伊伎 是雄(いき の これお)は、平安時代前期の貴族氏姓卜部(無姓)のち伊伎宿禰。神祇権少副・壱伎氏成の子とする系図がある。官位従五位下宮主

 
伊伎是雄
時代 平安時代前期
生誕 弘仁10年(819年
死没 貞観14年4月24日872年6月3日
官位 従五位下宮主
主君 文徳天皇清和天皇
氏族 卜部(無姓)→伊伎宿禰
父母 父:壱伎氏成
和気好道娘
月雄
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経歴 編集

壱岐国石田郡の出身。壱岐卜部氏神代より亀卜に携わったとされ、その子孫は祖業を伝習して代々卜部として神祇官官人になったが、中でも是雄は卜占術の要諦を究め、日者(卜占する者)の中で「独歩」(他に比類なき者)と称された[1]

嘉祥3年(850年皇太子・惟仁親王の東宮宮主に任ぜられ、惟仁親王即位(清和天皇)ののち宮主に転任する。清和朝では宮主を務める一方、貞観5年(863年従五位下、貞観11年(869年)従五位下・丹波権掾に叙任された。この間貞観5年には一族の業孝[2]らと共に卜部から伊伎宿禰に改姓している。貞観14年(872年)4月24日卒去享年54。最終官位は宮主従五位下兼行丹波権掾。

官歴 編集

日本三代実録』による。

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ 日本三代実録』貞観14年4月24日条
  2. ^ 業孝を是雄の従兄弟とする系図もある(鈴木真年『諸国百家系図』下,松尾)
  3. ^ a b c 「松尾社家系図」『続群書類従』巻第181所収

参考文献 編集