伊江御殿(いえうどぅん)は、尚宗賢・伊江王子朝義尚清王七男)を元祖とする琉球王族第二尚氏の分家で、代々伊江島按司地頭をつとめた琉球王国大名。同家は三司官に4名就任し、当主4代が王子号を授与した筆頭格御殿。伊江御殿家関係資料146点と伊江御殿墓は、それぞれ国の重要文化財に指定されている。その他、伊江御殿別邸庭園や伊江殿内庭園(巣雲園)は国の名勝に指定されている。また15世朝雄は県内出身者初の国務大臣として知られている。

伊江御殿
No image available.svg
本姓 向氏第二尚氏
家祖 尚宗賢・伊江王子朝義
種別 琉球王族
華族男爵
出身地 琉球王国首里
主な根拠地 琉球王国
著名な人物 伊江王子朝直伊江朝雄
支流、分家 向氏高安殿内、向氏宜寿次殿内、向氏伊江殿内など
凡例 / Category:日本の氏族

概要編集

一世朝義は、初め羽地間切の按司地頭を務めたが、後に伊江島の按司地頭に転任、以後代々これを務めた。1691年康熙30年)、尚家の末裔は「尚、向」と「朝」を用いることが命じられ、同年11月9日に向姓を賜った。それ以前の伊江御殿は「宗」「義」を氏名や名乗頭字としていた。十世朝平には嗣子がなく、尚灝王の五男尚健を養子にして伊江御殿を継がせた。十一世朝直は琉球王国最後の摂政であり、1873年維新慶賀使の正史を務めた。

維新慶賀使として在京中に朝直は、1872年9月12日に新橋駅で日本初となる鉄道開業式典に参列、新橋 - 横浜間を走る1号機関車に乗車した。朝直ら琉球使節は、このお召し列車に、明治天皇の他、有栖川宮熾仁親王三条実美井上勝副島種臣西郷隆盛大隈重信板垣退助井上馨勝海舟黒田清隆陸奥宗光江藤新平山県有朋渋沢栄一などと共に乗車している。

廃藩以降編集

首里石嶺にある伊江御殿墓は、県内最古の亀甲墓の一つとして、1999年12月1日に国の重要文化財に指定されている。現在の墓域 2266 m2、建造された1687年当時約 5828 m2(5823=1763)。

また同地区には国の名勝である伊江御殿別邸庭園(7435 m2、2249坪)があり、2009年に庭園の整備・保全のため那覇市に寄贈している。

2019年7月23日には琉球王国の王族における家譜及び家譜編纂にかかる文書・記録類がまとまって伝存する稀有な例として伊江御殿家関係資料146点が国の重要文化財に指定された[1][2]

その他、宜野湾市1725年に建立した西森碑記がある。元祖尚宗賢・伊江王子朝義の母である城の大按司志良礼察度王の父奥間大親の末裔とされており、向和憲・垣花親方朝理(四世朝敷の三男)、六世朝良三司官向和声・西平親方朝叙などが石門や森の川の石積みを行なった。現在の森川公園。

また首里当蔵には支流向氏伊江殿内の国の名勝である伊江殿内庭園がある。別称は「巣雲園」。

琉球処分後、十一世朝直は今帰仁御殿と共に男爵の爵位を与えられ、十四世朝助貴族院廃止まで男爵家として在任した。十五世朝雄宮澤喜一内閣に入閣し、沖縄県出身者初の国務大臣として知られている。

なお、御殿四世:向嘉続・伊江按司朝敷の四男、向和声・伊江朝叙は伊江殿内の家祖であり、1835年に川平姓に改め川平殿内となる(川平殿内の末裔に川平朝申らがいる)。

系譜編集

脚注編集

[脚注の使い方]

参考文献編集

  • 那覇出版社(編集) 編 『沖縄門中大事典』宮里朝光(監修)、那覇出版社、1998年8月。ASIN 4890951016ISBN 978-4890951017NCID BA37599475OCLC 44263313全国書誌番号:99054933 
  • 比嘉朝進 『士族門中家譜』(再版)球陽出版、2005年4月。ASIN 4990245709ISBN 978-4990245702NCID BA72676585OCLC 170134325 

関連項目編集

外部リンク編集