仙台警察署(せんだいけいさつしょ)は、1877年から1879年までと、1881年から1944年までに、日本の宮城県仙台市に所在した警察署である。宮城県警察部に属し、1944年に仙台北警察署仙台南警察署に分割されて廃止された。

歴史 編集

仙台警察署の前身は、1875年明治8年)2月18日に設置が決められ、5月に設置された宮城県警察掛第一出張所で、これが仙台における近代警察の出発点である。第一出張所は市内の南町にあり、1877年(明治10年)3月に仙台警察署と改称した[1]。管轄は宮城県の第1、第2、第8大区で、これは仙台区宮城郡黒川郡名取郡にあたる[2]

1879年(明治12年)1月に宮城県庁の中に移り、7月に廃止されたが、1881年(明治14年)12月に元に復した。この間、仙台の警察業務は宮城県警察本署の直轄となり、南町の建物には南町分署が置かれた。復帰に際し仙台警察署の事務は本署に譲られた[3]

1882年(明治15年)に国分町に新築移転した。煉瓦造り2階建ての上に八角の見張り台を立て、その上に時計台を載せた建物は、明治時代には仙台の代表的洋風建築の一つであった。設計は宮城県土木課長で後の仙台市長早川智寛。工費1万2025円のうち9025円は寄付金により、残る3000円を地方税でまかなった。10万個の煉瓦は片平丁の宮城県監獄署で作られた[4]。この建物には宮城県警察本署も同居していた。

1886年(明治19年)8月14日に一郡に一警察署を置くことが決まると、名取郡に岩沼警察署、宮城郡に塩釜警察署、黒川郡に吉岡警察署(後の大和警察署)が置かれることになった。仙台警察署の管轄は当時の仙台市に限られ、原町や長町のような連続した市街地も隣接署の管轄に入った[5]。翌1887年(明治20年)には宮城県警察本署の建物が宮城県庁の構内に落成し、仙台警察署から移転した。

1890年(明治23年)に、新たに北目町分署をおいて、仙台署と市内を南北に二分する南半分を任せることにした[6]。分署は近接する田町におかれて田町分署となったが、翌年には廃止になった[7]

その後、国分町の時計台庁舎が老朽化したため、1928年(昭和3年)9月23日に、工費13万2千円で東三番丁に新築された鉄筋コンクリートの建物に移転した[8]

1944年(昭和19年)3月に廃止になり、かわって仙台北警察署仙台南警察署が置かれた。従来の仙台警察署の建物は仙台北警察署が引き継いだ[9]

年表 編集

  • 1877年明治10年)3月 - 宮城県警察掛第一出張所が仙台警察署に改称。
  • 1879年(明治12年)1月 - 宮城県庁の庁舎内に移転。
    • 7月 - 廃止。
  • 1881年(明治14年)12月 - 再び設置。
  • 1882年(明治15年) - 国分町に移転。
  • 1896年(明治19年) - 名取・宮城・黒川の各郡に新設の警察署が置かれた。
  • 1890年(明治23年)3月1日 - 北目町分署(田町分署)の開署。
  • 1891年(明治24年)12月15日 - 田町分署を廃止。
  • 1923年(大正12年) - 初めて自動車を配備。フォードT型
  • 1928年(昭和3年)9月23日 - 東三番丁に移転。
  • 1944年(昭和19年)3月31日 - 廃止。

定員 編集

脚注 編集

  1. ^ 『宮城県史』第7巻165頁。『仙台市史』第2巻648-649頁。『仙台市警察史』1-2頁に同文。年は『仙台市史』等に明治6年とあるが、『宮城県史』により改めた。
  2. ^ 『宮城県史』第7巻168頁。
  3. ^ 『仙台市史』第2巻650頁。『仙台市警察史』3頁。
  4. ^ 『仙台市史』通史編6(近代1)82頁。『宮城県史』第7巻180頁。
  5. ^ 『宮城県史』第7巻189-190頁。
  6. ^ 『宮城県史』第7巻211頁。
  7. ^ 『宮城県史』第7巻219頁。
  8. ^ 『仙台市史』第2巻652頁。『仙台市警察史』5頁。
  9. ^ 『仙台市警察史』8頁。
  10. ^ 『仙台市警察史』2頁。
  11. ^ a b 『宮城県史』231頁。
  12. ^ 『宮城県史』237頁。
  13. ^ 『仙台市警察史』6頁。

参考文献 編集

  • 仙台市警察史編纂委員会『仙台市警察史』、宝文堂、1983年。
  • 仙台市史編纂委員会『仙台市史』第2巻(本編2)、1955年。
  • 佐々久「警察」、『宮城県史』第7巻、ぎょうせい、復刻版1987年。初版は宮城県史刊行会、1960年。