今村 有隣(いまむら ゆうりん / ありちか、弘化2年4月25日1845年5月30日) - 大正13年(1924年9月27日[1])は、日本フランス語学者。

今村有隣

経歴 編集

加賀藩出身[1]1863年文久3年)から6年間、横浜メルメ・カションについてフランス学を学んだ。1869年明治2年)に大学南校に入り、翌年 大学少助教となった。文部少助教、文部中助教、東京外国語学校教諭、大学予備門教諭、東京商業学校教諭、第一高等中学校教諭、同幹事、第一高等中学校教授・高等商業学校教授、第一高等学校教授を歴任した。1906年(明治39年)には第一高等学校校長に就任した。

栄典 編集

著書 編集

  • 『仏語啓蒙』(1882年)
  • 『対釈応用 仏蘭西文法 附・作文例及習慣句』(博文館、1899年)

親族 編集

 
今村有隣の墓(染井霊園

脚注 編集

  1. ^ a b 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。
  2. ^ 『官報』第7012号「叙任及辞令」1906年11月12日。

参考文献 編集