伊藤痴遊

伊藤 痴遊(いとう ちゆう)は、講釈師名跡

目次

初代編集

 
初代伊藤痴遊

本名:井上 仁太郎(いのうえ にんたろう ※一部文献ではにたろう)、1867年4月24日慶応3年3月20日) - 1938年(昭和13年)9月25日明治大正昭和初期に活躍した日本の講釈師、政治家ジャーナリスト政治講談を語った。号は双木舎痴遊。

神奈川県横浜出身。横浜小学校卒業。家の近所に渋沢栄一の従兄弟が住んでおり、剣道の指南をしていたことからその門弟となる。渋沢の従兄弟はその後板垣退助自由党の創立に参加し、この際に門弟を党員として加えたことから伊藤も自由党員となった。そして、政府が演説禁止に対抗し、講談で主義を広めようと板垣が提案したことから、伊藤は講釈師として活動を始めることになる。1890年に横浜で正式に遊芸稼人(芸人)の鑑札を受け「双木舎痴遊」の名で講釈師のかたわらで政治活動を続け、明治末から東京府会議員、東京市会議員、1928年から第16回衆議院議員総選挙1932年には第18回衆議院議員総選挙に当選した。

1938年死去。墓所は多磨霊園


著書編集

落語講談の書籍や芸談速記本、関連本を残している。

主な著書

他多数

2代目編集

 
二代目痴遊(田辺南遊であった1955年)

本名:妹尾 謙治(いいお けんじ)、1910年明治43年)3月31日 - 1983年昭和58年)11月2日。筆名は落合無三四。

東京の生まれ、明治中学校卒業、電気商、NHKの職員、靴修繕業などの職を転々とし。1962年に12代目田辺南鶴(元三遊亭一朝)の門で伊藤痴声で初舞台、田辺南遊を経て初代が創立した「話術倶楽部」に入った。この頃に初代の女婿になった。1958年2月に2代目襲名。初代譲りの政治講談・新講談を受け継いだ。

参考文献編集

  1. ^ 『隠れたる事実 明治裏面史』、伊藤痴遊、1924年。NDLJP:1899780/3
  2. ^ 『隠れたる事実 明治裏面史.続編』、伊藤痴遊、1928年。NDLJP:1899876/3
  • 横田順彌『明治おもしろ博覧会』、西日本新聞社、1998年、146-149頁