今泉 (富士市)

静岡県富士市の大字
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今泉(いまいずみ)は、静岡県富士市大字。丁番を持たない地域と、今泉一丁目から今泉九丁目により成る[1]住居表示実施済み区域[4]郵便番号は417-0001[2]

今泉
今泉の位置(静岡県内)
今泉
今泉
今泉の位置
(座標は今泉まちづくりセンター)
北緯35度9分59.94秒 東経138度41分36.43秒 / 北緯35.1666500度 東経138.6934528度 / 35.1666500; 138.6934528
日本の旗 日本
都道府県 静岡県
市町村 富士市
人口
2021年令和3年)1月1日現在)[1]
 • 合計 17,700人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
417-0001[2]
市外局番 0545 (富士MA)[3]
ナンバープレート 富士山

中部ブロック・今泉地区に属する[5]

地理 編集

市の南部に位置する。北部は富士裾野のなだらかな傾斜で、平地となっている南部の二、三丁目には製紙工場が立ち並ぶ。住宅密集地も多い[6]。北部に東名高速道路、南部に岳南電車岳南線が東西に通っており、本吉原駅がある。

湧水地帯 編集

今泉はその名が示す通り、富士山愛鷹山から浸み込んだ水が諸所で湧き出す湧水地帯となっている[7]。湧水群から流れる田宿川は高い透明度を持つ清流で、バイカモも植生しており、毎年7月下旬には「たらい流し川祭り」が催される[8]

1887年明治20年)には芦川万次郎がこの湧水地帯(ガマ)に手漉き和紙工場を設立し、これを皮切りに明治20、30年代にかけて、今泉を中心に多くの手すき和紙工場が設立された。これが現在にまで至る、富士市の製紙産業の基盤となっている[9]

歴史 編集

古くは富士郡今泉村であった。今泉村は現在の今泉全域、新橋町依田橋町広見東本町に当る。

古くは「瀬古」の名で、のちに「善徳寺村」を経て寛文2年(1662年)に「今泉村」と改称された。中世には須津庄の内の今泉郷と称し、貞治5年(1366年)3月9日付の「駿河守護今川氏家書下(駿河伊達文書)」に「須津庄内今泉郷」とある[10]

  • 1889年明治22年)3月1日 - 今泉村、石坂村、一色村、依田橋村、今宮村、神戸村が合併し、今泉村が発足。
  • 1942年(昭和17年)6月14日 - 新設合併により生れた新・吉原町の一部となる。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 市制施行に伴い、吉原市の一部となる。
  • 1966年(昭和41年)11月1日 - 新設合併により生れた富士市の一部となる[11]
  • 1990年(平成2年)「今泉八丁目」で、平成2年度手づくり郷土賞(ふるさとの坂道)受賞

世帯数と人口 編集

2021年令和3年)1月1日現在の、世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
今泉 5,610世帯 12,715人
今泉一丁目 227世帯 494人
今泉二丁目 319世帯 721人
今泉三丁目 160世帯 413人
今泉四丁目 234世帯 550人
今泉五丁目 223世帯 564人
今泉六丁目 308世帯 747人
今泉七丁目 208世帯 469人
今泉八丁目 265世帯 606人
今泉九丁目 186世帯 421人

小・中学校の学区 編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12][13]

町丁 町内会 小学校 中学校
今泉 田宿、御殿、吹上、寺市場、市場、一の宮町1・2・3、立小路、栄町、富士見町、
水の上、仲町、泉町、鍛治町1・2・3、上和田町、吉原緑ヶ丘(芙蓉会を除く)、和田町1・2、
新橋、依田橋、駿河台1・2・3・4、南仲町、北仲町、新富士見町
富士市立今泉小学校 富士市立吉原第二中学校
木の宮町、西木の宮町、東木の宮、一色、荻の原、茶の木平、青葉台南 富士市立青葉台小学校

名所・旧跡 編集

源太坂 編集

吉原高等学校の西方に「源太坂」という坂があり、梶原源太景季と佐々木四郎高綱が馬比べをした話が伝わっている。

寿永3年(1184年)、宇治川の戦いのために源義経源範頼が京都へ向う途中、今泉の高台に野営した。景季は出発前、源頼朝に名馬の生食(いけづき)の拝領を願い出たが認められず、代りに磨墨(するすみ)を与えられた[14]。この磨墨も生食に負けず劣らずの名馬であったが、その後に頼朝へ生食の拝領を願い出た高綱は、意外にも生食を譲り受けることができた[14]。ここで野営した際、景季は高綱が生食を持っているのを見て顔色を変え、刺し違えて死のうとまで考えたが、相手の様子がおかしいことに気付いた高綱は景季の質問に、「ご貴殿がお願いしても駄目であったのだからそれがしも生食を頂く望みはないと思い、そっと盗んできた」と答えた。景季は表情をやわらげて大声で笑い、大事には至らなかったという[15]

善得寺跡 編集

善得寺(善徳寺とも書かれる)は貞治2年(1363年)に大勲策禅師が建立した天寧庵を始まりとする寺院で、今川氏武田氏北条氏甲相駿三国同盟を結んだ場所と伝えられている。明治4年(1871年)に廃仏毀釈運動の影響を受けて廃寺となり、現在の跡地には往時を偲ばせるものは殆どないが、代々の禅師の墓が僅かに現存する[16]

1990年平成2年)には、市内初の史跡公園「善得寺公園」として整備された[16]

交通 編集

道路 編集

路線バス 編集

鉄道 編集

施設 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c 大字別人口表|富士市 2021年3月30日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号一覧|日本郵便 2021年3月19日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2021年1月24日閲覧。
  4. ^ 住居表示整備事業|静岡県富士市 2021年3月19日閲覧。
  5. ^ 地区まちづくりセンターの施設情報|富士市 2021年3月19日閲覧。
  6. ^ 『角川日本地名大辞典 22 静岡県』(1982年、角川書店)
  7. ^ 泉の郷|富士じかん 2021年4月1日閲覧。
  8. ^ 【今泉地区】湧水調査カルテ|富士市 2021年4月1日閲覧。
  9. ^ 製紙業の歴史|富士市 2021年4月1日閲覧。
  10. ^ 『日本歴史地名大系第二二巻 静岡県の地名』(2000年、平凡社)
  11. ^ 静岡県市町村の変遷|静岡県 2021年3月19日閲覧。
  12. ^ 通学区域|富士市 2021年3月30日閲覧。
  13. ^ ふじタウンマップ 2021年3月30日閲覧。
  14. ^ a b 今泉の源太坂 - 富士市、2023年6月4日閲覧。
  15. ^ 鈴木富男『富士市の伝説と昔話』(1978年、文華堂書店)
  16. ^ a b 善得寺公園|富士市 2021年4月1日閲覧。