仁志田昇司
仁志田 昇司(にしだ しょうじ、1944年(昭和19年)8月7日[1] - )は、日本の政治家。元福島県伊達市長(3期)、元保原町長(2期)。
仁志田 昇司 にしだ しょうじ | |
---|---|
2016年1月 | |
生年月日 | 1944年8月7日(80歳) |
出生地 | 福島県保原町(現・伊達市) |
出身校 | 東京大学工学部精密機械科 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 旭日小綬章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2006年2月12日 - 2018年2月11日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2001年8月27日 - 2005年12月31日 |
来歴
編集福島県保原町(現・伊達市)出身。保原町立保原小学校(現・伊達市立保原小学校)卒業後、保原町立保原中学校(現・伊達市立松陽中学校)に入学。1958年(昭和33年)4月、仙台市立五橋中学校に転入。東京学芸大学附属高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、東京大学工学部精密機械科卒業。同年4月、日本国有鉄道に就職。1987年(昭和62年)4月、JR東日本に入社。
1991年(平成3年)同社大井工場(現・東京総合車両センター)の工場長となる。1994年(平成6年)同社仙台総合車両所(現・新幹線総合車両センター)の所長となる。
その後、1997年(平成9年)に同社グループ会社のJR東日本レンタリース株式会社の代表取締役社長に就任した[2]。
2000年(平成12年)夏、帰省した折に恩師に「君、この町(保原町)の町長をやってくれないか」と言われたことが政治家を目指すきっかけとなる[3]。
2001年(平成13年)7月29日執行の保原町長選挙に出馬し、初当選。同年8月27日に町長に就任[4]。2005年(平成17年)8月、同町長選挙に2期目の当選。
2006年(平成18年)1月1日、 伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町が合併して伊達市が誕生する。これに伴って実施された伊達市長選挙(同年2月5日公示、2月12日投開票)に無所属で出馬し、無投票で当選。
2010年(平成22年)1月24日執行の伊達市長選挙に出馬。元伊達町長の冨田健一郎、元梁川町議会議員の橘典雄ら2人の候補者を接戦の末に破り、2期目の当選を果たす。得票数は、仁志田:17,390票、冨田:17,112票、橘:1,312票。投票率は、65.30%だった。
2013年(平成25年)5月26日、任期満了に伴う市長選に立候補する意向を示し[5]、2014年(平成26年)、前市議の高橋一由ら3候補を破り3選した[6]。
脚注
編集- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、64頁。
- ^ プロフィール仁志田 昇司 公式ホームページ
- ^ 町長を目指すきっかけ仁志田昇司 倉庫:7月28日までの記録
- ^ 町長日誌仁志田 昇司 公式ホームページ
- ^ “仁志田氏3選出馬へ 伊達市長選、市政報告会で意向”. 福島民報. (2013年5月27日) 2013年6月5日閲覧。
- ^ “伊達市長に現職・仁志田氏 新人・3氏に勝利、3選果たす”. 福島民報. (2014年1月26日) 2018年1月18日閲覧。
- ^ “伊達市長に新人・須田氏 現職ら4人抑え初当選”. 福島民報. (2018年1月29日) 2018年1月29日閲覧。
- ^ 『官報』号外第151号、2019年11月3日
外部リンク
編集- 仁志田 昇司 公式ホームページ - ウェイバックマシン(2001年7月21日アーカイブ分)[リンク切れ]