任順妃(じんじゅんひ、洪武25年10月26日(1392年11月11日) - 永楽19年(1421年))は、明の永楽帝の妃。朝鮮の人。
籍貫は忠清道懐徳県。仁寧府左尹の任添年と元の妻のあいだの娘として生まれた。彼女の入明前に依頼されて、両親は復縁した。
永楽6年(1408年)、明に献上されて後宮に入り、順妃となった。任添年は明の鴻臚寺卿に任じられた。
容貌は観音像のように美しいが、風情が無かったという。永楽19年(1421年)、永楽帝が後宮の者たちの大量処刑を行った際、首を吊って自殺した。
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