佐久間信義
日本の江戸時代後期の武士。江戸幕府旗本佐久間信邦の子で、信晴系佐久間氏11代当主。御小姓組を勤める
この項目では、佐久間信邦の長男の佐久間信義について説明しています。佐久間盛雄の養子の佐久間信義については「佐久間信義 (彦次郎)」をご覧ください。 |
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永2年(1773年) |
死没 | 不明 |
別名 | 通称:吉五郎 |
墓所 | 東京都新宿区四谷の全勝寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 | 父:佐久間信邦、母:佐久間信喜の娘 |
兄弟 | 信義、銕之助、勇次郎、佐久間信寿室 |
妻 | 永見伊予守為貞の娘 |
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寛政5年(1793年)4月22日、21歳のとき、隠居した父・佐久間信邦から家督(1300石)を相続。同年6月19日、初めて将軍徳川家斉に拝謁。
『寛政重修諸家譜』編纂時の当主。屋敷は四谷内藤宿新屋敷。