京都市立新洞小学校

京都市左京区にあった公立小学校

京都市立新洞小学校(きょうとしりつ しんとうしょうがっこう)は、京都市左京区にあった公立小学校

京都市立新洞小学校
地図北緯35度00分45秒 東経135度46分30秒 / 北緯35.012556度 東経135.775度 / 35.012556; 135.775座標: 北緯35度00分45秒 東経135度46分30秒 / 北緯35.012556度 東経135.775度 / 35.012556; 135.775
過去の名称 上京第33番組小学校
上京第33区新東小学校
上京区新洞小学校
上京区新洞尋常小学校
京都市新洞尋常小学校
新洞国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
学区 新洞学区
設立年月日 1869年(明治2年)7月
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
所在地 606-8355
京都府京都市左京区新東洞院町252
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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沿革 編集

1869年(明治2年)に開校した番組小学校(上京第33番組小学校)にルーツを持つ学校である。2013年 (平成25年) 3月に閉校し、京都市立錦林小学校に統合された。

校歌 編集

  • 作詞 吉澤 義則
  • 選曲 新洞小学校
  • 編曲 西尾 照子

校区 編集

川端二条交差点を北西端に、東山三条交差点を南東端とする地域が校区であった。

新洞学区 編集

小学校の校区は、京都の学区(地域自治組織の単位)における新洞学区に相当していた。

地域の特色としては寺院が多く密集していることが挙げられる[2][3]檀王法林寺要法寺頂妙寺などを含み[3]、その数は54寺院[2]とも55寺院[3]ともいう。「お寺の比率は京都一」[2]、「学区内の面積の2分の1は寺院が占めていると言っても過言ではありません」[3]と住民に表現されるほどの密集地域である。

この多数の寺院は、宝永5年(1708年)に発生した宝永の大火で類焼した寺院群が移転したものとされる[2]。町は御所近くにあったものが移され、新高倉通や新富小路通と言った通りの名もそれに由来するという[3]。このため、鴨川の東側にありながら京都の内とされた地域であり(隣接する川東学区=上京三十二番組も同様)、明治初期には上京三十三番組とされた。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 沿革史”. 京都市立新洞小学校 (2011年5月17日). 2020年6月26日閲覧。
  2. ^ a b c d 新洞学区”. 京都市. 2020年6月26日閲覧。
  3. ^ a b c d e 新洞分団”. 京都市消防局. 2020年6月26日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集