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京都丹波高原国定公園

日本の国定公園

京都丹波高原国定公園(きょうとたんばこうげんこくていこうえん)は、兵庫県東部・京都府大阪府北部・滋賀県西部・福井県南西部に広がる丹波高地(丹波高原)のうち、京都府の南丹市綾部市京丹波町船井郡)、京都市左京区右京区に跨る範囲を主体とし、北側は由良川水系の上中流域と上林川(由良川水系・国定公園域外合流)上流域、南側は桂川水系の上中流域(大堰川・保津川)、東側は滋賀県との府県境、西側は由良川と桂川が開削した亀岡盆地東縁部の範疇に設定された国定公園で、2016年平成28年)2月23日付で中央環境審議会より答申、3月25日に64番目の国定公園に指定された[1]

京都丹波高原国定公園
Kyoto Tamba Kogen Quasi-National Park
Kyoto Tambakogen Quasi-National Park1.jpg
丹波高原
分類 国定公園
所在地
京都府南丹市、綾部市、京丹波町、京都市左京区・右京区
面積 68,851 ha
告示 2016年(平成28年)3月25日
公式サイト 京都丹波高原国定公園 京都府
京都丹波高原国定公園の範囲
(緑線内)
京都丹波高原国定公園記念碑
(南丹市美山文化ホール)

なお、亀岡盆地と丹波高原とは尾根続きの、福井県側や滋賀県の比良山地などは国定公園には含まれない。

目次

概要編集

丹波高原は日本海側と太平洋側を分かつ脊梁山脈で、特に国定公園指定区域は双方の気候帯の移行部にあって降水量が多い(年間降水量2000mm)。そのため、冷温帯ブナ林暖温帯常緑広葉樹林温帯性針葉樹林が交錯し、ブナミズナラ・アシウスギ(芦生杉)[† 1]などの原生林西日本屈指の規模で分布している。京丹波町の長老ヶ岳山頂部は北近畿では数少ない高山植物シャクナゲイワカガミ)の自生地である。この他、カシモミツガ、林床にはササ、沢沿いにはトチノキサワグルミなどの渓畔林も見られ、南方・北方系双方の昆虫も生息する。左京区花脊周辺にはウラジロガシが茂り、幼虫時にこの木を食樹とするヒサマツミドリシジミが京都ではこの地域にだけ見ることができる。天然記念物ニホンカモシカ絶滅危惧種イヌワシも生息する[1]

 
北山杉の林業景観

2007年に指定された丹後天橋立大江山国定公園に次いで自然と人間の共生を重視し、里山人造湖といった人工景観のような文化的景観自然人間の相互作用・共同作業の象徴としての伏条台杉[† 2]北山杉による林業自然利用)景観、山間部を貫き集落を形成した鯖街道[† 3]、自然と一体化した寺社境内における人為的植生天然記念物植木)といった自然と宗教自然崇拝森林文化)・精神文化の関係(文化科学)も包括しており、「森の京都~森・川・里を守り継ぐ自然と文化」をテーマとする[1]

なお、区域内の峰定寺(左京区・大悲山)や常照皇寺(右京区京北町・寺山)等の堂宇、区域に跨る愛宕山(右京区)や桟敷ヶ岳(京都市北区)などは国定公園指定地から外されている。

国定公園指定を記念し、2016年は3月26日に南丹市の美山文化ホールにおいて記念式典と記念碑の除幕、7月21日自然公園の日や制定後初実施となる8月11日山の日に指定地内で各種行事が催行され、10月9日には南丹市の府民の森ひよしにおいて皇太子(当時・現今上天皇)臨席のもと第40回全国育樹祭が開催された[2]

森の京都  我々の生命を育む源である「森」。この森を新しい視点からさまざまな森の資源の活用を考え、この奥深い森に恵まれた地域で、森の恵みを活かした食や伝統文化、産業など森に包まれた暮らし方の発信により、地域振興を図っていきます。 ―京都府[3]

指定地域と主要対象編集

指定区分と対象地編集

 
伏条台杉株は他の植物も着生させ生物多様性を賄う
  1. 第1種特別地域(2485ha):芦生、三国岳、頭巾山[† 5]、長老ヶ岳、八丁平
  2. 第2種特別地域(1850ha):君尾山、古屋(綾部市)、洞谷(南丹市美山町豊郷)、北(南丹市美山町)、久多
  3. 第3種特別地域(56153ha):南丹市美山町(第2種特別地域の豊郷と北以外)および日吉町八木町の一部、綾部市五津合町・故屋岡町・光野町と睦寄町の一部、京丹波町上乙見および仏主の一部、左京区花脊・広河原および大原町の一部、右京区京北町(京都府道78号佐々江下中線京都府道443号佐々江京北線沿道を除く)
  4. 普通地域(河川に接し道路が敷設され集落や田畑がある場所):綾部市古屋の草壁川流域、南丹市の大野ダムと棚野川・知見谷川・内杉谷川・河内谷川・砂木谷川・原川・西川・山森川流域、左京区の別所川・能見川・大谷川・寺谷川・百井川・久多川・針畑川流域[† 6]および天ヶ森(ナッチョ)[† 7]、右京区の小塩川・細野川・余野川・灰屋川・片波川・芦見谷川流域
  5. 自然環境保全地域:美山町肱谷-京都府立大学大野演習林、大悲山、寺山、黒田の伏条台杉群生地(鍋谷山・井ノ口山)[† 8][† 9]

域内の主な山編集

上記の第3種特別地域が国定公園の指定範囲全域となる。その域内には複数の山が存在する。以下に列挙するのは標高700メートル以上のもの[4]

  • 左京区:滝谷山(876m)・雲取山(911m)・井ノ口山(779m)・峰床山(969m)
  • 左京区・右京区:湯槽山(763m)・鍋谷山(859m)
  • 左京区・南丹市:小野村割岳(931m)
  • 右京区:三頭山(728m)・竜ヶ岳(921m)・鴨瀬芦谷山(778m)・ソトバ山(806m)
  • 右京区・南丹市:品谷山(880m)・掛橋谷山(765m)
  • 南丹市:ホサビ山(750m)・ハナノ木段山(703m)・大段谷山(795m)・奥ノ谷山(811m)・白尾山(748m)・鉢ヶ峰(778m)・天狗岳(928m)

指定地画像編集

地形・地質編集

丹波層の岩盤(花脊)
石灰岩露出で乳緑色となる桂川

丹波高原は全体が3億年から1億5千万年前に海底で形成された海洋プレート層(海成層)である丹波層と、その上部に堆積した沖積層から成る丹波帯でできており、1500万年前頃の新第三紀中新世に起きた地殻変動隆起し、火山噴出物(花崗岩)の被覆層がさらに堆積した。芦生の山奥ではこうした岩盤の露出が見られ、その上にアシウスギなどの植生が根付いた。また、丹波層内に含まれるマグマ由来の古い花崗岩や化石が入ったチャートの一部は隆起に伴い地表に現れ、花脊などで確認できる[† 10]。丹波層は硬いため、由良川や桂川が蛇行河川争奪する要因となり、由良川水系を日本海と太平洋へ分かつ分水界を作っている[† 11][5]

高原南面には45万年前の断層運動で木津川構造線が走り、1万年前に最終氷期が終わると構造線上の断層が河川となって開削したことで段丘面盆地を生みだした。この時に取り残されたのが八丁平湿原である。構造線の南側は被覆層の花崗岩が砕け砂礫層となった領家帯で、その上に上流域から押し流されてきた植生由来の黒ボク土氾濫原となったことで、有機質に富み水はけが良い農業を営むのに適した土壌となった。また、領家帯側では沖積層まで洗い流されたため、丹波層に含まれる石灰岩層が地表から浅い部分で到達する。桂川(保津峡流域)の乳緑色の水は溶けだした石灰岩成分にもよる[5]

丹波高原はアムールプレート日本海東縁変動帯(中央日本マイクロプレート)の直上にあり、新潟-神戸歪集中帯に含まれ三方・花折断層が走ることから、文治地震慶長伏見地震寛文近江若狭地震など歴史上京都を襲ったいくつかの地震震源であった可能性も示唆されており、盆地が形成され地表堆積層が薄い高原縁辺部の日吉や綾部では温泉が湧いている[† 12]

地誌編集

地域史編集

広域区分では綾部市の上林川上流域と京丹波町および南丹市の由良川北岸側と源流域が中丹、由良川南岸と中流域までが南丹、京都市・桂川流域が京丹と呼ばれる。

令制国五畿七道では、中丹・南丹と京丹の桑田郡(京北・広河原)が山陰道丹波国、その他の京丹が畿内山城国に区分。但し、京丹北東部の久多は東山道近江国に属していた。平安時代に編纂された『和名類聚抄』では、桑田郡内に山国郷や弓削郷といった現在の地名に引き継がれる名がみられる。特に山国郷は長岡京造営時に木材を供給したことから、平安京建都の際にとしての山国荘(山国庄)となり、公田としても禁裏御料であった。また、中世においては惣村を形成する集落もあった[6]

江戸時代幕藩体制では、中丹の何鹿郡綾部藩山家藩、南丹の西寄りが園部藩、南丹の東寄りと京丹が京都所司代京都代官)所轄のもと公儀御料公家領旗本領寺社領豪商所有の山林新田などが複雑に入り込み、桑田郡黒田村(広河原・灰屋・芹生)は篠山藩、久多は朽木藩領であった。この間、1645年正保2年)に京丹北部の花脊村(大布施・八桝・別所)が山城国愛宕郡に編入され、久多が京都になったのは明治時代になってからのこと。また、明治初期には桑田郡が北桑田郡へと再編された[6][7]

典籍書見編集

古誌編集

 
山国荘の杣林と水田の景観を伝える京北下町

『和名類聚抄』では丹波の旧称を「太邇波(たには)」と伝え、これは「田庭」に置き換えられる[† 13]奈良時代百万町歩開墾計画などで収穫量向上のため、開墾を奨励しつつも灌漑の重要性から森林がもつ涵養力に着目し伐採を禁じたが、田庭の所以たる水田を支えたのが丹波高原であり、乱開発を免れた。平城京から出土した『長屋王家木簡』には「桑田郡山国里 泰長椋伊賀加太万呂二人六斗」と記されたものがあり、山国郷から米が届けられていたことが確認された[8]。山国荘とその周辺の京北一帯については『黒田地区文書』と呼ばれる時代を跨ぐ古文書群の一括史料から往時の様子が窺い知れ、平安時代に貴族荘園として開拓が進み、平氏所領を経て、鎌倉幕府御家人で畿内の守護となった大内氏により検地された[6]。なお、花脊別所町には平家の落人伝承があり、小規模な棚田が形成された[9]

続日本紀』には文武天皇4年(700年)に「二月戊子 令丹羽国献錫」の記載があり、丹波高原からを産出していたことが窺える[† 14]

 
長老ヶ岳にかかる積乱雲の丹波太郎

戦国時代に書かれた『人国記』の丹波地方(南丹)の記述には「丹波は四方山々にて、皆名門の人家なり。寒雪も北国ほどはなけれども、もつとも烈し。山谷の内の民なれば偏屈に狭かるべきことなれども、儒弱なる所以はこの国山城に隣りて都近きが故に、上邦の風俗を見るに慣れて自気の精出で、本強の質を失へり。」とあり、京の都に近いことからその影響を受けていることを指摘する。禁裏御料であった山国荘は室町時代には足利将軍家の領地となり、応仁の乱後は大名領になったものを織田信長朝廷へ返上したことが『御湯殿上日記』に見られる。江戸時代になると『丹波志』『山城名勝志』『山州名跡志』『丹哥府志』『峰山明細記』など多くの地誌が編纂され、自然環境に根差した文化がつぶさに書き伝えられており、上田秋成は『胆大小心録』で旧暦六月に丹波高原に湧き出る「丹波太郎」という積乱雲に触れているが、この雲がもたらすこそが丹波高原の生態系を形成する要因となっている[6]

一方で中丹側は山陰道に属していたことから出雲国系の文化の影響も示唆される。『丹波志』では丹波国は出雲の神によって拓かれたとし、一宮亀岡市に鎮座する出雲大神宮になる。『日本書紀』では丹波を平定すべくヤマト王権から丹波道主命が派遣されたことになっており、『釈日本紀』に収録された『丹波国風土記逸文ではこの時にが持ち込まれたとされ、丹波高原の気候が桑栽培に適していたこともあり旧桑田郡の地名が示すように養蚕が広まった[† 15]。史実としては綾部は渡来人漢氏に由来する養蚕が行われ[10]、『延喜式』に記されている丹波国の租庸調にはがあり実際に養蚕が行われていたことが確認できる[6]

新誌編集

柳田國男は『丹波志』の記述を引用し、由良川流域に「」が付く地名が多いことに触れ、「シマ」が一定の領域や集落を指していた古い時代の名残とその独立性を示している地域であるとしている(1951年昭和26年)「島の人生」)[† 16]

1971年(昭和46年)に新潮社から刊行された白洲正子の『かくれ里』中、「山国の火祭」で花脊(八桝)と広河原(下之町)に伝わる松上げ火祭りが峰定寺界隈の自然と密接な関係にあることを示唆している。

1972年に発表された司馬遼太郎の『街道をゆく』「洛北諸道」では、花脊・峰定寺・山国神社周山などを訪ね、一帯が山伏修験者の世界であるとしている。

田中淳夫の『森と日本人の1500年』(平凡社)では、山国荘の杣が日本の木造建築の原点であると説いている。

田嶋謙三の『森林の復活』(朝日新聞社)によると北山杉林業は丹波高原に自生するツツジの枝を杉の幹に巻き付けシボ加工を施す伝統技法があり、人工林の維持に地域資源としての天然資源を利用してきたことに触れている。

民俗誌編集

信仰・祭礼編集

 
広河原の松上げ
 
営林地に祀られる大山祇神
 
桂川に設けられた用水頭首工(京北)
 
美山でのスギナ干し
 
丹波マンガン鉱山
 
北山杉の経木で包んだ鯖寿司(道の駅ウッディー京北にて)
 
北山杉のに注がれた地酒(道の駅ウッディー京北にて)

京都では鞍馬の火祭が知られるが、国定公園内では左京区の久多・花脊・広河原、右京区の小塩、南丹市美山一帯で「松上げ」の名称で火祭りが行われている。鞍馬の火祭は松明を持って練り歩くものだが、松上げは高さ約20mの「燈籠木」という柱(大松明)の上に据えられた「笠(傘)」と呼ばれる受籠に、火のついた「放り上げ松」という紐付きの小松明を放り投げ着火させるもので、最後は燈籠木を倒す。山間部ならではの山火事を警戒し、火伏(防火)に霊験高い愛宕神社を崇拝する愛宕信仰に由来するが、お盆地蔵盆)の時期に行われ神仏習合の要素がある。神職による神事等はなく、村人の手のみで催される[11]

林業においては山の神であるオオヤマツミを祀る習慣が現在でもみられ、山肌には大山祇神社勧進するが点在する。

家屋編集

京都丹波高原国定公園では美山の茅葺き集落が重要な構成要素となっているが、国定公園指定地内の民家は地域・集落毎に多様な建築様式を見ることができる。基本構造は切妻造で、以前は茅葺きが主流であったが、現在では屋根の傾斜などはそのままにトタン葺きが大半を占める。久多・花脊・広河原では典型的な平入様式であるのに対し、右京区で国定公園境界に跨る嵯峨越畑地区では摂丹型と呼ばれる構造になるが、綾部市上林・古屋では北摂地方(現大阪府能勢町)に起源があるとされる能勢型となる。また、国定公園に接する北区の北山界隈では北山型という独自の形式となる[12]

なお、美山町樫原にはこれらの家屋様式の原形とされ、現存する日本最古の農家家屋として重要文化財指定の石田家住宅 - 文化遺産オンライン(文化庁)がある。

これらの家屋に共通するのは北山杉を地産地消している点で、屋根材のチガヤ)も桂川や由良川の河川敷に自生する環境財を利用している。

水・灌漑編集

ブナが生育する丹波高原は落ち葉が堆積した腐葉土雨水浸透し、石灰岩や花崗岩の地層地盤濾過されることで養分ミネラルを豊富に含んだ名水が湧き流れ出て、桂川や由良川へと注ぎ込む。右京区の桂川水系灰屋川支流が流れる武路谷が「武地谷水源の森」として水源の森百選に選ばれており、綾部市でも由良川水系に面した地域を「水源の里」として条例により保護と活用を両立している。

山国荘では古くから耕作のため桂川から用水路を引き込み、特に比賀江・中江・塔・辻・鳥居・下の六集落のために六ヶ井堰が設けられた。これをさらに細分岐して各戸に引き込み、滋賀県高島市針江霜降にみられる「川端(かばた)」と呼ばれる水場に似た「いとや」を構築した[8]

地場産業編集

国定公園域における主要産業は林業になるが、材木以外に杓子といった木工製品[† 17]、そしてにも加工されていた[13]

その他の産物として京都市の伝統産業74品目に含まれる和蝋燭の原料となるハゼノキ(櫨)の栽培がある。京都では寺院での灯明の需要があり、室町時代頃より丹波高原に自生するヤマハゼが利用されるようになり、江戸時代以降は琉球から伝来した品種を用いるようになった。櫨は温暖な気候を好む植物で、南丹側は冬に雪が多いながらも瀬戸内海式気候のため丹波高原山裾里山の植生移行帯で栽培されてきた。木蝋以前に蜜蝋を製作していた時代には養蜂が丹波高原で行われていたことなども地誌に記されている。また、都での行灯の需要から、菜種油を作るためアブラナの栽培も行われていた。この菜の花は養蜂における蜜源になり、油は火祭りにも用いられるなど文化循環がみられる[13]

江戸時代、綾部藩に招聘された佐藤信淵は丹波高原の温暖湿潤気候を活かしチャノキ(綾部茶)の栽培など勧農を推進し、伝統的な養蚕も奨励させたことで綾部は近代以降も繊維産業が受け継がれてきた。この他、綾部では和紙黒谷和紙)の原料となる、南丹ではヨモギ等の薬草、京丹では祇園祭で頒布される厄除け護符である用のチマキザサ英語版)など、丹波高原から享受される生態系サービスによる遺産の資源利用があり、持続可能循環型社会が構築されてきた[13]

地質的な恵みとしては石灰岩が産出できることで白壁などの漆喰需要を賄い、右京区京北細野町で採掘される鳴滝砥石は丹波層に含まれるP-T境界付近の層位から産出する[† 18][14]1889年明治22年)~1983年(昭和58年)まで日本一の掘削量を誇るマンガン採掘も行われていたほか、京丹波の和知町ではタングステンを採掘する鐘打鉱山や和知鉱山もあった。そもそも丹波の字を当てたのは、平安京を彩った朱塗りの原料である辰砂ベンガラ)の供給地の一つとしての「丹場」であったとする説もある。

編集

国定公園域の里山では、食糧の一部を山に求める狩猟採集が行われてきた。山菜はその典型であり、マツタケは丹波の地名を冠した地域ブランドとして確立している。丹波黒豆丹波栗は現在では篠山市(令和元年5月1日より丹波篠山市)などの平野部での栽培が主流となったが、本来は丹波高原に自生していたものが原種である[† 19]。自然の恵みを活かした伝統的な郷土料理も伝わり、綾部ではトチノキが多く栃餅おかきなど栃の実を活かした食品が多い[13]

桂川の[† 20]、鯖街道が通過することで鯖寿司へしこ西京味噌の西京漬け・醤油煮付けをほぐしたおぼろを用いたばら寿司など料理も多い。近年ではジビエとして注目される獣肉も古くから食されてきた[13]。鮎料理の必需品である蓼酢の原材料となるヤナギタデも丹波高原に自生する。

稲作が困難な山間部ではソバ大豆も栽培され、大豆は味噌などの調味料や納豆にも加工され、京北一帯では常照皇寺発祥の山国納豆とそれを練り込んだ納豆餅が食されてきた[13]

京都で日本酒といえば伏見が有名だが、伏見の酒は仕込水こそご当地の地下水であるものの、米は伏見港に運ばれてきた他地域のもので、醸造後に再び各地へと送り出されたことから、伏見の酒は地酒とはされない[15]。それでも近年では京都の奨励品種である祝米を用いるようになったが、その祝米の産地の多くが国定公園内にあり、京北では北山杉によるで仕込んだり、南丹市美山では丹波杜氏による伝統的な酒造りが行われている[16]。もちろん杉玉も北山杉製である。

舟運編集

桂川では切り出した木材に組んで運搬する水運が平安京造成時から行われ、角倉了以によって河川改修が行われた後は、前述の産物を京の都まで供給するための舟運が盛んとなった。広河原は最上流の集積地として賑わい、川湊が設けられ河岸となった嵯峨にちなみ、丹波材は嵯峨丸太とも呼ばれた。筏下りは農閑期の~翌にかけて行われた[17]

舟運に関わる者が水神航海安全を祈願する金毘羅権現勧進したことから、通常海運関係者に祀られ海辺に多い金毘羅山金毘羅神社内陸の桂川流域に点在する。

1951年(昭和26年)に世木ダムが完成したことで水路が遮断され、同時期に道路の拡幅や舗装化モータリゼーションが普及したことで舟運は途絶えたが、近年になり伝統技術の継承と観光資源として筏下りを復活させる試みが始まった[18]

文芸・芸能編集

貴船の先、灰谷川沿いの「芹生の里」(右京区京北芹生町)は人形浄瑠璃歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』(四段目の寺子屋)で菅原道真の遺児が隠れ棲んだ舞台にされた。また、田中澄江小説で、NHKドラマにもなった『花ぐるま』(1974年・講談社) の舞台でもある。

浄瑠璃の節回しを旋律にして動きも取り入れた「浄瑠璃くずし丹波音頭(踊り)」が江戸時代に成立し、京北を中心に南丹・中丹へ広まり、現在でも盆踊りとして親しまれているほか、京丹波町の和知や福井県の名田庄では「文七踊り」として継承されている[19]

森林経営編集

 
北山杉林では地崩れと獣害防止を兼ねた石垣が積まれてきた

真直ぐな木材を作るため適度に枝打ちした北山杉の人工林は林床にまで太陽光が届くため、低灌木や下草を育むことで豊かな生物多様性をもたらしている。また、切りそろえられた北山杉が立ち並ぶ景観は森林美学として捉えられる。

国定公園内では、自然保護と並立して産業一次産業)として自然を活用するため法正林の考えに基づく森林計画が練られ森林認証制度の適用をうけるなどするが、社団法人京都府森と緑の公社が債務超過に陥り民事再生法を申請し解散。関連事業は公益社団法人京都モデルフォレスト協会に引き継がれるなど迷走している[20]

2018年(平成30年)に森林経営管理法が成立し、林業への企業の参入が可能になり、北山杉生産に関心を示す業者もあることから今後の動向が注目される。

国定公園の森林は、京都議定書における二酸化炭素吸収源となる位置付けで、国連持続可能な開発のための2030アジェンダによる持続可能な開発目標(SDGs)での森林による持続可能性の役割も担う[21]

一方、国定公園に隣接する北区北山では、北山杉の林業景観を活かし重要文化的景観の選定を目指しており、国定公園と足並みを揃えた保護運用を試行錯誤する[22]

環境破壊編集

国定公園の中核を成す芦生周辺ではナラが枯れる現象が続いており、その影響でドングリを餌とするツキノワグマが絶滅の危機に瀕し、食物連鎖の頂点に立つクマが減ったことで生態系全体への余波がみられるほか、シカが人里へ下りてきて作物を荒らす獣害外来生物の侵入も確認されている[23]

虹の湖はブラックバスフィッシングが有名だが、そのため大野ダム周辺では鮎が絶滅し、温暖化による水温の上昇が進めばブラックバスが桂川を溯上することを漁協は危惧している。

伝統家屋の屋根材である茅は有機成分を吸収する水辺の浄化作用があるが、茅葺きが減り刈り込まれなくなった茅が腐り、逆に水質汚濁を招いてもいる。

 
花脊-灰屋間の湯槽谷を横切る送電線

1970年(昭和45年)の日本万国博覧会開催に合わせ美浜発電所から送電線が引かれた際、現在の国定公園内を通過させたため鉄塔が多く、景観破壊が指摘される。送電線は滋賀県高島市朽木から入り、久多→桑谷山東麓→大悲山西麓→花脊→灰屋→石仏峠→祖父谷峠→桟敷ヶ岳北麓(ナベクロ峠)→河原峠南辺と進み、京北開閉所で三方向へ分岐する[4]

北陸新幹線敦賀以西のルート選定は当初の整備計画どおり小浜-京都ルートに決定し国定公園内を通過することになるが、大深度地下トンネル掘削により地下水等の環境への影響が懸念され、今後緻密な環境アセスメントが求められ[24]、芦生の森直下はルートから除外されることが決まった[25]。また丹波に新駅を誘致する運動もある[26]

2018年(平成30年)7月の台風7号とそれに続く平成30年7月豪雨の影響で国定公園内の各地で河川氾濫土砂災害が発生し[27]、9月の台風21号では京都一周トレイル(後述)随所において倒木があり国定公園内でも通行支障が生じた[28]

南丹市では貯水池が少なく2018年から2019年にかけての降雪量が少なかったこともあり、2019年の10連休となったゴールデンウィークでは、かやぶきの里・美山を訪れた観光客が例年より増加したことで水不足が生じ、住民生活に影響を及ぼす観光公害もみられた[29]

国定公園指定前の保護活動編集

 
護岸整備された由良川。景観に配慮し玉石積みにしたが、周辺地域では見られない技法

1990年代後半に茅葺き集落・北村の住民が中心となり「芦生の森を世界遺産にする会」が結成され、芦生研究林と北村集落を世界遺産複合遺産)に登録しようという運動を展開していたが、所有する京都大学の合意が得られず、研究林内に関西電力による揚水発電所を建設する計画もあり旧美山町(南丹市合併前)が推進役を果たしていたため行政の支援を受けられない状態にあった[30]。その後、2003年(平成15年)に環境省林野庁が「世界自然遺産候補地に関する検討会」を開催した際、芦生の森は候補にも選定されなかったため自然遺産としての可能性が消え、世界遺産では同一国内での先行登録物件に類似した案件の追従登録は認められておらず[31]茅葺家屋は白川郷・五箇山の合掌造り集落で既登録のため文化遺産としての可能性も低いことから登録運動は立ち消えとなり、やがて会が抑止していた由良川のコンクリート護岸工事が実施されたことで景観破壊が進み、茅葺屋根の文化資材となる茅場の一部が失われてしまった。

持続(存続)可能性編集

里山はローカル・コモンズにより持続可能性が形成されているが、人口減少により存続が危ぶまれてもいる。芹生の里は京都市に属しているものの、二世帯ほどしか暮らしておらず、冬季は無人になる消滅可能性集落のため、芹生の里保存会が結成された。

綾部市が認定する「水源の里」の第一号である古谷地区は、現在三世帯四人しか暮らしていない過疎地域限界集落だが、国土緑化推進機構の「森の名人・名手」任命住民による栃の実加工品が人気で年間三千人超の訪問者がある[10]

域内を通過する主要道編集

※京都府道78号佐々江下中線(西の鯖街道)と京都府道443号佐々江京北線が通過する京北町界隈は国定公園指定範囲外

京都一周トレイル編集

 
桂川では珍しい吊り橋
(魚ヶ渕)

京北町には、京都市と京都市観光協会や京都府山岳連盟による「京都一周トレイル会」が整備した京都一周トレイルの京北コース(全長約48.7キロの周回ルート)が設定されており、区間の約⅔が国立公園域内を通過している。井戸峠を挟む筒江橋~常照皇寺間は京都府道61号京都京北線。コース上には滝又ノ滝・高瀬の道・魚ヶ淵吊橋・黒尾山などがある[32]

近畿自然歩道編集

近畿自然歩道の内、「桂川源流のみち」丹後・大坂ルートの宇津峡コース(世木ダム~宇津峡~魚ヶ渕吊橋~周山、15.6キロ)と九重桜コース(周山~山国神社~山国御陵前~常照皇寺、8.8キロ)が国道477号に沿って整備されている[33]

丹波散策の道編集

 
丹波散策の道

京都府が散策道を府民から公募し、京都市北西部・南丹市・京丹波町の国定公園内外(および亀岡市)総延長約250キロを指定したもの。かやぶき民家の集落、ダム湖、城下町、由緒のある社寺、伝説地などが網羅され、丹波地域の歴史と文化を訪ねる散策ルートとして整備されている[34]

西の鯖街道編集

若狭湾で水揚げされた鯖を京都まで運ぶ複数ある鯖街道の一つで唯一小浜市を起点とせず、高浜町を発ち福井県道16号坂本高浜線(高浜街道)でおおい町を経て、頭巾山を越えて国定公園域に入り国道162号(周山街道)~京都府道368号和泉宮脇線~京都府道19号園部平屋線~京都府道78号佐々江下中線~京都府道366号塔下弓削線を抜け、京都府道31号西陣杉坂線鷹峯街道)で洛中に至るルート。国定公園域を通過する他の鯖街道(鞍馬街道・雲ケ畑街道・小浜街道)が車道として貫通しておらず、登山道遊歩道としても区間寸断されているのに対し、西の鯖街道は一貫していることからロングトレイルやドライブツーリングコースとして紹介されている[† 21][35]

鮎の道編集

 
鮎のオブジェ(和知)

桂川で獲れた鮎を洛中まで運んだ「鮎の道」 の顕彰が近年行われている。禁裏御領であった京北の山国郷からは毎年京都御所へ献上鮎が届けられた。この鮎は天日干しされた乾物であった。運搬ルートは鯖街道(鞍馬街道・雲ケ畑街道・小浜街道)と重複する。一方、京都市井の人々向けは、日吉ダムによって水没した天若・世木で獲れたものを水を張った桶に入れ天秤棒で担ぎ活きたままで嵯峨鳥居本の鮎問屋まで運ばれ、ここから市中へと卸された。漁場を発つと概ね現在の国道477号線に沿って進み、国定公園域外となる南丹市八木町神吉を通り、越畑から愛宕山へ向かう道をたどり、清滝から嵯峨鳥居本へ抜けた[36]

なお、北大路魯山人は由良川水系の和知川の鮎を最上級としている[37]

国定公園未指定の山編集

前述の愛宕山や桟敷ヶ岳のように国定公園指定域に跨りながら編入されなかった山が複数ある。

  • 飯森山(公園域の右京区と域外の北区)
  • 天童山(公園域の右京区と域外の北区)
  • 朝日峯(公園域の右京区と域外の北区)
  • 鎌ヶ岳(公園域の右京区と域外の南丹市)
  • 黒尾山(公園域の右京区と域外の南丹市)
  • 鎌倉山(公園域の左京区と域外の滋賀県)

※桟敷ヶ岳~飯森山~天童山は山城国と丹波国の境界となる城丹国境尾根と呼ばれる

ガイダンス施設編集

 
ビジターセンター(京都の森の案内所)

2018年(平成30年)3月28日、南丹市美山町安掛道の駅美山ふれあい広場に京都丹波高原国定公園ビジターセンター(愛称・京都の森の案内所)を開設した。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ アシウスギは太平洋側のオモテスギに対し、ウラスギと呼ばれる日本海側の杉の変種で、芦生研究林において採取された標本が標準標本となったことから付けられた名称。
  2. ^ 伏条台杉は雪の重みで生じる伏状更新自然現象による茎伏せ)で形成されたを土台に株立ちさせるもので櫓杉ともいい、鎌倉時代南北朝時代にかけて編み出された育樹法。明治時代に現在一般的な単茎(一本木)栽培に移行したことで、野生化したものが自生している。
  3. ^ 鯖は塩漬け浜焼き鯖にされ運ばれたが、さらに杉の葉で包み杉のに入れられた。これは杉が持つポリフェノールの抗菌作用を活かしたもので、鯖街道は単に最短距離を結ぶだけでなく、道すがら杉が多い丹波高原を通ることで保存効果を高めていた
  4. ^ 大悲山の内、峰定寺本堂より奥は自然環境保全地域指定のため立入禁止。北西側の桑谷山から尾根伝いであればアプローチ可。また山の周囲に自然観察路が巡らされている。
  5. ^ 三国山から八ヶ峰を経て頭巾山にいたる山嶺は若狭国と丹波国の境界を成し、若丹国境(くにざかい)尾根と呼ばれる
  6. ^ 百井川・久多川・針畑川は琵琶湖へ注ぐ安曇川水系だが、河川法では淀川水源を琵琶湖と定めているため、安曇川は桂川ともども淀川水系となる
  7. ^ ナッチョの呼称は愛宕郡から京都代官への年貢や鯖街道(敦賀街道・鞍馬街道)の関銭を納める「納所(なっしょ)」があったことによる
  8. ^ 鍋谷山・井ノ口山を含む片波川上流域の伏条台杉群生地は「京都府環境を守り育てる条例」に基づく「京都府自然環境保全地域」認定第一号で、一部観察路が整備されているが全体は立入禁止。また井ノ口山の群生地は私有地のためが巡らされている。
  9. ^ 両山へ向かう広河原からの倉谷林道は2013年の台風で崩落しており、国定公園制定時点で通行不可。アプローチは大布施から片波山(湯槽山)・ナベ谷峠を経る林道か、原地中ノ町からナベ谷道を登りナベ谷峠に出るルートになる。また、観察路コースへは片波町の灰屋口からとなる。
  10. ^ 国定公園外であれば亀岡市の桜石や、丹波市で発見された丹波竜篠山層群が丹波層や丹波帯に属している
  11. ^ 由良川分水界は国定公園域外だが、丹波市で水分れ公園として整備されている
  12. ^ 国定公園隣接地では左京区の鞍馬温泉や亀岡の湯の花温泉などもある
  13. ^ 「田場」が丹波に転じたとも。いずれにせよ丹波高原麓は稲作が盛んであったことが窺える
  14. ^ 岡谷公二の『伊勢と出雲』(平凡社新書)では、丹波を伊勢(大和王権)と出雲を結ぶ中継地と位置付け、国譲りの過程で出雲の製鉄技術が大和王権に伝わり、丹波において錫(褐鉄鉱)が供給されたことで畿内に政権を築けたとし、大和王権祖神を祀る伊勢には五十鈴川が示す「鈴」すなわち錫といった地名に名残があるとする。
  15. ^ 丹波国と山城国の境界に聳え、京都丹波高原国定公園とも接する愛宕山の愛宕神社は、養蚕神でもある稚産霊神豊受姫命の母娘を祀り、丹波の養蚕農家の崇敬を集めてきたが、もともとは亀岡にある愛宕神社が起源で、霊験が広まり愛宕山へ迎えられた。豊受姫命は丹波(丹波から分離した丹後国含む)各地にも祀られ、丹波から豊受大神宮伊勢神宮外宮)として奉戴された。大和朝廷に平定された地の土着の神が、大和政権の最高神として迎え入れられたことは丹波の重要性を物語る。
  16. ^ 例えば国定公園内であれば、南丹市役所美山支所がある場所は、南丹市美山町地区の島台という住所になる
  17. ^ かつて広河原には惟喬親王伝説に基づく木地師がおり、現在も広河原杓子屋町という地名が残る
  18. ^ 鳴滝砥石は繊細な京料理調理技術に必要な包丁研ぎに重宝され、京文化を支えてきた
  19. ^ 伝統的な食材以外に近年ではブドウ栽培が行われワイン丹波ワイン)の醸造が行われたり、黒豆が発泡酒黄桜)やコーヒー、栗も焼酎リキュールに仕立て、丹波高原ブランドとしている。黒豆コーヒーは京丹波町が発祥とされる
  20. ^ 桂川の鮎は京都駅園部駅駅弁でも知られる鮎鮨姿寿司)や甘露煮うるか炊き込みご飯魚そうめんの具材など京都府の食文化を代表する食材である。
  21. ^ 国道162号の美山~周山間は別の鯖街道である小浜街道と共通する。また国定公園域外になるが、京都府道443号佐々江京北線や栗尾峠から高雄へ抜ける愛宕道支線(田尻・谷山林道)は西の鯖街道の脇道になるほか、西舞鶴から京都府道27号池辺京田線京都府道51号舞鶴和知線を経て国定公園域の綾部市睦寄町・古屋から京都府道34号綾部美山線で南丹市に入り美山町鶴ヶ岡で西の鯖街道に合流する舞鶴街道も鯖街道の枝線とされる

出典編集

  1. ^ a b c 京都丹波高原国定公園(仮称)指定書及び公園計画書 (PDF) 環境省
  2. ^ 皇太子さま、育樹祭出席=京都 時事ドットコム 2016.10.9
  3. ^ 森の京都 京都府観光連盟
  4. ^ a b 山と高原地図』京都北山(昭文社
  5. ^ a b 地形・地質・自然現象の概要 京都府レッドデータブック
    丹波地帯の古生界(その2) : 京都府北桑田郡京北町南部の 古生層 (PDF) 京都大学
    『「生きている由良川」作成に向けて流域の野生生物等の調査-流域の人・くらし・自然が見える環境読本の作成』
  6. ^ a b c d e 『京都府の歴史 (県史)』山川出版社、2011年、383ページ。ISBN 978-4634322615
  7. ^ ウィキペディア京都市右京区の町名」「京都市左京区の町名
  8. ^ a b NPO法人 ふるさと京北鉾杉塾 京都ちーびず
  9. ^ 別所の棚田 京都府
  10. ^ a b 蒲田正樹『驚きの地方創生「京都・あやべスタイル」』扶桑社、2016年、223ページ。ISBN 978-4594075835
  11. ^ 八木透『京都愛宕山と火伏せの祈り』昭和堂、2006年、259ページ。ISBN 978-4812205389
  12. ^ 京都の伝統民家と町家 大場修(京都府立大学)京都市文化観光資源保護財団
  13. ^ a b c d e f 森の京都 京都丹波高原国定公園パンフレット 京都府環境部自然環境保全課発行
  14. ^ 鳴滝砥石(砥石型珪質頁岩)とコノドント 京都府レッドデータブック
  15. ^ 地酒 コトバンク
  16. ^ 羽田酒造,大石酒造
  17. ^ 京都・保津川の筏流しの歴史 南丹広域振興局(京都府)
  18. ^ プロジェクト保津川 (PDF)
  19. ^ 田中恒夫(筒江丹波音頭踊保存会会長)「浄瑠璃くずし 丹波音頭」あうる京北(京都府立ゼミナールハウス)平成2年刊
    和知文七踊り 京丹波町観光協会、文七踊 福井の文化財
  20. ^ 「京都府森と緑の公社」が再生法申請 負債229億円 日本経済新聞2014.6.6
  21. ^ 森林・林業施策 (PDF) 京都府
  22. ^ 「京都府の良好な文化的景観について」 (PDF) - 京都府教育委員会
  23. ^ 芦生の森とナラ枯れ (PDF) - 京都大学フィールド科学教育研究センター
    主原憲司さんが警告する奥山破壊の現状:「丹波山地のツキノワグマは、もうすぐ絶滅します」 - 『ビッグイシュー』2009年1月1日号
    京都市の生物多様性の現状と課題 (PDF) - 京都市情報館
  24. ^ 小浜ルート推進も自然保全を 北陸新幹線で京都・南丹市長 京都新聞2016年3月1日
  25. ^ 北陸新幹線ルート案、京都市中心部や伏見酒造エリアなどは回避 京都新聞2019年6月1日
  26. ^ 丹波に「新京都駅」求める 北陸新幹線促進協が決議 京都新聞2016年2月11日
  27. ^ 交通網が全面遮断、市民生活に打撃 京都・丹波地域 京都新聞2018年7月7日
  28. ^ 人気の京都一周トレイル通行困難 台風の倒木被害深刻 京都新聞2018年10月15日
  29. ^ 9日間ごみ収集なし、観光客増で水不足のおそれも 10連休、市民生活に影響 京都新聞2019年4月23日
  30. ^ 毎日新聞1998年4月29日
    BE-PAL』1999年2月号、66~68ページ(小学館
  31. ^ わかる!国際情勢 ユネスコ(UNESCO)~人類共通の遺産を守るために 外務省
  32. ^ 京都一周トレイル京北コース概要 (PDF) 京都一周トレイル会
  33. ^ 近畿自然歩道 京都府
  34. ^ 丹波散策の道 京都府
  35. ^ 西の鯖街道登録ルート 京都府
  36. ^ 南丹市日吉町郷土資料館(府民の森ひよし内)企画展「鮎の道」;平成28年7月16日~8月28日(平成28年7月18日観覧)
  37. ^ 「鮎の名所」青空文庫

関連項目編集

刊行物編集

  • 『別冊Discover Japan TRAVEL 森の京都』 エイ出版社(2017年)

外部リンク編集