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伊東 甚吉(いとう じんきち、1920年3月30日[4] - 没年不明)は、プロ野球選手二塁手)。

伊東 甚吉
基本情報
出身地 日本の旗 日本 兵庫県
生年月日 1920年3月30日
没年月日 没年不明
身長
体重
173[1] cm
64[1] kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1939年
初出場 1939年3月20日[2]
最終出場 1941年11月16日[3]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

来歴・人物編集

兵庫県出身。滝川中(現滝川中学校・高等学校)在学中には、1936年,1937年,1938年1937年夏の甲子園に出場。1936年春ベスト8,1937年夏ベスト4に二塁手として貢献した[5]。中学時代のチームメイトに三田政夫,田中成豪,湯浅芳彰がいる。また南海巨人で大活躍した別所昭は、伊東の2年後輩に当たる[6]

1939年阪急軍に入団。入団早々から二塁手のレギュラーを獲得し、堅守でチームを支えた[6]。反面、打撃はやや非力だったものの犠打盗塁を駆使して、チャンスメイクする事には長けていた。選球眼も良く、四球の数が三振を上回っていた。しかしプロ生活僅か3年で、1941年シーズン終了後応召。その後、戦死した(没年月日、死没場所は不明)。20代前半の短い生涯だった。

東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1939 阪急 69 242 208 24 36 5 1 0 43 18 7 -- 4 0 28 -- 2 23 -- .173 .277 .207 .484
1940 74 202 159 15 27 3 1 0 32 11 2 -- 11 0 31 -- 1 22 -- .170 .309 .201 .510
1941 79 274 225 16 46 2 0 0 48 18 7 -- 8 -- 40 -- 1 17 -- .204 .327 .213 .540
通算:3年 222 718 592 55 109 10 2 0 123 47 16 -- 23 0 99 -- 4 62 -- .184 .305 .208 .513

背番号編集

  • 10 (1939年)[7]
  • 26 (1940年 - 1941年)[8]

脚注編集

関連項目編集