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沿革編集

当地は、明治期に旧仙台藩重臣の山家豊三郎[† 1]の別邸「清奇園」があった場所である。1913年大正2年)9月には、清水小路(現・愛宕上杉通)をはさんで「清奇園」の向かい側に東三番丁から東北女子職業学校(三島学園東北生活文化大学などの前身)が移転してきた[1]

1956年昭和31年)、同園の庭園を一部残して、東八番丁から仙台赤十字病院が移転・開院した。1974年(昭和49年)11月に三島学園が泉市上谷刈東伐生(現・仙台市泉区虹の丘)に全面移転し[1]1970年代後半には東二番丁通りが同院の前まで延伸されて清水小路と接続されると、三島学園の跡地には、現在仙台第一生命タワービルディングが建っている地から仙台市立病院1980年(昭和55年)3月に移転・開院した。

道を挟んで2つの大病院が建ち並ぶ状況になったため、1982年(昭和57年)に仙台赤十字病院が市内の新興住宅地の1つである八木山に移転・開院した。同院の跡地は仙台市営地下鉄南北線や同線五橋駅の建設工事の際に使用された後、1994年平成6年)に仙台市福祉プラザが設置された。

施設編集

  • ふれあいホール(302席)
  • プラザホール(150席)
  • 展示ロビー
  • 託児室
  • 録音室
  • 創作室
  • 調理実習室
  • 和室
  • 大広間1~2
  • 研修室1~4

アクセス編集

周辺施設編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 戊辰戦争に敗北した奥羽越列藩同盟の盟主・仙台藩は石高を大幅に減らされたため、藩士が困窮した。そのため山家豊三郎は、東一番丁の屋敷の一部を藩士に解放し、商売をやらせた。これを端緒に侍町であった東一番丁が商店街として勃興し、江戸時代仙台城下町商業の中心地であった国分町に取って代わることになる。

出典編集

関連項目編集

外部リンク編集