佐久間信邦

日本の江戸時代後期の武士。越前鯖江藩2代藩主間部詮方四男で、江戸幕府旗本佐久間信喜婿養子。信晴系佐久間氏10代当主

佐久間 信邦(さくま のぶくに)は、江戸時代後期の旗本間部詮方の四男。初めは方教(みちのり)を名乗る。

 
佐久間信邦
時代 江戸時代後期
生誕 延享4年(1747年
死没 寛政7年12月6日1796年1月15日
改名 間部方教→佐久間信邦
別名 通称:八之助、新十郎
戒名 要仙
墓所 東京都新宿区四谷の全勝寺
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家斉
氏族佐久間氏
父母 父:間部詮方
養父:佐久間信喜
兄弟 男子、間部詮央間部詮茂信邦
間部方元田中方親間部方宣間部方喬阿部正包九鬼隆貞正室、松平忠房正室、桜井兼文室、松平定胤正室、
高木貞一室(のち曽我助造継室)
佐久間信喜の娘
信義、銕之助、勇次郎、佐久間信寿
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佐久間信喜の娘を娶り婿養子となった。

寛政元年(1789年)12月6日、養父・佐久間信喜から家督(1300石)を相続。寛政5年(1793年)4月22日、家督を子の信義に譲り、隠居。

寛政7年(1795年)12月6日、死去。享年49。