前列中央が伊江朝直、左隣は宜湾朝保

伊江 朝直(いえ ちょうちょく、嘉慶23年8月23日1818年9月23日) - 明治29年(1896年1月4日)は、琉球王国末期の政治家。琉球最後の摂政として琉球処分の難局に対処した。単に伊江王子とも表記される。

概要編集

琉球国王尚灝王の五男として生まれ、後に伊江按司家の養子となり、伊江王子を名乗る。1859年牧志恩河事件では親薩摩派を弾圧した。

1871年明治5年 / 同治11年)、明治政府は琉球に使者を送るよう要求し、琉球王府はこれを維新政府への慶賀使と解釈し、尚泰王の名代として伊江を正使、宜野湾親方朝保を副使として東京に派遣する。ところが、明治天皇の名目で発せられた詔書の内容は「尚泰を琉球藩王となし、叙して華族に列す」とあり、琉球王国を天皇が任ずる藩王が治める琉球藩とするものであった。伊江らは困惑したが、日清両属体制を明治政府が認めたものと解釈して受け入れた。

維新慶賀使として東京在京中、伊江は、副使の宜湾朝保、参議官の喜舎場朝達と共に、明治5年9月12日、新橋駅で日本初となる鉄道開業式典に参列、新橋~横浜間を走る1号機関車に乗車した。伊江ら琉球使節は、このお召し列車に、明治天皇の他、有栖川宮親王、三条実美、山尾庸三、井上勝、副島種臣、西郷隆盛、大隈重信、板垣退助、井上馨、勝海舟、黒田清隆、陸奥宗光、、江藤新平、伊地知正治、山県有朋、西郷従道、土方久本、渋沢栄一などと共に乗車している。

1872年、琉球王府の最高官である摂政に就任し、1875年まで務めた。琉球藩は1879年に廃止され、代わりに沖縄県が設置され、琉球王国はその歴史を閉じた。

伊江は1876年(明治9年)6月18日に隠居し、家督は長男朝永が継承した[1]1890年(明治23年)5月26日、朝永が男爵に叙せられる[2][注 1]

脚注編集

注釈編集

  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説、新城俊昭『琉球・沖縄史』東洋企画では、朝直が男爵に叙爵とあるが誤り。

出典編集

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、85-86頁。
  2. ^ 『官報』第2070号、明治23年5月27日。

参考文献編集

関連項目編集