伊野波親方盛平(いのはうぇーかたせいへい、1648年3月26日1700年12月13日)は、琉球王国官僚[1]唐名は毛克盛を名乗った。

伊野波盛紀の長男。毛氏伊野波殿内と呼ばれた貴族の二代目当主でもあった。 [1] 盛平は頭脳明晰であったと伝えられており、沖縄の芝居や民話に登場し、「盛毛(せいもう)」「モーイ親方」「モーヰ親方」などと呼ばれていた。 [2] [3]

1694年から1699年まで三司官を務めた[4] [5]

参考文献 編集