伍代夏子

日本の女性歌手

伍代 夏子(ごだい なつこ、1961年12月18日 - )は、日本演歌歌手。本名:山田輝美。旧姓:中川輝美[1]東京都渋谷区代々木出身[2]。夫は杉良太郎

伍代 夏子
SOS56.jpg
2021年12月撮影
基本情報
出生名 中川輝美
別名 星ひろみ→加川有希→中川輝美→伍代夏子
生誕 (1961-12-18) 1961年12月18日(61歳)
出身地 日本の旗 日本東京都渋谷区
学歴 鷗友学園女子高等学校
ジャンル 演歌
職業 歌手
活動期間 1982年 -
レーベル ソニー・ミュージックダイレクト
公式サイト 伍代夏子 公式サイト

来歴編集

代々木八幡にあった井ノ頭通り水道道路商店街の魚屋[3]「市六水産」の次女。渋谷区立富谷小学校[1]渋谷区立上原中学校卒業[4]鷗友学園女子高等学校[5]在学中、渋谷でモデル事務所にスカウトされたことが縁で、後日歌手になるきっかけを掴む[2](詳しくは後述)。

1982年7月7日に芸名「星ひろみ」でデビューするが売れず、1985年4月21日に「加川有希」と改名して再デビューし、さらに、1986年7月21日に本名「中川輝美」にして改名を重ねた。

1987年9月21日伍代夏子と4回目となる芸名を変えてのデビュー曲「戻り川」がヒット。同曲で翌1988年の第21回日本有線大賞の最優秀新人賞と第21回全日本有線放送大賞の最優秀新人賞を受賞。両賞の同時受賞は、演歌の分野では初の快挙となった[6]

1990年忍ぶ雨」がヒットし、NHK紅白歌合戦に初出場したのを皮切りに、通算22回の出場を果たしている(2016年現在)[6]

1994年の初め、32歳のときの健康診断でC型肝炎のキャリアであることが判明した[7]が、発症はしていなかったこともあり公表は控えた[2]。同年2月、新宿コマ劇場で初座長公演「歌手生活10周年記念・伍代夏子特別公演」を上演。以後「伍代夏子特別公演」を始めとする様々な公演を開催[6]

1999年、2時間ドラマ「霧の橋の決闘!みちのく紅花女と必殺男」(ABC系列)で自身初の時代劇ドラマ出演となった[6]。同年、17歳年上の杉良太郎と交際1ヶ月で結婚し、有名人同士で年齢差のある電撃結婚は大きな話題となった[2]。以後杉とはおしどり夫婦として知られ、以前から夫のライフワークである福祉活動にも夫婦で取り組んでいる[6]

2005年、NHK「それいけ!民謡うた祭り」にレギュラー出演し、初めて司会を担当[6]。同年10月27日に開かれた秋の園遊会に出席し、以後数回出席している[6]

2010年、「鳴門海峡“うず潮”観光大使」に就任した[6]。同年8月、C型肝炎を患っていることを公表。感染ルートは不明(輸血経験は無く、小学校あたりの予防注射[注釈 1]ぐらいしか思い当たる節がない[8])。2009年からインターフェロン投与による治療を行っており、同じC型肝炎患者への支援のために公表した[9][10]。完治後、2012年から厚生労働省の肝炎対策特別大使を務めている[2]

2015年4月、歌手活動30周年記念として自叙伝「人生めぐり愛~いまがいちばん幸せ~」を出版[6]。同年7月、「30周年記念コンサート~心より感謝を込めて~」を開催[6]2016年、芸能活動30周年記念特別企画「伍代夏子の世界」展 ~花つむぎ~を開催[6]。また、それまで諸外国との文化交流にも熱心だったことから、2015年にその功績を称えられて外務大臣表彰を授与された[6]

2021年3月2日、2019年頃から喉の違和感と歌や会話も困難な状況があり、喉のジストニア(けいれん性発声障害)と診断されたことを公表した[11]

2022年3月、日本和装ホールディングスメインステージ社外取締役就任[12][13]

人物編集

子供時代編集

両親と4つ上の姉の4人家族として育つ[2]。両親は、井ノ頭通りの道路拡張による区画整理まで水道道路商店街で鮮魚店を営んでいた[14]。店の近所にあった実家は30坪の一軒家で、幼い頃は2階を親戚に間貸ししていたため、伍代の家族は1階で暮らしていた。日当たりも悪く洗濯物が乾きにくく、冬場は風呂の脱衣所がかなり寒かったという[2]

物心ついた頃から歌が大好きで、小学生になると歌詞と譜面が載った「歌本」を見ながら歌い、特に演歌が好きだった[2]。また、上記の家だったことから「両親に素敵な家を建ててあげたい」という目標を持ち、当時から将来の夢は演歌歌手一択と決めていた[2]

高校進学後、モデル事務所からスカウトされたが、本人曰く「された」というより「スカウトされに行った」とのこと。とにかく歌手デビュー出来るきっかけを掴むために、街頭で名刺を配っていたスカウトマンの前を30回ほど行ったり来たりしたという[2]。最初に所属した事務所に「演歌歌手になりたい」と打ち明けたところ、ボイストレーニングさせてもらえることになった。さらにその様子を、八代亜紀らを担当しているセンチュリーレコードのディレクターが見に来ていたことで、同社でレッスンを受けることになった[2]

下積み時代編集

1982年、星ひろみとしてデビューしたものの当時の仕事はほぼスナック回りの営業で、日常的に酔った客のセクハラなどに悩まされた[注釈 2]。このせいで次第に人前で歌うことが苦痛になり、ストレスで一時は円形脱毛症にもなった[2]。しかしデビューから4ヶ月後に突然事務所が倒産し、ようやくこの生活から抜け出す[2]

ディレクターの計らいでレコード会社でOLとして働かせてもらい、以後しばらくは経理の手伝いや出前の注文まで様々な仕事を担当[2]。この時、裏方の仕事を経験したことで、一人の歌い手が多くの人にさ支えられていることを実感。同時に、当時の一流歌手の人たちがどれだけ努力を重ねているのかも知ることができたという[注釈 3]

2年後、元プロ野球選手・平松政次のデュエット相手を探しているとの話が舞い込む[2]。1985年に「加川有希」の名で歌手復帰し、平松とのデュエット「夜明けまでヨコハマ」で2度目のデビュー。ただし、平松はプロ野球の解説の仕事が忙しく、実際には伍代が一人でキャンペーンに行き、平松の声入りのテープに合わせて歌うことが多かった[2]

翌1986年、本名の中川輝美名義で新曲をリリースし、この頃から衣装が着物なり本格的な演歌を歌えるようになった[2]。星ひろみ時代から鳴かず飛ばずだったが、先述の夢を叶えるまでは「絶対に歌手として売れるしかない」という強い想いで頑張り続けた[2]

人気歌手へ、独身時代編集

レコード会社を移籍し、1987年25歳の時に「伍代夏子」としてデビュー。キャンペーンに明け暮れ、レコード会社の店頭や温泉施設の休憩所などで歌唱し、各場所でレコードを手売りした[2]。一日で7、8ヶ所回ることもあり、帰宅はいつも深夜だった。この地道な努力もあり、デビュー曲「戻り川」は35万枚を超える大ヒットを記録した[2]。1990年に「忍ぶ雨」のヒットにより初めて紅白出場の知らせを受けると毎日自然と嬉し涙が出てしまった。しかし、それを見た仲良しの坂本冬美に発破をかけられたことで、本番は泣かずに歌い切ることができた[注釈 4]

人気歌手の仲間入りした後も居心地の良さから実家暮らしを続けたが、ある時このままだと恋愛すらできないことに気づく[注釈 5]。これにより賃貸マンションで一人暮らしを始めたが、実家のすぐそばだったため、毎晩実家で夕食を食べてお風呂に入ってからマンションに帰宅する生活となった[2]。33歳の時、長年の夢だった「両親に家をプレゼントする」という夢を叶えた[注釈 6]

結婚の経緯、病気編集

振り付けの師匠の勧めで杉良太郎の舞台を見に行った際、楽屋見舞いとしてエルメスの品を渡した。すると杉から“俺に気があるのかも”と勘違いされたことから[注釈 7]、以後毎日のように彼から電話がかかった[2]。ただし当時杉を恋愛対象とは思っておらず、芸能界の大先輩として彼と芝居談義や人生観の話に花を咲かせた。しかし、いつの間にか杉からの電話を待っている自分(異性として意識している)に気づき、交際に発展[2]。その少し前に実家近くに住居として鉄筋のビル(両親が暮らす鉄筋の家とは別)を建て、交際後から杉と暮らし始めた[2]。結婚後はお互いに仕事で全国を飛び回っているため、休日に時々青森県にある杉の別荘で過ごす夫婦の時間は、かけがえのない一時であるとしている[2]

遡って32歳でC型肝炎の感染が判明した時は、自覚症状が全くなかったため寝耳に水の出来事だった[2]。ただし発症はしておらず、当時の治療薬は副作用が強かったため、経過観察となった[2]。48歳の時、改良型の薬が開発されて仕事を続けながら治療ができると聞き、治療を決断[2]。事前に副作用は少ないと聞いていたが、実際には脱毛や貧血、微熱などの症状にしんどい思いをした。何とか治療を続け、50歳頃に病を克服した[2]

社会貢献活動、国際交流など編集

杉が長年福祉活動に熱心に取り組んできたことから、本人も様々な社会貢献活動などを行っている。2005年に新潟中越地震の被災地・川口町を慰問。2011年に起きた東日本大震災の被災地支援として炊き出し・救援物資輸送や慰問を行い、2014年には「東北復興支援チャリティーコンサート」も開催[6]。2017年、前年の熊本地震を受けて「杉良太郎と仲間たち 熊本慰問コンサート」に出演するなどしている[6]。また、以前から杉がベトナムで様々な支援活動をしてきたことから、夫婦にはベトナムの養護施設で暮らす152人の養子(里子)がおり、経済的支援を行っている[2]

国際交流では、2002年の日韓合同チャリティーコンサート「日韓夢の大響宴~遅すぎた祭典~」や、2008年の「日越外交関係樹立35周年記念ハノイ・ホーチミン音楽祭」などに出演[6]。2011年、総理大臣官邸にて「日越友好音楽祭 感謝状授与式」に出席し、感謝状を授与された[6]。同じく2013年には、日・ベトナム間の文化交流促進へ貢献し、その功績が称えられて外務大臣より感謝状を授与された[6]

他にも2008年、警視庁「平成20年春の交通功労者等表彰式」にて特別功労賞を受賞[6]。2015年には、警視総監感謝状を授与された[6]。2018年に、夫・杉など著名人と共にオレオレ詐欺予防プロジェクトチーム「ストップ・オレオレ詐欺~家族の絆作戦~」(略称:SOS47)を結成[6]。同年、警視庁より「特別防犯支援官」を任命された[6]

その他編集

趣味は、カメラでの写真撮影、料理、ネイチャークラフト[6]

2014年7月、他のサイトにある多数の他人の著作物である写真を、自身のブログにあたかも自分で撮影したかのように転用していた画像無断転載が発覚したが、「ウェブ上にある画像は自由に使っていいものだと思っておりました。実際、思い通りの写真が撮れなかった時などは、書いた記事のイメージに合った写真をわざわざ探して載せていたのですが・・・」と、それまで、著作権法を知らなかったと語り、無知であったことを反省して謝罪し、ブログを閉鎖した[15][16]

芸名「伍代」の由来は、憧れであった五木ひろし八代亜紀からで、字画の良さを考えて五に亻(人偏)を付けた[17]。八代との初対面は、デビュー前の高校生の時に先述のセンチュリーレコードを通じて実現した[注釈 8]

所属のソニー演歌部門は「美人演歌」を売りにしており、最も芸歴の長い伍代はその長姉的存在である(ほか藤あや子石原詢子が所属)。坂本冬美、藤あや子とは公私共に仲が良い。

男性的で江戸っ子らしく竹を割ったような性格で、情に厚く親孝行であり、相手に細やかな神経が使える人と、夫杉良太郎が伍代を評しており[18]、指輪や腕時計などの貴金属には、全く興味が無いとも語った(2011年8月10日『徹子の部屋』杉良太郎談)。

漫画家小林よしのりの作品『ゴーマニズム宣言』に何度か登場した。

V6三宅健とは『第65回NHK紅白歌合戦』での共演がきっかけで交流が生まれた[19]

ガンプラ商品企画の「川口名人」こと川口克己は中学の同級生[20]

ディスコグラフィ編集

シングル編集

 
「鳴門海峡」の歌碑
道の駅うずしおで撮影
# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
星ひろみ 名義
センチュリーレコード
1 1982年
7月7日
A面 恋の家なき子 藤本卓也 7AC-0003
B面 このままずっと 伊井田朗 藤本卓也
加川有希 名義
1 1985年
8月5日
A面 ロマンティックしましょう おおばまさと 中曽根緑声 小谷充 7AC-0039
B面 鏡よ ほしのくにお
中川輝美 名義
1 1986年
7月21日
A面 夢きずな 荒木とよひさ 岡千秋 斉藤恒夫 7AC-0050
B面 女の故郷
伍代夏子 名義
CBS・ソニー → Sony Records → ソニー・ミュージックレコーズ
1 1987年
9月21日
A面 戻り川 吉岡治 市川昭介 斉藤恒夫 07SH-1976
B面 函館夢ごよみ
2 1989年
6月21日
A面 水なし川 07SH-3298
B面 雨のめぐり逢い 高田弘
3 1990年
5月21日
01 忍ぶ雨 たきのえいじ 前田俊明 CSDL-3091
02 浮雲
4 1991年
4月25日
01 恋挽歌 池多孝春 SRDL-3263
02 夢しぐれ 前田俊明
5 1992年
4月22日
01 雪中花 吉岡治 馬場良 SRDL-3459
02 雨情話 たかたかし 前田俊明
6 1993年
4月21日
01 恋ざんげ 吉岡治 猪俣公章 SRDL-3637
02 はまなす恋唄
7 1994年
1月21日
01 ひとり酒 たかたかし 水森英夫 SRDL-3788
02 月の宿 竹田賢 池多孝春
8 1994年
5月21日
01 ふれあい 杉江茂貞 弦哲也 丸山雅仁 SRDL-3851
9 1995年
4月1日
01 女のひとりごと 吉岡治 水森英夫 前田俊明 SRDL-3975
02 恋文
10 1995年
10月21日
01 北の舟唄 たきのえいじ 弦哲也 SRDL-4111
02 ごめん
11 1996年
4月21日
01 鳴門海峡 吉岡治 水森英夫 馬場良 SRDL-4182
02 おもかげ河 たきのえいじ 前田俊明
12 1997年
5月21日
01 憂愁平野 吉岡治 弦哲也 馬場良 SRDL-4364
02 夢追い海峡 山田孝雄 宮田城司 前田俊明
13 1998年
3月11日
01 港恋唄 吉岡治 弦哲也 池多孝春 SRDL-4501
02 冬牡丹 丸山雅仁
14 1999年
2月24日
01 風待ち湊 たかたかし 聖川湧 石倉重信 SRDL-4612
02 水無月の雨 里村龍一 弦哲也 前田俊明
15 2000年
1月26日
01 はまなす酒場 吉岡治 石倉重信 SRDL-4676
02 春の岬 南郷達也
16 2000年
9月20日
01 満月 たきのえいじ 杉本眞人 川村栄二 SRDL-4696
02 かんにん
17 2001年
4月25日
01 九十九坂 八木架寿人 佐伯亮 SRDL-4702
02 寒つばめ
18 2002年
5月15日
01 都忘れ 阿木燿子 平尾昌晃 若草恵 SRDL-4712
02 横顔慕情
19 2002年
9月19日
01 お江戸チョイチョイ節 上田紅葉 四方章人 前田俊明 SRDL-4718
02 捨てちゃ駄目です 人生は
20 2003年
3月19日
01 夜桜迷い子 吉岡治 弦哲也 竜崎孝路 SRDL-4719
02 愁止符
21 2003年
10月1日
01 秘め歌 南郷達也 SRCL-6092
02 十六夜セレナーデ 宮崎慎二
22 2004年
5月19日
01 ふたり坂 仁井谷俊也 水森英夫 前田俊明 SRCL-6106
02 越後草紙 たきのえいじ 八木架寿人 佐伯亮
23 2005年
2月23日
01 浮世坂 仁井谷俊也 水森英夫 前田俊明 SRCL-5884
02 こころ川 南郷達也
24 2006年
1月1日
01 金木犀 麻こよみ 前田俊明 SRCL-6117
02 寒咲あやめ 吉岡治 弦哲也 宮崎慎二
25 2007年
3月28日
01 たきのえいじ 水森英夫 前田俊明 SRCL-6525
02 えにし坂
26 2008年
2月20日
01 京都二年坂 坂口照幸 大地良 SRCL-6741
02 恋しぐれ 大地良
27 2009年
2月4日
01 夜明け坂 下地亜記子 弦哲也 南郷達也 SRCL-6959
02 風の道 江戸霧子
28 2010年
2月10日
01 紅一輪 麻こよみ 水森英夫 SRCL-7213
02 わかれ宿 竹田賢
29 2011年
2月2日
01 霧笛橋 喜多條忠 前田俊明 SRCL-7534
02 おんな夜景
ソニー・ミュージックダイレクト
30 2012年
2月15日
01 海峡の宿 喜多條忠 若草恵 MHCL-2014
02 横濱エラヴィータ 友利歩未 都志見隆 宮崎慎二
31 2013年
2月6日
01 ほろよい酒場 森坂とも 水森英夫 前田俊明 MHCL-2220
02 恋夜雨 喜多條忠 若草恵
江戸霧子
若草恵
32 2014年
1月1日
01 女のまこと 田久保真見 岡千秋 伊戸のりお MHCL-2414
02 愛の橋 喜多條忠 水森英夫 前田俊明
33 2014年
9月24日
01 矢車草〜やぐるまそう〜 仁井谷俊也 徳久広司 MHCL-2473
02 江ノ電-白い日傘- 荒木とよひさ 都志見隆
34 2016年
1月6日
01 花つむぎ 仁井谷俊也 徳久広司 MHCL-2569
02 淡雪牡丹
35 2017年
1月25日
01 肱川あらし 喜多條忠 船村徹 蔦将包 MHCL-2673
02 夢待ち港
36 2018年
2月7日
01 宵待ち灯り 麻こよみ 四方章人 前田俊明 MHCL-2736
02 袖しぐれ
37 2019年
2月6日
01 松井五郎 杉本眞人 猪股義周 MHCL-2797
02 いつか雨上がる
38 2020年
1月1日
01 雪中相合傘 池田充男 弦哲也 南郷達也 MHCL-2838
02 拝啓 男どの
39 2021年
7月21日
01 歌謡劇 雪中相合傘-科白編- 飯田俊明 MHCL-2910
02 雪中相合傘 南郷達也
40 2022年
7月20日
01 人生にありがとう 荒木とよひさ 羽場仁志 林有三 MHCL-2964
02 長崎ランデヴー 弦哲也 若草恵
03 瀬田の夕暮れ 友利歩未 羽場仁志 宮崎慎二

デュエット・シングル編集

発売日 デュエット 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
加川有希 名義
センチュリーレコード
1985年
4月21日
平松政次 A面 夜明けまでヨコハマ ジェームス三木 野崎真一 小谷充 7AC-0035
B面 ヨコハマ首ったけ
伍代夏子 名義
CBS・ソニー → Sony Records → ソニー・ミュージックレコーズ
1987年
11月21日
古舘伊知郎 A面 男と女のはしご酒 魚住勉 馬飼野康二 馬飼野俊一 07SH-2027
B面 ふたりの愛 矢真木良 馬飼野俊一
2002年
10月9日
ソル・ウンド 01 angel-天使を見つけた- 阿久悠 弦哲也 竜崎孝路 SRDL-4717
02 ふたりだけの世界 いではく イム・ジョンス
ソニー・ミュージックダイレクト
2020年
7月1日
藤あや子 01 いつもそばにいるよ 伍代夏子 藤あや子 小倉良 MHCL-2847
02 オンナノハナミチ 伍代夏子
藤あや子

出演編集

NHK紅白歌合戦出場歴編集

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1990年(平成2年)/第41回 忍ぶ雨 23/29 G-クレフ
1991年(平成3年)/第42回 2 恋挽歌 07/28 冠二郎
1992年(平成4年)/第43回 3 雪中花 17/28 吉幾三
1993年(平成5年)/第44回 4 恋ざんげ 17/26 TUBE
1994年(平成6年)/第45回 5 ひとり酒 05/25 堀内孝雄
1995年(平成7年)/第46回 6 北の舟唄 06/25 郷ひろみ
1996年(平成8年)/第47回 7 鳴門海峡 24/25 五木ひろし トリ前
1997年(平成9年)/第48回 8 憂愁平野 08/25 藤井フミヤ
1998年(平成10年)/第49回 9 港恋唄 10/25 橋幸夫 前半トリ
1999年(平成11年)/第50回 10 風待ち湊 10/27 TOKIO
2000年(平成12年)/第51回 11 満月 06/28 大泉逸郎
2001年(平成13年)/第52回 12 九十九坂 12/27 布施明
2006年(平成18年)/第57回 13 金木犀 07/27 スガシカオ 5年ぶりの出場
2007年(平成19年)/第58回 14 11/27 スキマスイッチ
2008年(平成20年)/第59回 15 京都二年坂 03/26 北山たけし
2009年(平成21年)/第60回 16 忍ぶ雨(2回目) 04/25 北山たけし(2)
2010年(平成22年)/第61回 17 ひとり酒(2回目) 06/22 細川たかし
2011年(平成23年)/第62回 18 金木犀(2回目) 08/25 猪苗代湖ズ
2012年(平成24年)/第63回 19 恋ざんげ(2回目) 10/25 舘ひろし
2013年(平成25年)/第64回 20 金木犀(3回目) 05/26 三代目 J Soul Brothers 夫の杉良太郎が審査席にて審査
2014年(平成26年)/第65回 21 ひとり酒(3回目) 06/23 クリス・ハート
2015年(平成27年)/第66回 22 東京五輪音頭 02/26 Sexy Zone

テレビ番組編集

ラジオ編集

インターネット動画編集

CM編集

受賞編集

1988年
1989年
  • 第22回全日本有線放送大賞:特別賞
1990年
1991年
  • 第10回メガロポリス歌謡祭:演歌メガロポリス賞、年間ロングセラー賞
  • 第18回横浜音楽祭:横浜音楽祭賞
  • 第17回日本演歌大賞:演歌スター賞
  • 第22回日本歌謡大賞:放送音楽賞
  • 第24回全日本有線放送大賞:優秀スター賞
  • 第24回日本有線大賞:有線音楽優秀賞
1992年
  • 第13回松尾芸能賞:優秀賞
  • 第23回日本歌謡大賞:放送音楽賞
  • 第25回全日本有線放送大賞:優秀スター賞
1994年
  • 第27回全日本有線放送大賞:優秀スター賞
1995年
2016年

著書編集

  • 2015年4月、『人生めぐり愛』

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 当時注射器は使い捨てではなく、消毒した後の使い回しだった。
  2. ^ 時には他の女性のストリップショーの後に伍代の歌唱ステージになり誰も真剣に聞いてもらえない中、男性客の舐め回すような視線を感じながら歌うというものもあったという[2]
  3. ^ 本人は、「今から思えばこのOL生活は、自分が歌手としてやっていく覚悟があるのかを見極める期間だったように思います」と述懐している[2]
  4. ^ 坂本から「今からそんなことでどうするの?本番では絶対に泣かずにしっかり歌うのよ!」と発破をかけられた。本番のステージは緊張のせいで記憶はないが、歌い終わって舞台袖に戻った瞬間我に返り、同じく出演者の坂本から「バッチリだったよ」と言われ、涙が溢れたとのこと[2]
  5. ^ 本人によると、「仕事で疲れていても家に帰れば温かいご飯があり、お風呂も沸いてるということにラクだと思っていました。たまに男性から食事に誘われても『両親が待ってるから』といつも断っていました。でも30歳を過ぎた頃、仕事で共演した月亭八光さんにこの話をした所、『そんなじゃ彼氏もできないよ』と言われてハッとしたんです」と回想している[2]
  6. ^ 区画整理も相まって実家を壊して鉄筋コンクリート製の3階建ての家を建てた(本人によると、区画整理の際、その辺りは防災区域に指定され、木造建築物の新築が禁止になったため鉄筋のビルを建てたとのこと。)が、数年後両親は足腰が悪くなったためマンションに引っ越したという[2]
  7. ^ 振り付けの師匠の勧めで杉良太郎の舞台を見に行った際、彼の大ファンである伍代のマネージャーから彼がエルメスが好みと聞く。楽屋見舞いにエルメスのネクタイを渡し、次の公演ではエルメスのペアカップを、1個だとカッコつかないため2個渡した。すると杉は、“伍代から一緒にコーヒーを飲みませんか?との意思表示”と受け取ったとのこと。
  8. ^ 本人によると、「緊張でガチガチの私に、八代さんは『一緒に頑張りましょうね』と声をかけてくださった。感激で胸がいっぱいになりました」と回想している[2]

出典編集

  1. ^ a b 卒業生 紹介 #1 | 富谷小学校同窓会” (日本語). 富谷小学校同窓会. 2022年11月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 週刊文春 2022年12月22日号「新・家の履歴書 伍代夏子」(p.98-101)
  3. ^ おさかなぶっく019 魚との出会い付き合い”. www.nakajimasuisan.co.jp. 2022年11月6日閲覧。
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  10. ^ 伍代夏子C型肝炎…杉「一緒に闘う」 Archived 2010年12月8日, at the Wayback Machine. - デイリースポーツ・2010年8月11日
  11. ^ “伍代夏子、喉のジストニアを公表 2年前から違和感「歌だけでなく、普段の会話も困難」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2021年3月2日). https://www.oricon.co.jp/news/2186062/full/ 2021年3月2日閲覧。 
  12. ^ 伍代夏子、日本和装子会社「メインステージ」社外取締役就任へ「微力ながら頑張りたい」:スポーツ報知
  13. ^ 伍代夏子さん、日本和装子会社の社外役員へ!
  14. ^ 木村隆『この母ありて』 青蛙房 2010年 121頁
  15. ^ 伍代夏子、画像の無断転載を謝罪 - 音楽ニュース” (日本語). nikkansports.com. 2022年11月13日閲覧。
  16. ^ 伍代夏子 当面ブログ閉鎖へ…画像の無断転載を謝罪「深く反省」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能” (日本語). スポニチ Sponichi Annex. 2022年11月13日閲覧。
  17. ^ 伍代夏子、芸名の由来明かす「五木さんの五ににんべん付けて八代さんの代と」”. スポーツ報知 (2021年6月25日). 2021年6月28日閲覧。
  18. ^ 中日新聞東京新聞『この道』第31回(2010年8月10日付夕刊)
  19. ^ 詳細は「第65回NHK紅白歌合戦」「三宅健」参照。
  20. ^ 伍代夏子の同級生は有名マンガにも登場した“超有名人”?” (日本語). ZAKZAK. 2022年11月6日閲覧。
  21. ^ “吉幾三と伍代夏子、歌謡界リード「特別選奨」受賞”. 日刊スポーツ. (2016年10月4日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1719629.html 2016年10月4日閲覧。 

外部リンク編集