伊原 正樹(いはら まさき 、1986年11月4日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

伊原 正樹
オリックス時代
(2011年9月24日、阪神鳴尾浜球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県尼崎市
生年月日 (1986-11-04) 1986年11月4日(37歳)
身長
体重
185 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト2位
初出場 2009年8月21日
最終出場 2011年7月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物 編集

尼崎市立城内小学校・尼崎市立城内中学校在学中に尼崎ボーイズに入団し、在団中に第10回南大阪大会優勝・ 第30回関西秋季大会県予選準優勝・第30回関西秋季大会出場・第31回春季大会県予選準優勝・第18回尼崎ボーイズリーグ大会準優勝を達成。

岡山共生高時代、3年時の夏は岡山県予選2回戦で敗退した。甲子園出場経験は無し。

高校卒業後は、関西国際大学経営学部に進む。右の榊原諒と共に左右のエースとして活躍し、2007年の関西国際大学の明治神宮野球大会初出場に貢献した。最優秀投手2回、ベストナイン1回[1]、大学通算20勝。

2008年10月30日、プロ野球ドラフト会議オリックス・バファローズから2位で指名を受け入団した。日本ハム2位指名の榊原と共に、関西国際大学からは創部11年目で初のプロ入り選手となった。

2009年は8月21日に初めて一軍に昇格し、その日の楽天戦でプロ初登板初先発を果たした。その後は抹消・登録を繰り返し、4試合に先発。9月17日のソフトバンク戦では7回2失点と好投したが白星には結びつかず、結局この年は未勝利に終わった。

2010年は初登板となった4月25日の西武戦では、敗戦投手ながら6回2失点と好投するも、次の登板では制球難を露呈して2回途中でKOされると二軍降格。その後、先発を務めた試合で打線の援護を貰ったにもかかわらず、投げきれば勝利投手の権利を得られる5回に相手打線に捕まりプロ初勝利を逃すことが二度もあるなど、この年も未勝利に終わった。

2011年は2試合の登板に留まり、2012年はプロ入り後初の一軍未登板に終わった。同年11月30日に自由契約公示され、2013年からは育成選手としてプレーする。

2013年7月1日、再び支配下選手登録された[2]

2014年10月1日に球団から戦力外通告を受けた[3]。トライアウトには参加しなかった。12月2日、自由契約公示された[4]。その後現役を引退し、打撃投手としてチームに残ることになった[5]

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
2009 オリックス 4 4 0 0 0 0 3 0 0 .000 80 17.2 15 6 10 0 3 11 2 0 15 15 7.64 1.42
2010 6 5 0 0 0 0 3 0 0 .000 110 23.0 31 2 14 0 1 11 0 0 20 17 6.65 1.96
2011 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 14 2.2 4 0 1 0 1 1 0 0 0 0 0.00 1.92
通算:3年 12 9 0 0 0 0 6 0 0 .000 204 43.1 50 8 25 0 5 23 2 0 35 32 6.65 1.73

記録 編集

背番号 編集

  • 26 (2009年 - 2011年)
  • 61 (2012年)
  • 121 (2013年 - 同年6月30日)
  • 43 (2013年7月1日 - 2014年)

登場曲 編集

脚注 編集

  1. ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球2008秋季リーグ戦決算号 ベースボールマガジン社
  2. ^ 伊原投手 支配下選手登録のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2013年7月1日). 2013年7月2日閲覧。
  3. ^ オリックス 西本コーチら4コーチと契約結ばず 4選手に戦力外通告スポーツニッポン2014年10月1日配信
  4. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月4日閲覧。
  5. ^ オリ伊原、家族のため決断した打撃投手 日刊スポーツ 2015年1月6日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集