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佐和山藩(さわやまはん)は、近江国(現在の滋賀県彦根市古沢町)に存在した。藩庁は佐和山城[1]

目次

概要編集

佐和山は織田信長の時代から要衝と見なされ、信長は特に信任の厚かった重臣・丹羽長秀を城主とした。文禄4年(1595年)に豊臣秀吉のもとで五奉行として辣腕を振るっていた石田三成が、近江水口から移封されて19万4000石で入った。

三成治下の佐和山はその善政によって民は豊かになり、「三成に過ぎたるものがふたつあり。島の左近(島左近)と佐和山の城」と言われるほどであった。ちなみに三成の善政を示すものとして、古橋の領民が凶作で苦しんでいるとき、三成は年貢を免訴して領民を助けたり、様々な法令を制定して領内を整備するなどの手腕を発揮している。

関ヶ原の戦いで石田氏が滅亡した後、佐和山には関ヶ原の戦いで武功を挙げた徳川四天王の一人・井伊直政が18万石で入り、佐和山藩が立藩した。しかし直政は2年後の慶長7年(1602年)に死去した。これは関ヶ原の戦いによる戦傷によるものと言われているが、世間では三成の亡霊に呪い殺されたとも噂された。直政の後を継いだ子の直継は、新たに彦根城を築城するように命じられた。そして彦根城の完成と共に、佐和山藩は廃藩となった。

江戸時代以前の佐和山城主編集

石田家

19万4千石

氏名 よみ 官位・官職 在任期間 備考
1 三成 みつなり 従五位下
治部少輔
文禄4年 - 慶長5年
1595年 - 1600年
石田正継の2男
豊臣政権五奉行

歴代藩主編集

井伊家

譜代 - 18万石

氏名 よみ 官位・官職 在任期間 前藩主との続柄・備考
1 直政 なおまさ 従四位下
兵部少輔侍従
慶長5年 - 慶長7年
1600年 - 1602年
井伊直親の長男
2 直継 なおつぐ 慶長7年 - 元和元年
1602年 - 1615年
直政の長男

脚注編集

  1. ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(393ページ)