大森駅 - 平和島駅 - 京浜島循環(森24系統)の運行を開始。
  • 1983年(昭和58年)12月26日 - 大森駅 - 昭和島循環の運行を開始。
  • 1985年(昭和60年)頃 - 大森駅 - 平和島 - 京浜島循環(初代・森34系統)を廃止。
  • 2009年(平成21年)2月16日 - 森37・森38・森39系統を廃止(2月13日が運行最終日)。代わりに森45・森46系統新設。
  • 2018年(平成30年)4月1日 - 森46系統を森45系統に統合して廃止。

大森駅・レジャーランド平和島から京浜島一番地・京浜島海上公園または昭和島駅のいずれかあるいは両方を経由し、大森駅・レジャーランド平和島へ戻ってくる循環路線である。主体運行は京浜島一番地・京浜島海上公園経由の森24系統で、京浜島海上公園と昭和島駅を両方通る森36系統がそれに続く。森36系統は、日曜・祝祭日ダイヤが朝1本しかない。

京浜島に行かない森25系統は日曜・祝祭日ダイヤの朝夕5本のみ、森45系統は平日朝のみ。

流通センター循環線編集

  • 森31: 大森駅東口 - 大森海岸駅 - 平和島駅 - 流通センター循環

大森駅から流通センター前を経由し、出発地に戻ってくる循環路線で、森28系統の補完的な役割を果たす。平日・土曜ダイヤの夕方以降に数本のみが運行される。

城南島循環線編集

  • 森32: 大森駅東口→大森海岸駅→平和島駅→流通センター→大田市場→城南島→流通センター→平和島駅→大森海岸駅→大森駅東口(城南島循環)
  • 森32: 大森駅東口→大森海岸駅→平和島駅→流通センター→城南島→流通センター→平和島駅→大森海岸駅→大森駅東口(城南島循環)

JR大森駅と城南島を結ぶ循環路線である。1988年(昭和63年)4月1日に大森駅 - 城南島循環・大森駅 - 城南島循環 - レジャーランド平和島の運行が開始された。

平日ダイヤの日中時間帯は、大田市場構内まで乗り入れる。

平和島循環線編集

  • 森28: 大森駅東口 - 大森海岸駅 - レジャーランド平和島 - 平和島循環
  • 森33: 大森駅東口 - (八幡通り→/←大森海岸駅) - レジャーランド平和島 - 平和島循環(平日朝のみの運行)

大森駅から流通センター・平和島五丁目を経由し、大森駅へ戻ってくる循環路線である。

1968年(昭和43年)11月1日に大森駅 - トラックターミナル間の運行を開始した。1972年(昭和47年)4月1日に大森駅 - 平和島循環に延長された。本数は1時間あたり3本 - 7本程度であるが、休日ダイヤは1時間に概ね1本しかない上に終車が18時台となっている。

流通センター前を経由する路線としては、こちらの方が1時間あたりの本数が多いようである。

大田市場線編集

  • 森43: 大森駅東口→大森海岸駅→平和島駅→流通センター→大田市場→流通センター→平和島駅→大森海岸駅→大森駅東口(大田市場循環)
  • 森47: 大森駅東口→大森海岸駅→平和島駅→流通センター前→大田市場北門東→水産棟前→大田市場事務棟(夜間専用)→京浜大橋→流通センター前→平和島駅→大森海岸駅→大森駅東口(大田市場循環)

JR大森駅と大田区にある大田市場を結ぶ路線である。1989年(平成元年)5月6日、大田市場の業務開始にあわせて大森駅 - 大田市場間の運行を開始し、1993年(平成5年)7月22日には深夜バスの運行も開始した。

大田スタジアム線編集

大森駅と大田スタジアムを結ぶ路線である。終日にわたって13時台 - 16時台は運行しない。森34という系統番号は2代目で、初代は1978年から1985年まで運行の大森駅 - 平和島 - 京浜島循環線(森24系統の原型)が付けていた。

大井競馬場線編集

大井町駅及び大森駅から大井競馬場を結ぶ路線で、競馬開催時のみ運行(森20系統は本場開催日のみ運行)。

井20系統は以前西口発着だったが、2003年(平成15年)4月に東口に変更されている。いずれも羽田京急バスの営業開始以前は羽田営業所も担当していた。

平和島競艇場線編集

  • 森29: 大森駅東口 - 大森海岸駅 - 平和島ボートレース場(羽田営業所と共管)
  • 平和39: 平和島駅 - 平和島ボートレース場(羽田営業所と共管)

BOAT RACE平和島本場開催、およびSG全国場外発売時に運行される無料シャトルバス。本場開催日でもレースが行われている昼間のみの運行となる。本場開催日の夜間と、平和島劇場での場外発売のみの日は、後述のビッグファン平和島シャトル線を復路無料で利用できる。羽田京急バスの営業開始以前は羽田営業所も担当しており、2018年(平成30年)10月1日以降は羽田が主担当となる。

しながわ水族館線(契約輸送)編集

 
しながわ水族館送迎車・大井町駅

しながわ水族館の開業にあわせて、1991年(平成3年)10月19日に運行を開始した。同じく品川区を営業エリアとする、東急バスとの共管である。

品川区の補助金で導入された東京特殊車体製のレトロ調ボディを持つ専用車(SM1179号車。東急はE6802号車)が使われていたが、老朽化にともなって引退し、2006年(平成18年)より2代目専用車が登場した。先代専用車は収容力に限界があり、多客時には一般路線用の中型車が充当されることも多くなっていたため、この教訓を生かし、2代目専用車は一般路線車をベースに塗装を変更した日野・レインボーとなった。ちなみに東急バスはいすゞ・エルガミオである。

ビッグファン平和島シャトルバス(契約輸送)編集

  • 直行 大森駅東口 - (無停車) - レジャーランド平和島

JR大森駅とレジャーランド平和島(ビッグファン平和島)を結ぶ直通バスである。この路線に限り運賃は100円で、現金のみの取り扱い。PASMOおよび全国相互利用が可能な交通系ICカードは使えない。なお、BOAT RACE平和島本場開催またはSG全国場外発売日の昼間は運転せず、代わりに前述の平和島競艇場線が往復共に無料で乗車できる。本場開催日の夜間と、平和島劇場での場外発売のみの日は、劇場内で利用券の交付を受ければ大森駅行きのみ無料で利用できる。

通常はBig Fun平和島の広告をラッピングした専用車(M1813号車。いすゞ・エルガ)が充当されるが、故障時などは一般の路線バスが代替されることがある。

東京テレポート循環(契約輸送)編集

りんかい線東京テレポート駅とテレコムセンター駅(テレコムセンタービル・青海フロンティアビル)・タイム24ビルを結ぶ、関係者専用の無料シャトル路線である。このためビル内に所在する企業に用事がない限り、一般の乗客は利用できない。テレコムセンターの展望台に行く観光客は、新交通ゆりかもめテレコムセンター駅か都営バスの波01・海01・急行05・06系統を利用する必要がある。

元々都営バス深川営業所品川営業所の担当だったが、知事猪瀬直樹が主導した路線再編成に伴い、2013年(平成25年)4月1日付で民間移譲となり京浜急行バスに移ってきた。なお、公式からのダイヤ改正情報には都営・京急共に当路線の移譲についての記述がない。平日の朝夕は頻繁運行される一方、日中は1時間に4本程度の運行。土曜・休日は運休する。

空港連絡・中距離高速バス編集

※印を付した路線は全国相互利用に対応する交通系ICカードが使える路線。

廃止・移管路線編集

川崎 - 森ヶ崎線編集

  • 川76:川崎駅東口 - 六郷橋 - 本羽田一丁目 - 大鳥居 - 北糀谷 - 前の浦 - 森ヶ崎

京浜急行電鉄蒲田営業所時代の1960年(昭和35年)に開設。1973年(昭和48年)の六郷営業所廃止により大森へ移管された。2000年(平成12年)10月1日付で京急バス(現・羽田京急バス)東京営業所に再移管。その後、2004年(平成16年)に羽田営業所の川空線を一般路線化の上で統合。以後は川空線に本数をシフトして大幅減便となった。2018年(平成30年)の羽田京急バス合併により羽田営業所へ移管された。

蒲田 - 大森東5丁目線編集

  • 蒲67:蒲田駅東口 - 京急蒲田駅入口 - 大森警察 - 大森東五丁目

京浜急行電鉄東京営業所時代の1957年(昭和32年)、蒲田駅と大森8丁目の間で開設。1973年の六郷営業所廃止により当営業所へ移管された。2000年(平成12年)10月1日付で京急バス東京営業所に再移管。さらに2018年(平成30年)の羽田京急バス合併により羽田営業所へ復帰した。

東糀谷6丁目線編集

  • 蒲35:蒲田駅東口 - (←京急蒲田/京急蒲田駅→) - 糀谷駅 - 大鳥居 - 東糀谷六丁目

京浜急行電鉄東京営業所時代の1957年(昭和32年)、蒲田駅と羽田中学校の間で開設。1970年(昭和45年)、終点の羽田中学校停留所至近に都営東糀谷六丁目アパートが完成して利用者が増え、1973年(昭和48年)の六郷営業所廃止により大森へ移管して森ヶ崎線蒲36系統と共通の運用を組んだ。その後、1979年(昭和54年)、終点の東糀谷6丁目にANA訓練センターが完成し本格的な通勤路線となった。2000年10月1日付で京急バス東京営業所に移管、さらに2018年(平成30年)の羽田京急バス合併により羽田営業所へ移管された。

森ヶ崎線編集

  • 蒲36:蒲田駅東口 - 京急蒲田駅入口 - 京急蒲田駅 - 日ノ出通り - 大鳥居 - 北糀谷 - 森ヶ崎

都南自動車商会時代の1924年(大正13年)に開設。梅森自動車、大東急を経て、戦後は1948年(昭和23年)11月1日、京浜急行電鉄の手によって再開された。1973年(昭和48年)の六郷営業所廃止に伴う移管以来、大森営業所が担当してきたが、2018年(平成30年)10月1日付で羽田営業所へ移管。東糀谷6丁目線と共通運用を組む。

京浜島・昭和島循環線編集

  • 森46: 大森駅東口→大森海岸駅→倉庫センター→流通センター前→京浜島海上公園→平和島駅→大森海岸駅→大森駅東口(京浜島循環)

2009年(平成21年)、森37・38系統のルート見直しに伴い新設されるが、昭和島に行く森45系統と統合して2018年(平成30年)3月31日限りで廃止。

  • 森25: 大森駅東口→大森海岸駅→平和島駅→流通センター前→昭和島駅→流通センター前→平和島駅→大森海岸駅→大森駅東口(昭和島循環。日曜・祝日ダイヤの朝夕5本のみ)
  • 平和54: レジャーランド平和島→平和島駅→流通センター前→京浜島海上公園→流通センター前→平和島駅→レジャーランド平和島(京浜島循環)

2019年(平成31年)3月31日限りで廃止。

流通センター循環線編集

  • 平和41: レジャーランド平和島 - 平和島駅 - 流通センター循環

2019年(平成31年)3月31日限りで森31系統と統合して廃止。

車両編集

 
かつて大森営業所に所属していたスーパーワイドドア車(現在は廃車)

営業所地元の大森駅東口に本社を置くいすゞ自動車を中心に、日野自動車三菱ふそうトラック・バストヨタ自動車といった国内バスメーカー製の車両が在籍する。このうち一般路線用の車両は原則としていすゞ・エルガで統一されており、全車がノンステップである。日産ディーゼル工業(現・UDトラックス)製一般車は2013年(平成25年)に最後の4台が貸切登録へ切り替えられ事実上消滅。三菱ふそうも2016年(平成28年)2月に最後の2台[1]が除籍されたことにより全廃となり、1986年(昭和61年)のいすゞ大型車本格導入開始から30年目でいすゞ製ノンステップバスへの統一を果たした。

スーパーワイドドア編集

かつては、中扉が両開きのスーパーワイドドア車も在籍し、当営業所に多く抱えている工業地帯や催事輸送対策としてその威力を発揮していた。これらはまず1983年に日産ディーゼル製の一部で最初に導入され、その後も三菱ふそうU-MP218NやいすゞU-LV324N、KC-LV380Qなど、日野を除く3メーカーが導入されてきた(いずれも大型長尺車で日デといすゞの一部は引き戸のワンロマ車)。ちなみに、この大型長尺車は、経年により除籍するまで他営業所への移籍は一切なかった。スーパーワイドドア車は大森のほか、1986年度車が追浜営業所にも2台配置されたが、この2台は1989年に大森へ転属している。A→M7629と7676号車の2台で、いずれもUD製のP-U32Nである。

低公害車編集

CNGノンステップバスは京浜急行バス全体を通じても当営業所のみの配置である。三菱ふそう・エアロスター(M6328号車)といすゞ・エルガType-Bが在籍したが、M6328号車は2015年8月に除籍され、これに取って代わる形でいすゞ・エルガハイブリッドの導入が進められている。

船の科学館線用特別仕様編集

船の科学館線にはいすゞ・エルガのETC車載器とシートベルト(一部車両のみ)を装備した車両と、2019年上期に納車されたトヨタ自動車燃料電池駆動車『SORA』が使用される。

エルガの一部にはN尺と呼ばれる長尺の車両が存在する。N尺は京浜急行バスで標準として導入されているL尺の車両に比べ車長がやや長く、また車内は前中扉間にも2人掛け座席が配置され(2人掛け座席部分の床はワンステップ車並みの高さ)、優先席も前向き1人掛け座席となっている。現在では、ETC車載器が搭載されていてもシートベルトが装備されていない保安基準緩和車両扱いの車輛が船の科学館線に使用されることも多くなっており、当該車両には特殊車両としての緩和標章と「速度60キロ制限車」の表示がされている(万一時速60kmを超えた場合には運転席の速度警告灯と運転席後部にある青色のランプが点灯するようになっている)。

UD車は最後まで残った西日本車体工業ボディのUA系4台(M8373・8374・8415・8416号車)全てが船の科学館線での運行に対応していたが、2013年(平成25年)に貸切登録へ切り替えられ、都内の京浜急行バスからUD製および西工ボディの一般路線用車両が事実上消滅した。

中・小型車編集

1997年から1998年にかけていすゞ製(1台のみ羽田から転属のUD製)の中型車が配置され、大森東五丁目線や川崎 - 森ヶ崎線で運用されていたが、これらは2000年10月に全車が羽田京急バスへと移籍した。また中型ロング車の日野・レインボーHR10.5M車も2000年度のM4042号車を皮切りに2001年度にかけて合計6台が配置され、主に鬼足袋線森50系統で運用されたが、その後M4042号車が羽田京急バスへ、ほかの5台も横浜衣笠追浜営業所へ全車が移籍し配置がなくなった。レインボーHRは高速バスカラーの7M車も1台(M4360号車)だけ配置され、井19系統などで運行されたが、これも逗子営業所へと転出した。

その他、しながわ水族館線用の日野・レインボーHR9M車やビッグファン平和島シャトルバス用のいすゞ・エルガも配置され、後者(M1813号車)はそれを示すラッピングが施されている。このほか平和島駅 - ビッグファン平和島シャトルバス用として日野・ポンチョのSM3039・3040号車も在籍していたが、後に逗子営業所と衣笠営業所に転出している(その後3039号車は逗子から能見台営業所、3040号車は衣笠から堀内営業所へそれぞれ転出)。

その他編集

空港リムジン車はつくば線や鹿島線、甲府線などに充当され、三菱ふそう・エアロエースエアロバス日野・セレガいすゞ・ガーラが在籍し、全車がトイレを装備する。

貸切車は4台在籍、すべて日野車で堀内・能見台・追浜営業所から転入したレインボーHR10.5M車3台とリエッセIIである。特定登録車は元船の科学館線用のUD・UA452系が4台と、能見台営業所から転入したいすゞ・エルガ、しながわ水族館輸送用の日野・レインボーHR9M車の計6台が在籍する。また、しながわ水族館輸送には多客時にレインボーHR10.5M車が充当されることがある。

参考文献編集

  • 京浜急行電鉄株式会社 『京浜電気鉄道沿革史』 京浜急行電鉄、1949年。
  • 京浜急行電鉄株式会社 『京浜急行最近の10年』 京浜急行電鉄、1958年。
  • 京浜急行電鉄株式会社 『会社要覧'68 京浜急行』 京浜急行電鉄、1968年。
  • 京浜急行電鉄株式会社 『最近の10年の歩み』 京浜急行電鉄、1968年。
  • 京浜急行電鉄株式会社 『京浜急行八十年史』 京浜急行電鉄、1980年。
  • 京浜急行電鉄株式会社 『京浜急行百年史』 京浜急行電鉄、1999年。
  • 東京急行電鉄社史編纂事務局 『東京急行電鉄50年史』 東京急行電鉄、1973年。
  • 山県智 『京浜急行バス案内書1』 東京乗合自動車愛好組合戸山支部、1992年。
  • 『都市交通年報』 運輸経済研究センター、各年度版。

脚注編集

  1. ^ M6369・6414号車の2台。