伊蘇志東人

奈良時代の貴族・儒学者。富持古-楢原久等耳-伊加支-長吉古-押根-田狭-夜布多-道足-楢原鷲取(外従八位下)-伊蘇志東人。正五位下・大学頭

伊蘇志 東人(いそし の あづまひと)は、奈良時代貴族儒学者氏姓は楢原のち伊蘇志(勤)官位正五位下大学頭

 
伊蘇志 東人
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下大学頭
主君 聖武天皇孝謙天皇
氏族 楢原→伊蘇志(勤)
父母 父:不明
不明
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経歴 編集

聖武朝後半の天平17年(745年従五位下に叙せられ、翌天平18年(746年)内位の従五位下となる。天平19年(747年駿河守に任ぜられるが、任期中の天平勝宝2年(750年)同国の庵原郡多胡浦浜(現在の静岡市清水区)でを採取して、練金1分と沙金1分を朝廷に献上したことから、3月に東人が5月に親族34人が楢原造から勤(伊蘇志)臣に改姓され、12月には東人が従五位上に昇叙されている[1]

のち、大学頭兼博士を務め、孝謙朝末の天平勝宝9歳(757年)正五位下に至る。

人物 編集

九経に幅広く精通し、名儒と呼ばれた。

官歴 編集

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注 編集

  1. ^ 『続日本紀』天平勝宝2年3月10日,5月19日,12月9日条
  2. ^ 『大日本古文書(編年文書)』24巻76頁

参考文献 編集