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初代伊藤 萬助(いとう まんすけ、嘉永5年[1]1852年または1853年) - )は、日本商人実業家。大阪有数の洋反物商(羽州屋[2])。大阪府多額納税者[3]

大阪曳船株式会社取締役[2]摂津紡績株式会社取締役[2]。大阪毛布製造株式会社社長[2]三十四銀行監査役[1]大阪府平民[3]

家族・親族編集

伊藤家編集

大阪府大阪市東区本町[2]安土町[3]
  • 父・忠右衛門[3]
  • 妻・しな(大阪、平民中村平兵衛二女[3]
万延元年11月生[3] - 没
萬助[4]
明治12年(1879年3月[4] - 没
萬治郎(分家[4]
明治16年(1883年)3月生[4] - 没
同妻・カナ大阪貯蓄銀行頭取山口竹治郎[5]
良三(分家[4]
明治26年(1893年)11月生[4] - 没
豊四郎(分家[4]
明治31年(1898年)1月生[4] - 没
萬龜分家して大谷藤治郎を迎える[4]
明治22年(1889年)11月生[4] - 没
ます(大阪府多額納税者高田久右衛門に嫁す[6][4]
明治19年(1886年)3月生[4] - 没

関連編集

史料編集

  • 『時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家』時事新報 1916・3・29-1916・10・6(大正5)によれば[1]
財産見積額・四百万円○伊藤万助(洋反物商)東区安土町四 財産種別・有価証券土地[1]
略歴 - 嘉永五年大阪に生る、先代伊藤忠右衛門氏の三男にして明治七年分家して一家を創設し今日の家運を開けり現に摂津紡績取締役三十四銀行監査役にして大阪府多額納税者たる外大阪第一流の洋反物商なり[1]

脚注編集

  1. ^ a b c d e 『時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家』
  2. ^ a b c d e 『明治人名辞典Ⅱ 上巻』(底本・『日本現今人名辞典(明治三三年)』)いノ二十七
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録. 5版』(大正7年)い四六
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上イ九八
  5. ^ 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下ヤ一〇八
  6. ^ 『人事興信録』(昭和3年)タ一〇九