伊藤 道海(いとう どうかい、1874年5月18日 - 1940年7月16日)は、日本の曹洞宗僧侶最乗寺住職、曹洞宗管長總持寺独住9世貫首。別名、無辺光照禅師。号は天祐。

来歴 編集

新潟県生まれ。幼少から肺肋膜を病む。1882年(明治15年)新潟広大寺横木卍元(まんげん)に師事して得度。闘病と仏道修行に励む。1893年能登の総持寺僧堂に掛錫し、杉本道山に師事。1895年卍元に嗣法。一雲水として修行中の1898年、寺が全焼。猛火の中を宝物や重要文書を運び出し、優れた功績をあげた[1]1900年26歳のとき、選ばれて曹洞宗大学林(現駒澤大学)に入学。1904年同大学林卒業。同年7月、山形県宝鏡寺住職となる。

1911年11月、大本山が石川県能登から横浜市鶴見に移転した際、初代副寺(「ふうす」禅寺で会計をつかさどる役僧)に任じられ、10年間在職。1921年(大正10年)副監院となり同年山梨県大泉寺に転住。1925年6月本山監院となった。寺務を執り、横浜少年保護会館、鶴見社会館、鶴見光華女学校を設立。1928年(昭和3年)3月最乗寺住職、同年9月本山顧問[2]

1935年3月、曹洞宗管長に就任。4月に新宗憲執行最初の管長職、5月に大本山總持寺貫首に就いた。著書に「峨山禅師行実」「常済大師御伝記」「禅の人間学」などの編著がある。

1940年7月16日遷化、67歳[3][4]

人物 編集

政治家肌の怪僧で、人心収攬術に長けた敏腕家であると同時に、鶴見花街ではモテモテだったという。

出典 編集

  1. ^ ニイガタカラ.Net. “伊藤道海”. 2020年3月3日閲覧。
  2. ^ kotobank. “伊藤道海(20世紀日本人名事典)”. 2020年3月3日閲覧。
  3. ^ kotobank. “伊藤道海(日本人名大辞典)”. 2020年3月3日閲覧。
  4. ^ 駒澤大学. “コラム・澤木興道( 6)”. 2020年3月3日閲覧。

 

外部リンク 編集

先代
曹洞宗管長
1935年-
次代
先代
栗山泰音
總持寺貫首
独住9世:1935年-
次代
鈴木天山