人工呼吸器
人工呼吸器(じんこうこきゅうき、英: mechanical ventilator)は、人工呼吸を自動的に行うための医療機器である。
歴史編集
かつては首から下の全身を機械の中に入れ、その機械の中を陰圧(大気圧未満)として胸腔に空気が吸入されるようにすると言う「鉄の肺」が一部の病院で使われていた。これは大掛かりな設備であり、受けられる患者も限られていた。
長期人工呼吸の「出発」とも言えるのは、1952年のスカンディナヴィアにおける急性灰白髄炎(ポリオ)の大流行による、小児麻痺への対応である。呼吸筋を動かす中心である脊髄前角が、ポリオウイルスによって犯されたため、子供たちは充分な呼吸ができず、次々と亡くなっていった。
これに対し、当時最も効果的な治療法であった「鉄の肺」使用が存在したものの、鉄の肺の数が十分には足りず、やむを得ず気管切開の処置をし、麻酔器を用いて徒手的手段による人工呼吸を行うしかなかった。すると、鉄の肺を用いての呼吸管理は約80%の死亡率であったのに対し、麻酔器を用いて人工呼吸処置を受けた患者は約75%が死亡せず救命された。この為、1400名にのぼる医学生らが徒手的人工呼吸治療に参加し、このポリオ流行が終わるまで、全ての教育活動は中止された[1]。
やがて気管挿管が一般的になると、その挿管チューブを介して空気を出し入れする現在の方式が広まっていった。
現在では呼吸の状態を様々な形で持続的に測定する機能のついたもの、呼吸器の離脱を自動的に進めて行くもの、在宅人工呼吸に使用する小型で医療従事者以外でも操作できるもの、マスクを使用し気管挿管の必要ないもの(非侵襲的人工呼吸)まで実に様々な種類が使われている。しかし、それぞれに操作が異なり、また独自の動作モードや作動原理を持ったものが特に新しい機種に多く、医療事故の一因ともなる。その一方で、医療事故を防ぐための機能もまた新しい機種ほど備わっているのも事実である。
通常、私たちが意識せずに行っている自発呼吸では胸郭が拡大することによって胸腔内に陰圧をつくり、気管を通して空気(ガス)が入ってくる。従って、空気を吸い込んだ時に肺内及び気道内の圧上昇は通常おこらない。一方、人工呼吸はガスを肺内に機械的に押し込む。
この方法には,胸郭外を陰圧にすることによって胸郭をひろげガスを入れる方法と、 気管に挿管チューブを入れその気道からガスを入れる方法がある。
適応編集
用手人工呼吸の適応となる心肺蘇生とは違い、様々な病態によるあらゆる呼吸不全がその適応となる。その原因は何か、急性期か慢性期かによって使用する機種や動作モードも異なってくる。
換気経路の種類編集
人工呼吸器に行われる換気経路は一般に以下の3つの場合がある。
- 気管挿管
- 緊急時、または手術時における最も迅速・確実な気道確保である。しかし常に抜去事故の危険をはらんでおり、また肺炎(下記)の危険もあることから長期に及ぶ場合には気管切開に移行する。
- 気管切開
- 主に2週間以上の長期に渡る経気管による人工呼吸管理に用いられる。在宅での管理に向く。家族も訓練を受ければ気管吸引や呼吸器の操作などが出来る。死腔が少ないという利点もある。
- マスク
- 非侵襲的陽圧換気法(英: Non-invasive positive pressure ventilation; NPPV)に対して用いられる。着脱が容易であり、睡眠時無呼吸症候群などの場合のように患者による自己管理も可能である。しかし長期に装着しつづける場合、マスクの圧迫により褥瘡を生じる。
- 1998年に在宅における健康保険が適用になり、患者数は年々増えている[2]。対象となる主な疾患は、COPD(慢性閉塞性肺疾患)、肺結核後遺症、神経筋疾患の順で多い[2]。
他に特殊な状況下において喉頭穿刺などの方法がある。
動作設定の種類編集
人工呼吸器の動作モードは以下がある。
- CMV
- Continuous mandatory ventilation, controlled mechanical ventilation、調節呼吸[3]
- 人工呼吸器が呼吸仕事のすべてを供給する。
- 量を規定するボリュームコントロール換気(volume-controlledventilation; VCV)、圧を規定するプレッシャーコントロール換気(pressure-controlled ventilation; PCV)、両者を組み合わせた dual control mode の 3 種類がある。
- IPPV
- Intermittent positive pressure ventilation、間欠的陽圧換気
- 最も原始的な換気様式であり、患者の呼吸努力を検知せず、ただ決まった容量の空気を定期的に強制換気する。麻酔下にある患者に使用する。それ以外では、脳死状態或いは完全な呼吸麻痺の患者にしか適応が無い。自発呼吸が少しでもある患者に使用すると十分な換気が出来ない。
- SIMV
- Synchronized intermittent mandatory ventilation、同期的間欠的強制呼吸
- 患者の呼吸努力を検知するとPS(下記)にて換気補助し、一定時間以上それが無い場合には強制換気する。呼吸不全の患者に対する一般的な換気法である。
- PSV
- Pressure support ventilation、プレッシャーサポート換気
- 患者の吸気努力を呼吸器が感知すると、圧をかけて空気を注入する。通常はPEEP+5~15cmH2Oである。
- CPAP
- Continuous positive airway pressure、持続的気道陽圧法
- 常に一定のPEEP(下記)を加えたままにする換気法。呼吸器から離脱する過程にある患者や自発換気は充分であるが酸素化に障害がある患者に使用する。通常はそれにPSVを併用する。自発呼吸のないまま一定時間が経つと強制換気を行うが、強制換気はあくまで非常手段でありアラームが鳴る、と言う点がSIMVとの違いである。
- BIPAP
- Biphasic positive airway pressure、バイパップ
- ドイツ・ドレーゲル社クリティカルケア型人工呼吸器エビタの換気モード[4]
- Bi-Level、Bi-Ventとも呼ばれる。高圧相と低圧相の2つの圧を設定できる二相性のCPAPのことであり、実際上は高圧相が吸気圧、低圧相がPEEPとなる。SIMVと似た動作であるが、自発呼吸が強制換気の吸気相でも可能な点で異なる。
- 同じバイパップでも「BiPAP」は米国・フィリップス・レスピロニクス社の携帯型人工呼吸器の登録商標[4]。
換気の種類編集
呼吸不全の患者においては、「吸気圧」と「1回換気量」、「吸気時間」と「一定時間(例えば1分間)」はそれぞれトレードオフの関係にある。旧世代の人工呼吸器はそのうち2つを固定し、残りのひとつのパラメータを犠牲にするという様式が殆どであった。これが以下の2つである。
- VCV
- Volume-controlled ventilation、ボリュームコントロール換気、従量式換気
- 1回換気量の低下はCO2の貯留と、呼吸器離脱の失敗を意味する。そのためあらかじめ決めた換気量を決められた吸気時間で注入する。ただし、気道内圧が安全限界に達した場合はその限りでない。
- PCV
- Pressure-controlled ventilation、プレッシャーコントロール換気、従圧式換気
- 気道内圧の上昇、ことに酸素分圧の上昇は肺傷害をもたらす。気道内圧の安全限界が低い患者においては、一定の圧で空気を注入し、一定時間内に目標の吸気が得られなくても制限時間に達したら呼気相に転じる。
しかし現在では、優先するパラメータをひとつ決めれば、それ以外のパラメータを柔軟に変える(吸気時間を延長するなど)によって呼吸器離脱や肺傷害防止を図る方式が各社から発売されている。だが、新機種のために割高なのと、アルゴリズムが複雑なために各社とも独自のものを打ち出しており統一性が無いのが現状である。
- PEEP
- Positive end-expiratory pressure、呼気終末陽圧型人工呼吸
- 肺胞の虚脱を防ぐため、気道内圧を大気圧より高い状態に保つ機能である。通常は大気圧+3~10 cmH2Oで充分であり、それ以上高いと息を吐き出すことが出来なくなってCO2貯留による呼吸性アシドーシスを起こす。患者が急激に息を吸ったりした場合は呼吸器が追いつかず、設定されたPEEPが保てないことがある。
- HFOV
- 高頻度振動換気
- 解剖学的死腔量よりも小さい一回換気量で高頻度の換気を行う呼吸管理方法。気道内圧変動が小さく肺損傷を最小限に抑える。血圧、頭蓋内圧の呼吸性変動を抑制する。新生児にも使用されている。
生体への影響編集
本来の人間の呼吸は吸気時に胸腔内が陰圧(1気圧以下)になり、呼出時に陽圧(1気圧以上)となる。しかし人工呼吸器を装着している場合、胸腔内は常に陽圧となる。胸腔内にある大静脈や肺の血管が圧迫され、循環の妨げになる。また生体にとって陽圧をかけて肺にガスを送り込むことは無理やり肺を押し広げるため、非生理的なことであり装着時間に比例してダメージも大きくなる。
警告:人工呼吸器を勝手に外すなどして死なせる行為は、たとえ医者や医療従事者であっても、殺人罪等の重罪に問われるため、絶対に行ってはいけない。ただし、助からない等の理由でドクターストップをかけ、人工呼吸器を外した場合は罪に問われない。
合併症編集
長期気道確保時の気管切開編集
経口気管挿管は患者の苦痛、口腔内清拭や気道吸引の困難さ、自己抜管の危険性などから7~10日が限界と考えられている。そのため、それ以上の気道確保が必要な場合は気管切開が考慮される。日本気管食道学会の外科的気道確保マニュアル[5]によると上気道の狭窄や閉塞のある患者、下気道の分泌物貯留、排出困難による頻回の吸引が必要な患者、口腔領域や咽頭領域手術時の気道確保、神経疾患や筋疾患などによる呼吸筋減弱を認める患者、遷延する意識障害で気道確保や誤嚥予防が必要な患者で長期気道管理が必要な場合は気管切開が行われる。気管挿管困難例では輪状甲状靭帯穿刺を行うが長期気道確保の場合は外科的気管切開か経皮的穿刺式気管切開が行われる。
人工呼吸器設定の実際編集
人工呼吸器の使用は呼吸不全のとき、あるいは全身麻酔の手術における場合など多数認められる。疾患や状況、患者のバックグラウンドによって適切な設定は変わりえる。呼吸不全における人工呼吸器の設定について纏める。あくまでも無難な設定を示す。
人工呼吸器の初期設定と挿管編集
2008年現在、大抵の人工呼吸器にはSIMVモードがあり、プレッシャーサポートがついているためそれを前提とする。患者の体格や病態によって適切な人工呼吸器の設定というものが存在し、集中治療の分野では様々な研究がされている。しかし、気管内挿管が必要な場合、それらの評価を行う時間やデータが不足している場合も多々ある。適切な設定値を求めるあまり気管内挿管が遅れるようでは意味がないので無難な量を纏める。想定しているのは体重が60Kgの成人である。挿管前に準備するものとしてはサクションキット、バッグバルブマスク(アンビューバッグ)かジャクソンリース、SpO2モニター、心電図モニター、呼吸器以外に扱える酸素配管などを確認しておく。
パラメータ | 設定値 |
---|---|
換気モード | SIMV |
FiO2 | 1.0 |
一回換気量 | 450ml |
PEEP | 5cmH2O |
ピーク気道内圧 | 40cmH2O以下 |
吸気フロー | 60l/min |
呼吸数 | 15回/min |
PS | 10cmH2O |
その他設定が必要ならば、トリガー感度は-1~-2cmH2Oまたは2~3l/minとし、呼気・吸気比は1:1~3とする。アラームの設定は気道内圧上限が40cmH2O,気道内圧下限は10cmH2O,呼吸回数上限は30回/minであり換気量下限は設定換気量の60%とする。気管内挿管を行う際に必要なこととしては、全身麻酔である。意識障害があれば不要なこともあるが、鎮痛、鎮静、筋弛緩が必要であり、鎮痛はオピオイドで鎮静は静脈麻酔薬で筋弛緩は筋弛緩薬で行う(厳密な意味ではオピオイドには鎮静作用もあるのだが簡略化する)。
- 鎮静
プロポフォールやミダゾラム(ドルミカム)が好まれる。ミダゾラムは同じベンゾジアゼピン系の中でも副作用がジアゼパム(セルシン)よりも少なく、半減期が2~4時間と短いのが好まれる理由である。静注で行うのなら、初回投与はドルミカムならば5mg、セルシンならば10mg程度である。オピオイドを併用すると鎮痛、鎮咳作用によって挿管は容易になるが呼吸抑制が顕著にでるため注意が必要である。静注で併用するのならばフェンタニル0.05mg程度ば無難である。
- ディプリパン原液を2ml/hより開始 。
- ドルミカム10A(100mg/20ml)を1ml/hから開始 。体動を認めたら1mlフラッシュする。
- ドルミカム5A(50mg/10ml)+生食40mlを3ml/hで開始 。体動を認めたら3mlフラッシュする。
- ドルミカム8A(80mg/16ml)+ケタラール(筋注用)2000mg(2A)+生食14mlを2ml/hから開始 。体動を認めたら2mlフラッシュする。
- 鎮痛
強オピオイドを利用した場合は弱オピオイドを併用すると効果が減少するため注意が必要である。但し、これはアゴニストとパーシャルアゴニストを併用した時の現象であるため鎮痛効果は同一レセプターに作用していれば弱オピオイドと強オピオイドの中間となる。体動の原因が鎮静不足か鎮痛不足かによってフラッシュする薬物は変わってくるため、他の処方との整合性を図るべきである。
- 筋弛緩
ベクロニウム(マスキュラックス)を用いる場合が多い。マスキュラックス10mgを蒸留水10mlで溶解し1mg/mlとして使用する場合が多い。マスキュラックスは0.08mg/Kgが初回使用量となるため5mg程度から使用し、効果を見て8~10mg程度使用する場合もある。それ以外にはマスキュラックス2mgとサクシン(スキサメトニウム)50mgを併用し静注するという方法もある
初期治療編集
挿管を行い、人工呼吸器につなげば呼吸不全による死亡は防ぐことができるため、原因精査を行う時間を稼ぐことができる。
- 鎮静の維持
鎮静は血圧を下げない範囲で深めにかける。疼痛原因が特になければドルミカム5A+生食40mlで2ml/hr程度あれば十分である。
- 血圧が低めになったら
血圧が少しでも低めになったら昇圧剤、カテコラミンを開始する。ドパミンであるカタボンHi(600mg/200ml)は体重50Kgにて1ml/hrで1γ(1μg/Kg/min)となるように設定されているため7ml/hrあたりから開始する。
- 輸液
血圧が低めならばラクテックを100ml/hrで血圧が正常であればソルデム3Aで60ml/hrで維持をする。
- アシドーシスが存在すれば
不足HCO3-(mEq/l)=体重(Kg)×0.2×B.Eより計算し、半分量を投与しpHをみながら追加していく。7%メイロン20mlでは17mEq/lであり、8.4%メイロン20mlでは20mEq/lである。
- 聴診で喘鳴が聴こえたら
ソルコーテフ200mgの投与を行う。
- 発熱が認められたら
速やかに血液培養を行い、第三世代のセフェム系抗菌薬の投与を開始する。
ここまで行えば、重症患者に対して最低限の維持ができるので採血、X線写真、心臓超音波検査、腹部超音波検査を行い、治療に向けた計画を作成する。FiO2が1.0の場合は3時間もすると肺胞障害が始まるといわれている。人工呼吸器を用いた長期管理を行う場合は、設定の調節が必要となる。それらは内部リンク呼吸困難を参照のこと。
主なメーカー編集
主な商品編集
人工呼吸器は実に様々な物が売られており、年を追うにつれて新たな付加機能を備えたものが発売されている。
- アコマ
- ART-21EX
- ARF-900EII
- ネルコア・ピューリタン・ベネット
- ベネット7200 - 基本的な換気モードを一通り具えている。
- ベネット7200ae
- ベネット740/760 - 構造上Air配管不要で使用可能
- ベネット840 - グラフィックモニター装備。Bilevelという独自のモードを持つ。新生児~対応可能
- アダルトスター
- アダルトスター2000
- インファントスター
- iVent201
- ニューポートメディカル 小児での実績と使いやすさを特徴とする
- E100
- E150
- E200
- e500
- e360
- HT50
- Dräger Medical
- Evita XL
- Evita 4
- Evita 2dura
- Savina
- Babylog8000plus
- Oxylog3000
- Oxylog2000
- Oxylog1000
- ベアーメディカルシステムズ(総輸入元:IMI[1])
- ベアー1000
- ベアーカブBP2001
- ベアーカブ750vs
- ベアーカブ750psv
- バードプロダクツ(総輸入元:IMI)
- バード8400STi
- V.I.P.バードフローシンク
- T-Bird
- VELA
- AVEA
- ベアー1000
- パルモネティックシステムズ
- LTV1200
- LTV1150
- レスピロニクス
- BiPAP ビジョン
- BiPAP シンクロニー
- BiPAP ハーモニー
- BiPAP フォーカス
- エスプリ
- トリロジー100
- トリロジー200
- トリロジーO2
- チェスト(BREAS)
- Vivo30
- Vivo40
脚注編集
- ^ 株式会社南山堂発行、TEXT麻酔・蘇生学(第1版発行 1995年2月10日、ISBN 4-525-30841-9)p.336「【臨床実習メモ 161】 鉄の肺と人工呼吸器」より
- ^ a b 慢性呼吸不全への在宅NPPV療法 TEIJIN Medical Web
- ^ 侵襲的人工呼吸管理 日本呼吸器学会誌第3巻第6号 (PDF)
- ^ a b 総論4-4 非侵襲的陽圧換気療法(NPPV) 2. 機器A 陽圧換気補助の機器 Mindsガイドラインライブラリ(日本医療機能評価機構)
- ^ 外科的気道確保マニュアル ISBN 9784307202725
- ^ a b Giorgio V. Müller, "Hersteller von Beatmungsgeräten produzieren massiv mehr, aber können die Nachfrage trotzdem nicht decken | NZZ", Neue Zürcher Zeitung (ドイツ語), 2020年4月1日閲覧。
- ^ Dyson entwickelt Beatmungsgeräte für Covid-19-Patienten. Unternehmen will bereits fertig sein – Eilverfahren zur Genehmigung läuft – Parallel entwickelten US-Forscher Plan für günstiges Notfallbeatmungsgerät. Der Standard, 29. März 2020.
- ^ Formel-1-Hilfe gegen Corona fruchtet: Erstes Gerät zugelassen.
- ^ F1-Teams aus Großbritannien arbeiten im 'Projekt Pitlane' gemeinsam an der Produktion von Atemhilfen.