伴野 光信(ともの みつのぶ)は、戦国時代武将甲斐武田氏家臣貞慶を諱とする説もある[2]

 
伴野光信
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永正12年(1515年)[1]
別名 官途:刑部大輔[2]
主君 甲斐武田氏
氏族 伴野氏
父母 父:伴野光利[2]
貞祥[2]
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経歴・人物 編集

信濃前山城[2]伴野氏鎌倉時代小笠原氏の嫡家で、同じ小笠原氏族の守護代大井氏と紛争を繰り返した[2]永正6年(1509年)には室町幕府による争いの調停を受ける[2]大永7年(1527年)に大井氏との紛争に敗れ、武田信虎に頼る[2]

脚注 編集

  1. ^ 田中豊茂『信濃中世武家伝』信濃毎日新聞社、p.271( 2016)
  2. ^ a b c d e f g h 柴辻俊六編『武田信虎のすべて』、新人物往来社、p.201-202(2007)