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今井氏(いまいし)は、日本の氏族の一つである。

今井氏
家紋
いげたはなびし
井桁花菱[1]
本姓 1.皇別中原朝臣
2.清和源氏武田氏流
3.清和源氏新田氏流
家祖 1.今井兼平
種別 武家
出身地 信濃国筑摩郡今井村または木曽郡木曽町今井村
甲斐国山梨郡今井村
上野国新田荘今井村
主な根拠地 1.上野国勢多郡北橘村箱田
著名な人物 今井兼之(兼平次男)
今井兼義(酒井氏家臣)
今井文吾衛門(酒井氏家臣)
今井駒右衛門(酒井氏家臣)
今井善兵衛友治(松平氏家臣)
今井善兵衛兼重(松平氏家臣)
今井友太郎(近衛師団)
(近衛騎兵)
今井清(近衛師団)
(近衛騎兵・皇居警護)
凡例 / Category:日本の氏族



甲斐国 今井氏編集

清和源氏 武田氏流編集

甲斐国山梨郡ここゐ裏城を本拠とした。清和源氏武田氏庶流にあたり、15世紀前半の甲斐守護・武田信満の子息である武田信景を祖とする。本家である浦今井氏[2]戦国時代国衆として活動した。永正16年(1519年)から永正17年(1520年)にかけて甲斐守護・武田信虎に反旗を翻した人物に「浦兵庫」がおり、これを浦今井氏当主の今井信是もしくはその子息の今井信元に比定する説があるが不明。

永正16年(1519年)甲斐国統一を進める守護武田信虎と甲斐の有力国人今井氏信濃諏訪氏、連合軍が甲信国境で激突し今井氏は一旦降伏。その後、今井氏は信虎へ反旗を翻し度重なる反乱の末、河原辺の戦いで信虎軍と激突しこの戦いで今井信元飯富虎昌栗原兵庫諏訪頼満大井信業、連合軍は800人余を失って大敗した。敗戦後、今井信元は浦の城(獅子吼城)、に籠城してなおも信虎に抵抗したが、天文元年(1532年)9月に開城して遂に信虎に降参し臣従した。これにより、武田信虎による甲斐統一が果たされた。その後、武田信虎の一門衆に今井信房今井信甫今井虎甫今井虎意今井信昌が列なる。

また、武田晴信信玄)期の武田家一門側近衆今井信昌今井信俊が列なる。

甲陽軍鑑』によれば、永禄3年(1560年)に「かつぬま五郎殿」が相模国後北条氏の従属国衆である藤田氏もしくは大石氏への内通の疑いで成敗されたとされる[3]。『甲陽軍鑑』ではこの「かつぬま五郎殿」を御一門衆・勝沼信友の子息としているが、実際には府中今井氏当主・今井信甫の子息である今井信良に比定され、この頃には越後国長尾氏が後北条領へ侵攻していることから、長尾氏に内通した可能性が考えられている。この事件以降、勝沼今井氏の動向は途絶するが[4]上野国今井氏と合流したとの説がある。

武田家中では今井信仲が天正3年11月以前に信濃国上伊那郡を管轄する「上伊那郡司」となっている。『甲乱記』によれば、天正10年(1582年)3月に織田・徳川連合軍の武田領侵攻に伴い都留郡へ逃亡し、同地で処刑されたと記されている。

上野国 今井氏編集

中原氏流編集

第3代安寧天皇(先祖)- 磯城津彦命(皇子)- 中原朝臣(始祖)- 十市有象中原有象(後裔)- 十市以忠中原以忠(有象の弟)- 中原兼経(以忠の子)- 中原兼遠(兼経の子)- 今井兼平(兼遠の子)

信濃国発祥の中原氏一族と伝えられる。文献によると、元暦元年(1184年)の粟津の戦いで木曾義仲が戦死すると家臣であった今井兼平の次男今井兼之高梨氏楯氏根井氏・町田・小野沢・萩原・串渕・諸田等が義仲と巴御前の子である三男木曾義基を匿い、群馬県渋川市北橘村箱田に落ち延びたとされる。義仲の崇敬社である岡田神社沙田神社阿礼神社の分霊を勧請し木曾三社神社木曾三柱神社を創建。箱田に住居を構えたことが始まりとされる[5][6]。のちに箱田城を自ら築城し箱田地衆国衆)として活動するが、戦国時代に入り有力大名である白井長尾家上杉氏武田氏北条氏酒井氏松平氏に仕えた[7][8]

清和源氏 新田氏流編集

同時に清和源氏新田氏の支族の今井氏も存在する。新田政氏の子惟氏が今井氏と称し、その子の惟義[9]、孫の清義と続いた。新田惣領家の新田義貞に殉じて戦死を遂げた父惟義の遺命で清義は出家して、浄連と号して、非業の死を遂げた新田氏一族の供養をすることで一生を終えたという。

その他の今井氏編集

近江国宇多源氏佐々木氏流があり、この系統から和泉国今井宗久宗薫父子を輩出している。おなじく近江国の藤原北家秀郷流蒲生氏族、陸奥国南部氏流(武田氏とおなじく甲斐源氏)、信濃国諏訪氏流、武蔵国児玉党伊予国越智氏一門の新居氏流などがある[10]

脚注編集

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  1. ^ 井桁花菱(いげたはなびし)井桁(いげた)は、日本の家紋「井桁紋」の一種である。井戸の地上部分の構造(井桁)を図案化した家紋である。 正方形を井筒、ひし形を井桁という。紋章や衣服の模様に応用され,代表的な絣(かすり)模様の一つとなっている。 花菱(はなびし)は、日本の家紋「花菱紋」の一種である。菱の葉に似た文様の弁を4つ並べて花びらに見立てた形から花菱と付けられたという。花菱は、大陸由来の連続文様である。平安時代には、有識文様として公家の調度品や衣装の文様として用いられた。 井桁紋と花菱紋を合わせた井桁花菱紋は、今井氏が使用していた家紋の一つであり画像は一例である。 家紋ドットネット 今井姓の家紋 菱の家紋 家紋市場 家紋DB
  2. ^ 「裏今井氏」と表記する場合もある。丸島和洋「甲信地域」大石泰史編『全国国衆ガイド』、星海社新書、2015年
  3. ^ 丸島和洋「甲信地域」大石泰史編『全国国衆ガイド』、星海社新書、2015年
  4. ^ 丸島和洋「甲信地域」大石泰史編『全国国衆ガイド』、星海社新書、2015年
  5. ^ 今井善兵衛著『更生農村 : 北橘村の実情 』日本評論社1935年昭和10年))
  6. ^ 木曾三社神社
  7. ^ 木曾三柱神社②
  8. ^ 今井善兵衛著『更生農村 : 北橘村の実情 』日本評論社1935年昭和10年)
  9. ^ 新田基氏の子とする説もある。
  10. ^ 『姓氏』(樋口清之丹羽基二秋田書店1970年昭和45年))


参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集