今帰仁朝敷
第二尚氏の人物
今帰仁 朝敷(なきじん ちょうふ、道光27年6月4日(1847年7月15日) - 大正4年(1915年)8月11日)は、琉球王国第二尚氏王統第18代・尚育王の三男で、今帰仁御殿の元祖。廃藩置県後は男爵。王国時代、正式には今帰仁王子朝敷と称する。

概要
編集童名は思樽金、唐名は尚弼。尚育王の三男として生まれる。最初具志川王子と称し、1869年(同治8年)、今帰仁間切(現・今帰仁村)の按司地頭に転任したので、今帰仁王子と称した。1875年(明治8年)、病気の兄・尚泰王に代わって、琉球処分官・松田道之の応対にあたった。1890年(明治23年)5月26日、男爵を叙爵した[1]。
栄典
編集家族
編集脚注
編集- ^ 『官報』第2070号、明治23年5月27日。
- ^ 『官報』第3893号「叙任及辞令」1896年6月22日。
- ^ 「翁姓家譜(伊舎堂家)」には、真鍋とある。
参考文献
編集関連項目
編集日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 叙爵 |
男爵 今帰仁御殿初代 1890年 - 1915年 |
次代 今帰仁朝英 |