佐々木 剛(ささき たけし、1947年5月7日[2][3] - )は、日本の俳優。本名、福井 憲雄ふくい のりお[4][3]、旧芸名、八代 悠やしろ ゆう[3]

ささき たけし
佐々木 剛
本名 福井 憲雄(ふくい のりお)
別名義 八代 悠(旧芸名)
生年月日 (1947-05-07) 1947年5月7日(71歳)
出生地 日本の旗 日本新潟県新発田市
身長 172 cm[1]
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1968年 -
活動内容 1968年:デビュー
1970年:『柔道一直線
1971年:『仮面ライダー
1973年:『素浪人 天下太平
2008年:『改造人間哀歌』
事務所 フリーランス
主な作品

テレビドラマ
柔道一直線
お荷物小荷物
仮面ライダー
黒帯風雲録 柔
素浪人 天下太平
風と雲と虹と
宇宙鉄人キョーダイン


映画
女王蜂』『餌食』


舞台
『雲の如く』『忠治』
『乱 天草・島原1637』
『改造人間哀歌』
『改造人間哀歌2〜星空の約束〜』

新潟県新発田市出身[4]新潟県立新発田高等学校卒業[4]

目次

来歴編集

1965年新潟県立新発田高等学校卒業後[4]日活のスターだった赤木圭一郎に憧れ[要出典]、俳優を目指して上京[3]東宝芸能学校に入るが[5][3]、『セールスマンの死』の滝沢修の演技に影響され、新劇に転向[2]劇団NLT俳優教室1期生[6]、劇団俳優小劇場付属養成所を経て[2]高垣葵の紹介により[2]新国劇の研究生となる。同期には石橋正次がいる。

1968年、養成所時代に八代 悠の芸名でテレビドラマ『開化探偵帳』(NHK)で俳優デビュー[2][3]

1969年、『柔道一直線』(東映TBS)出演を機に芸名を「佐々木 剛」に改める[2]。また、この年に結婚し子供を3人授かる。

1970年、7月から『お荷物小荷物』(朝日放送)に出演。この番組で、一躍人気俳優としての地位を決定的なものとする[3]

1971年NHK連続テレビ小説繭子ひとり』に出演。

同年7月より『仮面ライダー』(東映毎日放送)に出演。撮影中のバイク転倒事故により重傷を負った藤岡弘演じる本郷猛 / 仮面ライダー1号に代わって、新たな主人公の一文字隼人 / 仮面ライダー2号役を演じる[7][8][9]。こうして一文字 / 2号が活躍する通称「2号編」は、佐々木が劇中でとる「変身ポーズ」が「真似ない子供はいない」とまで言われるほどの爆発的なブームとなり、「変身ブーム」と呼ばれる社会現象を引き起こした[3]

1972年、24歳。当初の約束を守って3月をもって『仮面ライダー』を降板し、4月開始の『黒帯風雲録 柔』(日本テレビ)で主人公・矢野浩を演じた[10]。その後、『仮面ライダー』ではゲストとしてダブルライダー編に出演し、後番組『仮面ライダーV3』以降の仮面ライダーシリーズへも多く客演している[9]

1973年近衛十四郎主演『素浪人 天下太平』(NET)で「うづ巻の勘太」役を演じる。以後、時代劇刑事ドラマへのゲスト出演を多数こなし、善悪問わず様々な役柄で俳優として活躍。

1982年2月15日、34歳。早朝に当時の妻と泥酔して自宅アパートに帰宅し、ガスストーブをつけっぱなしで寝入ってしまい、その上にバスタオルが落ちて燃え広がって自宅アパートだけでなく隣家も全焼する大火災となる[11]。この火災で顔を含む全身の7割に及ぶ大火傷を負って何度も生死の境をさまよい、5度に及ぶ皮膚移植手術で一命は取り留めたが、顔には俳優として致命的な傷跡を負うこととなった。妻も軽い火傷を負ったものの[12]、3人の子供は妻の実家に行っていたため、被害を免れている。回復後は、声優への転向を考えて「新人と同じ扱いでどんな仕事でもこなしていきたい」と望んだが、「ベテラン俳優の起用は難しい」との理由で仕事は激減[13]。新国劇の師匠からも「役者は諦めろ」と宣告され、長らく俳優業を離れることとなる。治療・入院のための借金返済と生活の維持のため、警備員、チリ紙交換、焼き芋屋、竿竹屋と職を転々とする[14]

1984年、テレビスペシャル『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』(毎日放送)で仮面ライダー2号の声を演じるが、顔の火傷のために声のみの出演だった[9]1985年には『仮面ライダー大全集』(講談社刊)収録の座談会に参加し、モノクロ写真ながら久々にその姿を披露した[15]

その後、離婚やホームレス生活を経験し、酒を飲んで暴れたり、一日中パチンコ屋に入り浸るなど、稼いだ金をその日のうちに使い切るような荒んだ生活を送るようになる。

1991年、44歳。新国劇時代からの親友・石橋正次をはじめ俳優仲間の支援で、舞台『会津士魂外伝・山本覚馬』にて俳優業への復帰を果たす[16]。この際、長年のブランクのプレッシャーから、「舞台直前に逃げ出したこともあった」と後年告白しているが、これに対して石橋は「怖いと思うのが普通だ」と励まし、無事に務め上げたという。1995年ごろには日光江戸村に所属俳優の演技師範代として在籍し、常設舞台での芝居と並行して若手の指導にあたった。

近年は年齢を重ねた押し出しの強い風貌を武器に舞台を中心に俳優活動を展開し、好評を博している。

2011年、映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』で仮面ライダー2号の声を担当。映像作品で2号を演じるのは、『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』以来となった。

2012年、「自分を支えてくれたファンや芝居仲間のため」として、東京都板橋区大山東町に居酒屋「バッタもん」を開業。実質名義貸しのようなタレント不在の店ではなく、佐々木主宰で店に常駐して自ら酒肴を調理し、一人で店を切り盛りしている。

人物編集

最初の芸名「八代悠」は、師匠の高垣葵から命名されたものであり、その後のNHK番組への出演は彼の紹介によるものだった。「佐々木剛」の芸名は、『柔道一直線』への出演が決まった際に「名前だけは強そうにしよう」として「桜木健一のライバル」という設定にちなみ、東映の企画部長だった渡邊亮徳が宮本武蔵のライバルである佐々木小次郎から、「佐々木」の姓をつけてくれた。また、名前の「剛」の読みは「ごう」にしようとしたが、「同じ事務所に若林豪がいるので紛らわしい」との理由から、「たけし」に決めた[2]

柔道初段、空手初段。左利き。小さい頃は身体が弱く、学生時代には空手や柔道、キックボクシングなどに励んでいたが、左利きであることを負い目に感じていたという[注釈 1]

1976年の『宇宙鉄人キョーダイン』の葉山竜治 / グランゼル役は配役がクランクイン直前になっても決まらず、「佐々木なら良いのではないか」という意見が出たため、決まった[17]

1982年の自宅火事で重傷を負った際、入院費は俳優仲間で友人の林隆三渡辺篤史らが工面してくれたが、自身には貯蓄がなかったため、手術費、火元が自宅アパートゆえの修理費、妻や3人の子供たち[注釈 2]の生活費といった各種費用を工面すべく、警備員ちり紙交換、竿竹売り、石焼き芋屋などを掛け持ちし、1日16時間も働く毎日だったと語っている[注釈 3]。しかし、結局は妻子と別れることになり、世の中のすべてから見放された気持ちだったという[注釈 4]

この間、親族や関係者とも連絡を断っていたため、父の葬儀にも参列できなかった。

1991年には「佐々木とは家族ぐるみで30年来の親友」という石橋正次の呼びかけで舞台復帰したが、これについては子供時代に『仮面ライダー』を観ていたファンと接したことで、その熱い視線に対して「このまま役者を辞めるのはファンに対して失礼だ」と考えるようになり、ファンを裏切らない生き方をしようと決意したことも復帰の原動力であったと語っている[8]

顔面の火傷については、『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』に仮面ライダー2号役の声優として出演した時点でもまだ、旧知の平山亨らに佐々木だと気づかれないほどの状態であったが[9]、長年の皮膚移植治療でかなり回復している。佐々木は「おかげで本当に改造人間になってしまった気分」と語る一方、「火傷による挫折と復帰で、それまでの自分を大いに反省した」と述懐している。

歌手としてシングル盤2枚をリリースしている。また、アルバム『石ノ森章太郎・男も泣けるTV主題歌集』(1998年)には佐々木の歌う『仮面ライダー』主題歌「レッツゴー!!ライダーキック」が収録されているほか、「好きな言葉」として、「我が幸福は今…夢の途上」と書き記している。

仮面ライダーシリーズのエピソード編集

『仮面ライダー』でのエピソード編集

佐々木は番組途中からの参加であるが、これは主演の藤岡弘が放送開始前の撮影中の事故で出演不可能となったための緊急登板による主役交代だった。藤岡と佐々木は劇団NLT時代の同期で、友人の間柄だったため、当初出演依頼を「彼の役を取りたくない」との理由から一度断っている[8][9]

しかし『柔道一直線』に出演させてもらった恩を返そうを思い直し、東映プロデューサーの平山亨と「藤岡が帰って来るまで」との約束を交わした上で『仮面ライダー』出演を承諾した佐々木だが、当時はそれ以外にも2本のドラマのレギュラー(内1本は大阪での撮影)を務めていたため、佐々木が『仮面ライダー』のために割ける時間は少なかった[8][9][20]。そのプレッシャーから一時期円形脱毛を発症し、それをカムフラージュするためカツラを被って殺陣に臨んだが[9]、ジャンプ等でカツラがずれてしまうため、やがてカツラの上にヘルメットを被るようになった。一文字隼人にヘルメットや帽子着用のシーンが多かったのはこれが理由である。

『仮面ライダー』が人気番組となり、『お荷物小荷物』でも劇中で「変身ポーズ」をとるシーンが挿入されたが、佐々木はのちに「他の番組で変身ポーズをとるのは照れくさくて嫌だった」と語っている[8]

多忙な当時は、一文字のカットを先に撮って変身後は後まわしにしたり、録音はアフレコだったため変身ポーズをとりながら「お疲れさま」と言ってジャンプしたこともある[21]

その後、藤岡が主役復帰した際にスタッフから「是非ダブルライダーで引き続き主演を」と依頼されるも、「藤岡君がカムバックするまでという約束で引き受けたのだから、当然、藤岡君に返すべきだ。自分がいたままでは、彼が付録のようになってしまう」と、これを固辞し、当初の約束を守り3月をもって主役を降板した[9][20]

撮影開始当時、自動二輪の免許を持っていなかったため、本郷猛と同じようにバイクに乗ってベルトに風を受けて変身するシーンの撮影ができない問題があった[8]。佐々木が撮影中にスタッフにその事を話すと、「なんでそんなこと隠してたんだね、酷いじゃないか」と詰め寄ったスタッフに対し佐々木は「いえ、別に隠してた訳じゃ……誰にもそんなこと聞かれなかったんで」と困惑しながら返答したという。もし、無免許の問題で警察に聞かれたら「仮面ライダーだから、国際免許だ」と言おうかと考えていたと言っていた。

バイクに乗るシーンは苦肉の策としてトラックの荷台に固定してそれにまたがっての撮影となったが[9]、『仮面ライダー』の撮影中に免許を取得し、バイクの上にうつ伏せになって運転する「飛行機乗り」を披露している。また、先述の円形脱毛症のため、カツラやヘルメット着用での撮影となったが、ヘルメットを被ったまま電話に出るシーンについては、後のインタビュー[要文献特定詳細情報]で「普通なら聞こえるわけないけど、改造人間だからちゃんと聞こえるんだよ」と子どもたちの夢を壊さないように笑い話として語っている。

仮面ライダー2号から取り入れられた変身ポーズは、佐々木が自動二輪免許を持っていないことが理由の1つとして挙げられているが[15]、プロデューサーの平山亨はそれだけが理由ではないと述べており[15]、佐々木自身もそれが理由であるという説明は受けていないと述べている[9]。「変身ポーズ」が、結果として『仮面ライダー』を爆発的な人気作品にすることとなった。

第14話で初めて一文字が「変身ポーズ」をとるシーンでは『佐々木が照れてしまってなかなかOKが出ず、最後にはスタッフも一緒になって変身ポーズをとったという(折田至監督の談話による)』[要出典]と、言われているが佐々木剛自身が講談社MOOK『仮面ライダー昭和vol.2』のインタビュー(21ページ)にて「初登場撮影時、あのポーズのプロセスがわかっていたのは技斗の高橋一俊さんと私だけで、監督の折田さんも知らなかった。あれは単純に私がまちがっただけです。」と語っている。

本編に使われたOKテイクの変身ポーズも、本来なら上着からベルトを出して変身ポーズを取るところを変身ポーズの途中にベルトを出すという不自然なものになっている。この事について佐々木は「お見せしよう!と言ってもベルトが見えていないんだから(笑)。今なら絶対NGになるはずですけど、当時は予算がなくてフィルム代がもったいないからOKになったんでしょうね(苦笑)。」[22]と語っているが、上記の講談社MOOKでは「スタッフの皆は(ポーズについて)わかっていなかったから、『はい、OK!』と言うことで終わってしまったんですよ。」とも語っている[要ページ番号]。また、当初「変身」の掛け声は正式決定ではなく、折田監督が「アフレコで変更できるから」と現場で叫ばせたものだった。

初期の仮面ライダー1号は藤岡弘がスーツアクターも務めていたが、藤岡の負傷降板により2号からは大野剣友会がスーツアクターを担当している。しかし佐々木は『柔道一直線』で撮影を共にした剣友会の苦労を知るためとして、初期数話で2号のスーツアクターを務めている[9]。この時の演技では『素浪人 天下太平』でも用いた左手での剣技を披露している[9]。佐々木は自身でも大変さを実感したことによって剣友会のメンバーに対して感謝の気持ちで後を託すことができるようになったという[9]。『仮面ライダー』でスーツアクターや擬斗を担当した岡田勝は、『仮面ライダーZX』までの主演俳優の中では佐々木の立ち回りが一番上手かったと評価しており、仮面ライダーの立ち回りもやらせたかったと述べている[23]

後年の活動編集

その後も「仮面ライダーシリーズ」に一文字隼人役で多く出演している。仮面ライダーのオファーは断ったことがない。理由として、気心が知れたスタッフと会えるのが嬉しかったためと述べている[24]

仮面ライダーシリーズの映像作品への出演は1984年のTVSP以降途絶えていたが、2005年にはゲーム『仮面ライダー 正義の系譜』で十数年ぶりに仮面ライダー2号並びに一文字隼人の声を務めた。

近年では、仮面ライダー関係のイベントに出演する機会も増えてきており、2009年の『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』製作発表時にはビデオメッセージを送っている。

2010年4月4日に行われたイベント『大野剣友会 in 永田町 仮面ライブ:昭和』では、当時の剣友会の面々や速水亮荒木しげる高杉俊介と共に出演。舞台上で短い殺陣や「変身」を披露した。

2011年1月9日に行われたイベント『SUPER FESTIVAL 55』では、『仮面ライダー THE FIRST』でリメイク版・一文字隼人を演じた高野八誠と共演。さらに、仮面ライダー40周年記念映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』で再び仮面ライダー2号の声を担当すると発表した。丸の内TOEIで行われた舞台挨拶では「生身で出られなくて寂しいので、ここで変身ポーズを見せる」として、仮面ライダーV3 / 風見志郎役の宮内洋と共に自ら観客の前で変身ポーズを披露した。

交友関係編集

『柔道一直線』『仮面ライダー(初代)』『宇宙鉄人キョーダイン』と、長きにわたって仕事をともにした大野剣友会とは旧知の仲で殺陣師岡田勝は佐々木と同じ左利きで親交も深い。『仮面ライダー(新)』でゲスト出演した時は、あまりの懐かしさにロケ前日に飲みあかし、撮影時は泥酔状態だった。翌日の本番では殺陣担当の岡田に「剛、酔い過ぎだよ。駄目だ、海に入れよう!」と言われたそうで、本番では一文字が海に入って変身している。

仮面ライダーストロンガー』に岬ユリ子/電波人間タックル役で出演していた岡田京子と親交があった。1986年8月12日、持病の喘息の発作のため27歳の若さで死去の報を受けた際には、大きな衝撃を受けたという。岡田の夫である『仮面ライダー』のメーク担当である小山英夫とは番組終了後も交流があり、小山は佐々木を「態度は大きい男だと思ったが、実際は気持ちの小さい男で、それだから今も付き合える」と評している[25]

出演編集

テレビドラマ編集

映画編集

オリジナルビデオ編集

舞台編集

  • 会津士魂(1991年、オフィス企画舎)
  • 雲の如く(1992年、オフィス企画舎)
  • ホスピス(1993年、劇団ノルテ)
  • カフェの実は赤くなりましたか(1993年、劇団ノルテ)
  • あした天気になあれ(1993年、多摩メディカル・ドラマ実行委員会 他)
  • 鴉が翔んだ(1993年、オフィス企画舎)
  • すみれの詩(1994年、劇団ノルテ)
  • シベリアの夕やけ(1994年、劇団ノルテ)
  • 掟・新宿心中(1995年、劇団ノルテ)
  • 本当の修羅は俺なのだ(1996年、劇団ノルテ)
  • 雪にもめげず咲く梅の(1996年、劇団ノルテ)
  • 先生サマ(2000年、劇団ノルテ)
  • 貸席の女郎(2000年、劇団テークハートカンパニー = 吾一座)
  • ケプラー・あこがれの星海航路(2000年、タケスタジオ)
  • 泣きべそ黒頭巾(2000年、劇団ノルテ)
  • 闇の狼たち(2000年、ロストキッズ)
  • 仮面ライダー 戦闘員日記(2001年、劇団メガバックスコレクション) - 一文字隼人
  • ミュージカル 魔法使いサリー 〜美しき星地球を守れ〜(2001年、劇団スターキャスト)
  • 元禄武士道(2001年、ロストキッズ)
  • 赤報隊(2002年、ロストキッズ)
  • 返り花(2002年、エリーコーポレーション)
  • 忠治(2003年、ロストキッズ)
  • 銀座ロマン(2004年) - 千波プロ企画
  • 乱 天草・島原1637(2004年、ロストキッズ)
  • 銀座ロマン PartII 柳青める日(2005年、千波プロ企画)
  • あ、のんきだね(2006年、遊人塾・劇舎)
  • 孫文の女(2006年、西木正明プロデュース)
  • 武士道無残(2006年、ドラマバンク)
  • 川中島(2006年、ロストキッズ)
  • 返り花(2007年、三越劇場
  • 忠治(2007年、ロストキッズ)
  • お江戸は何時も大騒ぎ(2008年、ロストキッズ)
  • 改造人間哀歌 〜お見せしよう! 還暦を超えたヒーローの願い〜(2008年、シノハラステージング)- 年老いた改造人間
  • お江戸は何時も大騒ぎ〜弐〜(2008年、ロストキッズ)
  • お江戸は何時も大騒ぎ〜参〜(2009年、ロストキッズ)
  • 改造人間哀歌2 〜星空の約束〜(2009年、シノハラステージング) - 年老いた改造人間
  • 改造人間哀歌3 〜時空を超えろ! 最終決戦〜(2010年、シノハラステージング) - 年老いた改造人間
  • 酒呑童子 2010ver(2010年、ロストキッズ)
  • 改造人間哀歌ZERO(2011年、シノハラステージング)

ゲーム編集

CM編集

音楽編集

シングル編集

題名 B/W・C/W 発売年 レーベル 備考
あの手この手 1971年 テイチク
争いのない世界 俺は改造人間 / 夕焼けの時 2008年 シノハラステージング 『改造人間哀歌』挿入歌・本人作詞

アルバム編集

題名 発売年 レーベル 備考
石ノ森章太郎 男も泣けるTV主題歌集 1998年 テイチク 「レッツゴー!! ライダーキック」を歌唱

著書編集

一部を執筆した文献編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 剣戟による殺陣は右利きのみで、左利きは通常ない。
  2. ^ 子供たちとは、『お笑いオンステージ』のコーナー「減点ファミリー」で共演したことがある[18]
  3. ^ 客の中には「『仮面ライダー』に出ていた佐々木さんですよね?」と尋ねてくる者もいたが、そんな時は決まって「よく似ていると言われる。佐々木剛は死んだ」と自分の存在自体を亡くすように答えたという[19]
  4. ^ 現在は「妻と別れても子供たちとは親子ですから」と子供と交流を持っている様子が、自伝『一文字隼人』内で書かれている[要ページ番号]

出典編集

  1. ^ 『日本タレント名鑑2004』 VIPタイムズ社、2004年、167頁。ISBN 978-4990124229
  2. ^ a b c d e f g 「東映ヒーローミュージアム 第1回 宇宙鉄人キョーダイン」、『東映ヒーローMAX』Vol.1、辰巳出版2002年、 88 - 89頁、 ISBN 978-4886417312
  3. ^ a b c d e f g h 仮面ライダー怪人大画報 2016, p. 190, 「仮面ライダースタッフ・キャスト人名録2016年版」
  4. ^ a b c d 『日本映画俳優全集 男優編』 キネマ旬報社1980年、240頁。
  5. ^ 岡謙二 1999, p. 54
  6. ^ 岡謙二 1999, p. 54
  7. ^ 岡謙二 1999, p. 55
  8. ^ a b c d e f OFM仮面ライダー2 2004, p. 26, 「主演俳優の素顔5 佐々木剛」
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 94-97, 「INTERVIEW 佐々木剛」
  10. ^ 岡謙二 1999, p. 55
  11. ^ 岡謙二 1999, p. 60
  12. ^ 佐々木剛 1998, p. 175
  13. ^ 岡謙二 1999, p. 60
  14. ^ 岡謙二 1999, p. 60
  15. ^ a b c 大全集 1986, pp. 226-231, 「スペシャルSTAFF CAST座談会 仮面ライダーを語る」
  16. ^ 岡謙二 1999, p. 61
  17. ^ 岡謙二 1999, p. 60
  18. ^ 『お笑いオンステージ』1981年10月11日放送回「Uターンおやじの今川焼」 2014年8月現在NHKアーカイブスの「番組公開ライブラリー」で視聴可能。
  19. ^ テレビ東京系『ありえへん∞世界』(2012年11月13日放送分) (cache)舞台「会津士魂」- ありえへん∞世界”. TVでた蔵(ウェブ魚拓によるキャッシュ). 2013年11月2日閲覧。
  20. ^ a b 仮面ライダー怪人大画報 2016, pp. 62-66, 「仮面ライダーを育てた三賢人I 平山亨
  21. ^ 岡謙二 1999, pp. 55-56
  22. ^ NHKBS日めくりタイムトラベル1971年)編&KKベストセラーズ刊「語れ!仮面ライダー」内のインタビューより[要ページ番号]。第15・17話の変身ポーズは、ベルトを出してから変身ポーズを取っている。
  23. ^ OFM仮面ライダー9 2004, p. 29, 「岡田勝」.
  24. ^ 岡謙二 1999, p. 63
  25. ^ 岡謙二 1999, p. 56

参考文献編集

外部リンク編集