伊達 義隆(だて よしたか)は、江戸時代後期から末期(幕末)にかけての武士陸奥国仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家10代当主。

 
伊達義隆
時代 江戸時代後期 - 末期(幕末
生誕 文化9年(1812年
死没 文久2年8月20日1862年9月13日
別名 右近
主君 伊達斉義斉邦慶邦
陸奥仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達宗賀、養父:伊達宗嵩
兄弟 宗恒義隆
養子:邦規(伊達宗恒三男)
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生涯 編集

文化9年(1812年)、亘理伊達氏11代当主・伊達宗賀の子として生まれる。

文政6年(1823年)7月、岩谷堂伊達家9代当主・伊達宗嵩が死去したため、その養子となり家督を継ぐ。仙台藩11代藩主・伊達斉義から偏諱を受け右近義隆と名乗った[1]

天保12年(1841年)、家臣の片岡泰一郎に郷校・比賢館を設立させる。

文久2年(1862年)8月20日、死去。享年51。継嗣がなく、実兄で亘理伊達家12代当主である伊達宗恒の三男・邦規が家督を相続した。

脚注 編集

  1. ^ 「隆は」岩城氏通字

参考文献 編集

  • 『仙台人名大辞書』
先代
伊達宗嵩
岩谷堂伊達家
第10代:1823年 - 1862年
次代
伊達(岩城)邦規