仙元誠三

日本の撮影監督

仙元 誠三(せんげん せいぞう、1938年7月23日 - 2020年3月1日[1])は、日本映画カメラマン撮影監督日本映画撮影監督協会(J.S.C.)賛助会員[2]

せんげん せいぞう
仙元 誠三
生年月日 (1938-07-23) 1938年7月23日
没年月日 (2020-03-01) 2020年3月1日(81歳没)
出生地 日本の旗 日本 京都府
職業 撮影監督
ジャンル 映画オリジナルビデオテレビドラマ
 
受賞
ヨコハマ映画祭
撮影賞
1980年白昼の死角
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経歴 編集

京都府出身。同志社大学中退。1958年8月1日松竹に入社。松竹京都撮影所にて撮影助手を務める。1967年にフリーとなり、1969年の『新宿泥棒日記』で撮影監督としてデビュー。以来、主に村川透澤井信一郎工藤栄一きうちかずひろらの監督作品を数多く手掛ける。特に照明技師の渡辺三雄とコンビを組む機会が多く、仙元ブルーと呼ばれる独特の色彩で個性を発揮した。

デビュー前はプロ野球選手を志しており、阪神タイガースの入団テストを受けた経歴を持つ[3]

2014年、平成26年度文化庁映画賞の功労賞を受賞した[4][5]

2015年11月からは山形県東置賜郡川西町に在住[6]

2020年3月1日、死去[1]。81歳没。

主な撮影作品 編集

劇場映画 編集

TVドラマ 編集

著書 編集

受賞歴 編集

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集