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今井 信郎(いまい のぶお、天保12年10月2日1841年11月14日) - 大正7年(1918年6月25日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代武士幕臣)、政治家キリスト教活動家。

いまい のぶお
今井 信郎
Nobuo Imai-1.jpg
生誕 (1841-12-06) 1841年12月6日
江戸本郷湯島天神下(現・東京都文京区湯島
死没 (1918-06-25) 1918年6月25日(76歳没)
日本の旗 日本静岡県榛原郡初倉村(現・静岡県島田市)
国籍 日本の旗 日本
別名 為忠
職業 武士村長

幕末期には京都見廻組隊員、衝鋒隊副隊長として佐幕活動を行い、近江屋事件に関与した。明治維新後は、自由民権運動を展開した三養社に携わり、榛原郡初倉村(現在の静岡県島田市初倉地域)の村長を務めた。

目次

生涯編集

幼少期編集

天保12年10月2日(1841年11月14日)、江戸本郷湯島天神下(現在の東京都文京区湯島)の幕臣の家に生まれる。

嘉永3年(1850年)、10歳で元服して為忠と名乗る。この年より湯島聖堂に出仕、和漢の道や絵画などを学ぶ。安政5年(1858年)、直心影流榊原鍵吉の門下に入り、20歳で免許皆伝講武所師範代を拝命した。また、片手打ちという独自の剣法を編み出すが、師より封印される。文久3年(1863年)、柔術の指南を受けた神奈川奉行所取締役・窪田鎮章の配下となり、窪田から扱心流体術を習った。

佐幕活動編集

その後、遊撃隊頭取として京都に赴き、上京後は佐々木只三郎の京都見廻組に参加し、坂本龍馬中岡慎太郎の暗殺(近江屋事件)に関与する。鳥羽・伏見の戦いに敗れた後、江戸に戻ると、幕府陸軍の訓練を担当していた古屋佐久左衛門と共に、脱走した幕府歩兵の鎮撫に当たり、後に組織された衝鋒隊の副隊長となり、戊辰戦争においては最後の箱館戦争まで戦い抜いた。

捕囚編集

1869年(明治2年)に降伏し、兵部省刑部省によって取り調べを受けていた。この頃、坂本殺害について旧新選組隊士に取り調べが行われたが、いずれも新選組の関与を否定した。このうち大石鍬次郎が見廻組が実行犯であると自供したため、今井も取り調べを受け、自供することとなった[1]。『勝海舟日記』明治2年4月15日条には松平勘太郎(松平信敏)に聞いた話として、今井が「佐々木唯三郎(只三郎)首トシテ」犯行に及んだことを自供したという記述がある。この中で勝海舟は指示したものは佐々木よりも上の人物、あるいは榎本対馬(榎本道章)か、わからないと記述している[2]

1870年(明治3年)9月2日、今井は禁固刑、静岡藩への引き渡しという判決を受けた[3]。直接手を加えていないが龍馬殺害にかかわったこと、その後脱走して官軍に抵抗したことが罪状とされている[3]。今井の証言をおさめた口上書は佐々木只三郎の指示により、佐々木、今井、渡辺吉太郎高橋安次郎桂隼(早)之助土肥仲蔵桜井大三郎の七人が近江屋に向かい、佐々木・渡辺・高橋・桂の4人が実行犯となって龍馬らを殺害したというものである[4]。殺害の命令があった理由については、寺田屋事件の際に龍馬が同心二名を射殺したことをあげている[4][5]。今井は京都見廻役小笠原長遠に命じられたとしているが、小笠原は一切関知していないとしている[6]

明治5年(1872年)に特赦により釈放された。この釈放には今井が西郷によって助けられたという風聞が当時あり、また今井自身も西南戦争で西郷の救援に向かおうとしたという、今井の息子の証言がある[7]。明治9年(1867年)には、西村兼文が著書『文明史略』において、龍馬らが「幕府ノ臣今井某等ノ為メにニ殺サル」と触れている[6]が、広く知られることはなかった。

初倉村時代編集

明治11年、静岡県榛原郡初倉村(現・静岡県島田市)に帰農し、初倉村の村議及び村長を務める。横浜横浜海岸教会でその教義を知り大いに感銘を受けて自らの不覚を愧じ、その信者となり牧師・平岩愃保から洗礼を受ける[8]

後半生はクリスチャンとして矯風事業に貢献した。また、同じクリスチャンである坂本直が主宰した龍馬の法要にも出席している。

明治33年(1900年)、今井は親しくしていたキリスト教伝道師結城無二三の子結城禮一郎の取材に応じ、近江屋事件への関与について語った。この内容は甲斐新聞に掲載されているが、結城が内容を飾り、誇張した形で掲載された[9]。この証言では今井が実行犯となっている[10]。以前の証言と異同が見られることについて菊地明は、今井が当初挙げた実行者は今井自身を除き全て鳥羽・伏見の戦いで戦死していることから、今井には渡辺篤や世良敏郎ら存命者をかばう意図があったのではないかと推測している[11]。後に雑誌に転載されたものを見た谷干城は、中岡からの証言と異なっていることなどから今井の証言が偽物であり、「売名の手段に過ぎぬ」と度々発言している。このため当時は今井の証言が有力なものであるとは受け止められなかった[9]。明治42年には大阪新報の記者和田天華の取材に対し、「暗殺ではなく幕府の命令による職務であった」「犯人は新選組ではない」と回答している[12]

大正5年(1916年)に脳卒中で倒れ、2年間の病床生活の後の大正7年(1918年)に死去した。

親族編集

顕彰活動編集

  • 平成14年(2002年)10月20日 - 初倉村(現・島田市初倉地域)の村議となり村長も務めた信郎の入植後の業績を顕彰しようと、地元の有志が石碑を建立する活動を始めた。また、同月26、27の両日、「第14回初倉文化展今井信郎と緑の人々」で今井翁の戦争日記や榛原郡をはじめ、自身が編纂した周辺地域の郷土史などを展示する[13]
  • 平成14年(2002年)10月26日 - 信郎の生涯をまとめた『今井信郎風雲録 - 是非に及ばず』が出版された。著者は地元島田市の郷土史に詳しい元島田市議の塚本昭一、「竜馬斬殺と戌辰の役」その時歴史は動いた、「落日を超えて」信郎の家族たち、「魁偉と信郎の生きざま」、「栄光と残照」牧之原と最後の幕臣[14]
  • 平成15年(2003年)2月23日 - 初倉村の村長を務めた今井信郎が、牧之原入植後の業績を顕彰する石碑が、同市坂本の屋敷跡に建立され、信郎の曾孫にあたる今井晴彦の出席のもと除幕式が行われた。石碑建立に取り組んだ有志は「屋敷跡を公園として整備したい」としている。石碑は、屋敷跡面積約3,000m2の一角に、伊予石を使い、高さは2.6m、幅は2.8mで、「今井信郎 屋敷跡」と彫られている[15]
  • 平成14年(2002年)10月26日 - 信郎が自ら集めた初倉周辺地域の郷土史、初倉入植前の戦争日記や入植後書き続けた退渓日記などの資料を集め、「第14回初倉文化展今井信郎と緑の人々」と題する資料展が開催された。

系譜編集

今井家
                ┏森けい━━森幸平┳森隆幸
                ┃        ┗森由紀子
                ┃    ┏芥川りゅう━芥川てる
                ┃    ┣矢部しず━┳矢部慎一郎
                ┃    ┃     ┣堀内今
                ┃    ┃     ┣矢部とし
                ┃    ┃     ┣森田俊
                ┃    ┃     ┗近内忠
                ┃    ┣相羽つる
…今井長五郎…今井八重━今井きね╋今井信郎╋今井克
                ┃    ┣今井信夫━━今井初枝
                ┃    ┣今井健彦━┳長谷川節子
                ┃    ┃     ┗今井幸彦━━今井晴彦
                ┃    ┗今井守武
                ┣永田守身
                ┣今井信香━今井多恵
                ┗今井省三┳今井守信
                     ┗今井重雄

脚注編集

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  1. ^ 坂本龍馬関係文書 & 第二, p. 455-456.
  2. ^ 坂本龍馬関係文書 & 第二, p. 462.
  3. ^ a b 坂本龍馬関係文書 & 第二, p. 461.
  4. ^ a b 菊地明 2010, p. 30.
  5. ^ 2006年学習研究社から発売された『新・歴史群像シリーズ(4) 維新創世 坂本龍馬』では菊地明が「寺田屋事件の際に捕縛方一人を殺害したことで“お尋ね者”になっており、見廻組が逮捕のためにやってきた」という話を書いているが、これも今井の供述からである。
  6. ^ a b 木村幸比古, 2007 & Kindle版、位置No.全2257中 1404 / 62%.
  7. ^ 木村幸比古, 2007 & Kindle版、位置No.全2257中 909-917 / 40-41%.
  8. ^ 守部喜雅(2010年) 37-38ページ
  9. ^ a b 結城礼一郎旧幕新撰組の結城無二三 : お前達のおぢい様玄文社、1924年。全国書誌番号:00000059511369-71p
  10. ^ 菊地明 2010, p. 31.
  11. ^ 菊地明 2010, p. 32.
  12. ^ 坂本龍馬関係文書 & 第二, p. 352.
  13. ^ 『坂本竜馬を斬った男・今井信郎翁を顕彰』「 26、27日に資料展も 有志が石碑建立へ」静岡新聞、2002年10月20日、朝刊19頁、2010年7月14日閲覧
  14. ^ 『今井信郎風雲録 - 是非に及ばず』塚本昭一著、A5版372頁、静岡新聞、2002年10月26日、朝刊19頁、2010年7月14日閲覧
  15. ^ 『坂本竜馬を斬った男、元初倉村長の今井信郎翁 入植後の業績顕彰し屋敷跡に石碑を建立』静岡新聞、2003年2月24日、朝刊19頁、2010年7月14日閲覧

参考文献編集