今村 稔(いまむら みのる、1941年9月18日[1] - )は、日本アナウンサーニュースキャスター東京都出身[2]明治大学政治経済学部卒業[2]

いまむら みのる
今村 稔
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京都
生年月日 (1941-09-18) 1941年9月18日(82歳)
最終学歴 明治大学政治経済学部卒業
職歴 TBSアナウンサー
→TBSニュースキャスター
TBSラジオニュースデスク
活動期間 1965年 -
ジャンル スポーツ報道
出演番組・活動
出演中 TBSニュース
ウィークエンドネットワーク
出演経歴 お昼のニューススタジオ
JNNニュース
ほか

来歴・人物 編集

1965年4月にTBS(東京放送)[注釈 1]へアナウンサー10期生として入社[3]。同期に小川哲哉桐本幸子車尾具昭五味陸仁多田護手塚俊子奈良陽本田綾子がいる[4]1966年1月ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部へ配属[3]1967年11月15日より、アナウンサー研修室設置[5]に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部の配属となった[3]

1968年6月に報道局運動部兼アナウンサー研修室付[3]となって以降は、主にスポーツ番組を担当していた[2](その間、1970年7月にラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道局運動部配属となる[3])。

1976年3月テレビ本部報道局編集部へ異動し[3]、ニュースアナとなる[2]。ニュースアナとなって早々、経団連事件が起き、当初約5分で終わる予定だった担当ニュースが1時間にまで延長したため、しどろもどろになったというエピソードを後に明かしている[2]

1989年1月より報道総局アナウンス部兼報道局編集部兼ラジオ総局情報制作局ニュース・情報センター部配属[3]となった後、1991年12月よりラジオ編成制作局情報センター部への配属[3]を経て、TBSラジオのニュースデスクとして活動した。[6][7]

2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の第一報をニュースデスクから伝え、そのまま翌朝までニュースを伝え続けた。

2013年4月より内山研二との曜日交換でニュースデスクの担当が土曜日から金曜日に替わったが、2014年2月より休演している(以後、内山が金曜日と土曜日を兼任)。

出演番組 編集

  • 各種スポーツ番組[2][3]
ラジオ
テレビ

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 会社法人としては、後の東京放送ホールディングス(2020年10月にTBSホールディングスに改称)。放送局としては、後のTBSテレビ(2009年4月以降)・TBSラジオ(2001年10月以降)。TBSの通称は、2009年3月まで東京放送のものだったが、同年4月の社名変更に伴い、TBSテレビへ引き継がれた。

出典 編集

  1. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。"生年月日 1941年9月18日"。 と明記。
  2. ^ a b c d e f g 『週刊読売』1980年5月11日号P41に掲載された名鑑より。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『TBSアナウンサーの動き』より、今村の情報を参照。
  4. ^ 『TBSアナウンサーの動き』より、アナウンサー10期生の一覧を参照。
  5. ^ 『TBSアナウンサーの動き』より、1967年11月15日の記述を参照。
  6. ^ 土曜ワイドラジオTOKYO~永六輔その新世界 - 『+++954写真缶~TBSラジオの放送現場から~+++』2006年9月15日より、ニュース・情報担当者として気象予報士の川端彩香・記者の崎山俊也とともに紹介されている。
  7. ^ TBSラジオ 土曜ワイドに出演して - 『在宅 ホスピス医 内藤いづみ ふじ内科クリニック』内「プレス掲載記事」より(『毎日新聞』2010年7月31日付掲載記事『永六輔その新世界 病院通いでも注文も』からの抜粋として、『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』でデスクの今村と記者の崎山俊也がニュースコーナーの解説を担当していることがつづられている)。

参考文献 編集

  • 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年。 
  • TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)
    • 付録のDVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録されたPDFファイル
      • 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書)

関連項目 編集